異世界の婚約者

真白 悟

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「でしょ!? 組合費が高すぎるけど、隅から隅までなんども読んだし。組合の人からも言質をとったけど、脱退に際しても特に違約金とかは発生しないらしいし……最初は入っておいた方がよさそうだから入っておいたのよ。ただ、問題はこの規約よね」

 考えなしと思っていたけど、どうやら僕の思い過ごしらしい。別の大陸から1人で起業するためにやってくるほどの行動力から怖いもの知らずと思っていたけど、慎重な一面も持ち合わせているらしい。
 僕はそんなことを考えながら、彼女が指差す一文に軽く目を通す。

「これか……」

『組合員は緊急時、組合の指示に従わなければならない』
 
 これは確かに僕も問題だと思っていた。『緊急時』というのが一体どのような事態を指すのかはさておいて、『組合の指示に従わなければならない』というのは強制を意味していることは誰にでもわかるだろう。
 何かを強制させることが出来るというのは、明らかに組合としての権力を逸脱している。

「組合自体が国家に属するものだから、おそらくは戦争時の徴兵とかそういうことを書いているんだとは思うけど……『緊急時』という言葉の範囲が広すぎるのも問題よね。まあ戦争の手伝いをするつもりも一切ないけど」
「何か手があるってことだよな?」
「まあね。出来るだけ使いたくない手ではあるけど、最終手段があるのよ。すべてをなかったことに出来る魔法の言葉がね」

 シアは何やら悪そうなことを考えているようだ。
 まさか貴族としての権力を使って優遇してもらおうとか考えているわけじゃないどうな。
 言いたいことは色々とあるが、強制を逃れる手段があるというのなら今はそれで良しとしよう。

「……それでこれからどうするつもりなんだ」
「そうね。まずはギルドの整備から始めないと。あとフリーの冒険者も集めないといけないし、やることはいっぱいあるわよ!」

 ようやく会社が機能することになってうれしいのか、シアは目をキラキラとさせている。
 そんな彼女に水をさすのは気が引けるが、これだけは聞いておかなくちゃいけない。

「ギルドっていうのは、おととい僕を案内してくれたところだよな?」

 あそこなら設備はかなり整っていたし、準備はそれほど必要ないだろう。だけど、僕はとてつもなく嫌な予感がしていた。だから思わずこんなことを聞いてしまったのだろう。なんだか悪寒がする。これも余寒のせいだろうか……いや、今の季節とか正直わからないけど。
 そんな僕の淡い期待を裏切るように、シアがきょとんとした表情で言う。

「おととい? ああ、あそこは違うわよ。あそこはあなたと出会った場所から近かったから使った冒険者が使える休憩所みたいなところよ。私の所有するものじゃないもの、私が個人的に独占していい場所じゃないわ」
「つまり、じゃあ別に場所があるってことか?」

 自分の言葉にさらに悪寒が強まる。春は遠そうだ。

「もちろん。この屋敷を使うのよ! だってこれだけ広いし、受付だってあるし、何よりお金は節約するべきなんだからちょうどいいでしょ?」

 悪寒の正体が分かった。それはすなわち2日連続掃除コースになることを感じていたんだ。いいや、たぶん2日では済まない。自分の部屋をまともに住めるまで掃除するのに丸1日かかったんだから、その10倍以上の広さを誇るエントランスを掃除するだけでも途方もないほどの時間がかかるだろう。
 そして、なにより問題なのは従業員が僕しかいないってことだ。もし仮に、シアが手伝ってくれたとしても地獄になることは目に見えている。

「ここをたった2人で整備するのか?」
「それは流石に無理でしょ……」

 僕の問いかけにシアが呆れている。
 彼女のその言葉で僕は一気に気分が晴れやかになる。どうやら春は目前まで迫っていたらしい。さっきまで感じていた悪寒はやっぱり余寒だったわけだ。
 そんな僕の期待に応えるべく、シアは続けて口を開く。

「受付を1人雇うつもりだから、3人で整備するのよ」

 頭上からタライが落ちてくるような衝撃が走った。それは強い頭痛だ。まるで崖を上ったところで突き落とされたような、そんな絶望を感じた。そしてコンマ数秒僕の思考は止まる。
 止まった時が動き出すのにはそれほど時間はかからなかった。

「3人でこの屋敷を掃除するなんて無理に決まってるだろう!?」

 この世界に転移してきてから、これほどまでに感情的になったのはたぶん初めてだ。
 ずっと上がり調子だったシアへの好感度はここでようやく転換期を迎えた。後はどこまで下がっていくのか、それは僕にもわからない。

「そりゃ無理でしょ。というか、会って数日の私でもわかるくらいの面倒くさがり屋なあなたが、全部自分たちでやろうという発想にたどり着くのはあまりにも予想外よ……」

 呆れてモノがいえないとシアは困り顔で頭を何度かゆっくりと横に振った。

「つ、つまり?」
「清掃は業者を呼ぶに決まってるじゃない。何のために清掃屋がいると思っているのかしら」

 確かにその通りだ。僕はシアと出会ってから、かなり思考回路がおかしくなってしまったらしい。考えてもみれば会社を素人だけで掃除することなんてありえない。
 だけどここは中世ヨーロッパ後期ほどの文明レベルだと僕は考えている。それならまともな掃除なんて――よく思い出してみれば、この街にはごみなんて落ちていなかったし、道端に汚物がぶちまけられているなんてことはなかった。つまり、清掃のレベルはかなり高いという事だ。僕の聞いたことがる中世ヨーロッパなら、辺りはごみで散乱しているはずだ。そうならないってことは、文明レベルは似ていてもやはりそこには違いがあるという事だ。
 まあそんなことは実はどうでもいい。清掃屋が存在するなら、つまりは僕がこの屋敷の掃除をする必要はないという非常にありがたい結果が待っているという事だ。でもそれに付随する問題がある。

「清掃屋か。なるほどな。でもお金は大丈夫なのか?」

 こんなだだっ広い埃だらけの屋敷を掃除するわけだ。料金は尋常じゃないほど高くつくだろう。だけどありあわせで何とかしようとするシアのことを見ていると、あまり懐事情はよろしくなさそうだ。
 シアは「痛手だけど、先行投資としては問題ないわ」と、僕の心配など意にも介していない。
 どうやら彼女はそれほどお金には困っていないらしい。考えても見れば、彼女は貴族なのだからそれも当然だ。だけどそれを踏まえても僕はものすごく心配だ。
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