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青春
ベンチの上から
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長い間生きていると、ふと思うことがある。
僕の人生は、紙とペンで書かれたような面白いものにはならない。
まるで、ベンチに座って、楽しそうに振舞っている人たちを見ているようだ。
「もっと、劇的に世界が変わらないかな……」
ありもしない妄想に浸りながら、ひたすらに道を歩き続ける。
世界がつまらないなら、自分を変えるしかない。そんなことはわかっている。
だけど、誰もが簡単に変われるほど強くない。
そんなことを考えていた時、ふと公園のベンチが目に入った。
「ちょうどいい、歩くのも疲れたしなぁ」
僕はベンチに腰掛ける。
休日の昼間ということもあるのだろうが、人が多すぎるような気がする。
公園って今でも子供がいるんだなぁ、なんてことを考えながら、先程買っておいた缶コーヒーを開ける。
「買ってはみたものの、缶コーヒーって好きじゃないんだよなぁ」
自分で買っておきながら、意味不明な独り言をつぶやいていることが恥ずかしい。
だけど、こんな下らないことを話す相手などいない。大人になってからというもの、下らないことを話し合える相手っていうとは極端に減った。
いや、下らない仕事の話は毎日のようにしている。
本当に下らない世界だ。
――下らないことも話すことが出来ないなんて、下らない。
頭の中で『下らない』がゲシュタルト崩壊してきた。
下らないことを考えすぎだ。
せっかく公園に来たのだから、人間観察でもしてみよう。
そう思って、あたりをキョロキョロ見渡す。
自分でも思うが、まるで不審者だ。警察を呼ばれても、きちんとした説明はできないだろうな。
それほどまでに子供しかいない。未来が輝く子供達に囲まれて、僕の未来も少しぐらいは明るくなるだろうか……いやならない。
「あの……お隣よろしいでしょうか?」
僕の右耳に女性の声が鳴り響く。
ついに警察が来たかと、僕は身構えた。だがそんなことはないようだ。
暗い世界に舞い込んだ一筋の光――美しい女性がそこにはいた。
僕はいそいそと席をつめる。
「ここは公共の場ですので、もちろんよろしいです。どうぞどうぞ」
勧められるままに女性は静かに腰掛ける。
その一挙一動が洗礼されており、雰囲気からもかなりいいところのお嬢様だと気がついた。
「ここにはよく来られるのですか?」
あまりにも見つめすぎて不審者に思われたのか、となりの女性が話しかけてくる。
突然のことに、僕は言葉を詰まらせながらもなんとか答えた。
「いえ初めてです」
「そうですか……ここ、いいところですよねぇ?」
「そうですね。子供達も元気いっぱいですしね」
「そうなんですよ! だから、私はいつもここで絵を描いてます」
彼女はカバンからペンと紙を一枚取り出す。
ペンは画家が使うようなものではなく、ちょっと高価そうなボールペンだ。
おそらく、彼女の趣味なのだろう。
僕はそんな彼女の趣味に興味が湧いた。
「よろしければ、みせてもらっても?」
すると、彼女は恥ずかしそうにする。
そりゃあプロでもなければ、自分の作品を見られるのは恥ずかしいだろう。僕だって、自分の趣味レベルのなにかを見せるのは恥ずかしい。
だけどペンと紙とベンチ、それにほんの少しの風景、それらによって生み出され芸術を恥じる必要なんてないと僕は思う。
「私なんかの絵を見ても、面白くもなんともないですよ?」
恥ずかしそうに上目遣いを見せる彼女に、少しだけキュンとくるものがある。
「そんなことないですよ」
見たこともない癖に、僕は適当なことを言う。
人間同士の会話には、そういったよくわからないことが重要なのだ。
彼女は大きく息を吸い込み、吐き出す。そんな動作を何度か繰り返して、カバンの中からスケッチブックを取り出した。
「これが……私の全てです」
差し出されたスケッチブックを受け取って、パラパラとページをめくる。
僕は言葉を失う。
たかだか紙だ――されど紙だ。
たった一本のペンで素晴らしい絵を描く人、小説を書く人、漫画を描く人、それらは全く違うようで、全て同じだ。
彼らは、その道を極めんとし、中でも最上の作品を仕上げんとする者を神と呼ぶ。
僕のとなりに今座っている女性、彼女こそ、いわゆる絵の神……いや女神様なのだろう。
一つだけはっきりとしていることは、僕には絵というものが全くわからないということ。そんな時僕にでもわかるのだから、彼女の才能は大したものだ。
「す、すごいですね」
僕は思わず彼女の方を見た。
彼女は僕が作品を見ている横で、手際よく絵を描き始めていた。その集中力は常軌を逸していて、僕の声にはまるで無反応だ。
これがもひとつの才能というやつなのだろう。
――しかし、とんでもない画家もいたものだ。
これだけ絵を描いて全く成長していないとは……逆に凄すぎて、神がかっている。
だけど、それでも彼女が羨ましかった。
一心不乱に絵を描いている彼女を見ると、環境が勝手に変わることを待ち望んでいる僕が馬鹿だとすら思える。
彼女には彼女の物語があり、それは自分で考えて作り上げてきたものだ。
それに比べて僕は、 悟ったふりばかりで、作り上げる方法を知る努力もしない。
「本当にそうお思いですか?」
いつのまにか彼女は描くのをやめて、僕の方がを見ていた。
「何かを生み出す……それだけですごいことですよ」
「……答えになってませんよ?」
僕は目をそらす。嘘はつきたくないからな。
「いやあ、それにしても本当にいい場所ですよね?」
「たしかにそうですが……話そらそうとしてませんか?」
彼女は疑いの目を僕に向けている。
彼女自身、自分に才能がないということに気がついているのだろう。
「まあいいじゃないですか。それより、いつもここでしか絵を?」
「毎週描いてます。それでもうまくならなくて……」
悲しそうにつぶやく彼女だ。
今日初めて会った赤の他人だが、なんとなく不憫に感じた。
――好きなもの、それが必ずしも才能のあるものではない。
人間が作り上げた才能というまやかし、そんなものに踊らされ生まれていく人間は少なくない。
そんな中でも彼女は努力を続ける。それがどれだけ辛いことか、僕は知っているからだ。
「それでも描くんですね?」
僕の問いかけに彼女は迷うこともなく即答した。
「もちろんです!」
これだけ眩しい笑顔を見せられれば、僕がとやかく言えることもないだろう。
「羨ましいですね……」
ただの妬みだ。夢を捨てた僕と、好きなことを続ける彼女。
どちらが幸せか、それは誰にもわからない。ただ単に隣の芝生は青く見えるだけかもしれない。
「でしたら……一緒にどうですか?」
彼女は迷うことなく、ペンと紙を僕に差し出す。
僕は思わずそれを受け取った。
絵なんか描いたこともない僕でも、ひとつだけわかることがある。
このペンはよく使い込まれている。長い間使ってきた大切なものなのだろう。
「描いたことないんですよね……」
「楽しければ大丈夫ですよ」
「そういうものですか」
僕は素人ながらも、ペンを走らせて目の前に広がる景色を素描する。
たしかになかなか楽しいが、僕の彼女をバカにできないらしい。
紙に映されたぐしゃぐしゃが、それを物語っていた。
「私よりうまいですね」
「いえいえ、それは褒めすぎですよ。でもまあ、楽しいですね」
きっと、こんな風に趣味というのは増えていくのだろう。気づかぬうち、できることは増えていき、夢のような楽しい時間は生まれる。
物語はきっと、このように小さな出来事から始まる。
紙とペンとベンチは、小さな物語を始めるに最低限必要なものだと、僕は初めて気がついた。
僕の人生は、紙とペンで書かれたような面白いものにはならない。
まるで、ベンチに座って、楽しそうに振舞っている人たちを見ているようだ。
「もっと、劇的に世界が変わらないかな……」
ありもしない妄想に浸りながら、ひたすらに道を歩き続ける。
世界がつまらないなら、自分を変えるしかない。そんなことはわかっている。
だけど、誰もが簡単に変われるほど強くない。
そんなことを考えていた時、ふと公園のベンチが目に入った。
「ちょうどいい、歩くのも疲れたしなぁ」
僕はベンチに腰掛ける。
休日の昼間ということもあるのだろうが、人が多すぎるような気がする。
公園って今でも子供がいるんだなぁ、なんてことを考えながら、先程買っておいた缶コーヒーを開ける。
「買ってはみたものの、缶コーヒーって好きじゃないんだよなぁ」
自分で買っておきながら、意味不明な独り言をつぶやいていることが恥ずかしい。
だけど、こんな下らないことを話す相手などいない。大人になってからというもの、下らないことを話し合える相手っていうとは極端に減った。
いや、下らない仕事の話は毎日のようにしている。
本当に下らない世界だ。
――下らないことも話すことが出来ないなんて、下らない。
頭の中で『下らない』がゲシュタルト崩壊してきた。
下らないことを考えすぎだ。
せっかく公園に来たのだから、人間観察でもしてみよう。
そう思って、あたりをキョロキョロ見渡す。
自分でも思うが、まるで不審者だ。警察を呼ばれても、きちんとした説明はできないだろうな。
それほどまでに子供しかいない。未来が輝く子供達に囲まれて、僕の未来も少しぐらいは明るくなるだろうか……いやならない。
「あの……お隣よろしいでしょうか?」
僕の右耳に女性の声が鳴り響く。
ついに警察が来たかと、僕は身構えた。だがそんなことはないようだ。
暗い世界に舞い込んだ一筋の光――美しい女性がそこにはいた。
僕はいそいそと席をつめる。
「ここは公共の場ですので、もちろんよろしいです。どうぞどうぞ」
勧められるままに女性は静かに腰掛ける。
その一挙一動が洗礼されており、雰囲気からもかなりいいところのお嬢様だと気がついた。
「ここにはよく来られるのですか?」
あまりにも見つめすぎて不審者に思われたのか、となりの女性が話しかけてくる。
突然のことに、僕は言葉を詰まらせながらもなんとか答えた。
「いえ初めてです」
「そうですか……ここ、いいところですよねぇ?」
「そうですね。子供達も元気いっぱいですしね」
「そうなんですよ! だから、私はいつもここで絵を描いてます」
彼女はカバンからペンと紙を一枚取り出す。
ペンは画家が使うようなものではなく、ちょっと高価そうなボールペンだ。
おそらく、彼女の趣味なのだろう。
僕はそんな彼女の趣味に興味が湧いた。
「よろしければ、みせてもらっても?」
すると、彼女は恥ずかしそうにする。
そりゃあプロでもなければ、自分の作品を見られるのは恥ずかしいだろう。僕だって、自分の趣味レベルのなにかを見せるのは恥ずかしい。
だけどペンと紙とベンチ、それにほんの少しの風景、それらによって生み出され芸術を恥じる必要なんてないと僕は思う。
「私なんかの絵を見ても、面白くもなんともないですよ?」
恥ずかしそうに上目遣いを見せる彼女に、少しだけキュンとくるものがある。
「そんなことないですよ」
見たこともない癖に、僕は適当なことを言う。
人間同士の会話には、そういったよくわからないことが重要なのだ。
彼女は大きく息を吸い込み、吐き出す。そんな動作を何度か繰り返して、カバンの中からスケッチブックを取り出した。
「これが……私の全てです」
差し出されたスケッチブックを受け取って、パラパラとページをめくる。
僕は言葉を失う。
たかだか紙だ――されど紙だ。
たった一本のペンで素晴らしい絵を描く人、小説を書く人、漫画を描く人、それらは全く違うようで、全て同じだ。
彼らは、その道を極めんとし、中でも最上の作品を仕上げんとする者を神と呼ぶ。
僕のとなりに今座っている女性、彼女こそ、いわゆる絵の神……いや女神様なのだろう。
一つだけはっきりとしていることは、僕には絵というものが全くわからないということ。そんな時僕にでもわかるのだから、彼女の才能は大したものだ。
「す、すごいですね」
僕は思わず彼女の方を見た。
彼女は僕が作品を見ている横で、手際よく絵を描き始めていた。その集中力は常軌を逸していて、僕の声にはまるで無反応だ。
これがもひとつの才能というやつなのだろう。
――しかし、とんでもない画家もいたものだ。
これだけ絵を描いて全く成長していないとは……逆に凄すぎて、神がかっている。
だけど、それでも彼女が羨ましかった。
一心不乱に絵を描いている彼女を見ると、環境が勝手に変わることを待ち望んでいる僕が馬鹿だとすら思える。
彼女には彼女の物語があり、それは自分で考えて作り上げてきたものだ。
それに比べて僕は、 悟ったふりばかりで、作り上げる方法を知る努力もしない。
「本当にそうお思いですか?」
いつのまにか彼女は描くのをやめて、僕の方がを見ていた。
「何かを生み出す……それだけですごいことですよ」
「……答えになってませんよ?」
僕は目をそらす。嘘はつきたくないからな。
「いやあ、それにしても本当にいい場所ですよね?」
「たしかにそうですが……話そらそうとしてませんか?」
彼女は疑いの目を僕に向けている。
彼女自身、自分に才能がないということに気がついているのだろう。
「まあいいじゃないですか。それより、いつもここでしか絵を?」
「毎週描いてます。それでもうまくならなくて……」
悲しそうにつぶやく彼女だ。
今日初めて会った赤の他人だが、なんとなく不憫に感じた。
――好きなもの、それが必ずしも才能のあるものではない。
人間が作り上げた才能というまやかし、そんなものに踊らされ生まれていく人間は少なくない。
そんな中でも彼女は努力を続ける。それがどれだけ辛いことか、僕は知っているからだ。
「それでも描くんですね?」
僕の問いかけに彼女は迷うこともなく即答した。
「もちろんです!」
これだけ眩しい笑顔を見せられれば、僕がとやかく言えることもないだろう。
「羨ましいですね……」
ただの妬みだ。夢を捨てた僕と、好きなことを続ける彼女。
どちらが幸せか、それは誰にもわからない。ただ単に隣の芝生は青く見えるだけかもしれない。
「でしたら……一緒にどうですか?」
彼女は迷うことなく、ペンと紙を僕に差し出す。
僕は思わずそれを受け取った。
絵なんか描いたこともない僕でも、ひとつだけわかることがある。
このペンはよく使い込まれている。長い間使ってきた大切なものなのだろう。
「描いたことないんですよね……」
「楽しければ大丈夫ですよ」
「そういうものですか」
僕は素人ながらも、ペンを走らせて目の前に広がる景色を素描する。
たしかになかなか楽しいが、僕の彼女をバカにできないらしい。
紙に映されたぐしゃぐしゃが、それを物語っていた。
「私よりうまいですね」
「いえいえ、それは褒めすぎですよ。でもまあ、楽しいですね」
きっと、こんな風に趣味というのは増えていくのだろう。気づかぬうち、できることは増えていき、夢のような楽しい時間は生まれる。
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