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二話 人気者
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介護の仕事自体は存外すぐ慣れることができた。
想像よりもずっと明るく朗らかな職場であり、時間に追われて利用者を蔑ろにせずとも許される環境であったことも一つの要因だろう。また、利用者との交流もおおよそは上手くいっていた。
一部、どうしても接するのが難しい人や困った人もいたが、それは接客業をしていても一定の確率で紛れ込んでくるので致し方のないこととも言える。
中島個人としてはいい歳したセクハラ爺が実在していることが一番の驚きであった。
いくつかある認知症の中には理性が欠如するタイプのものがある、とは聞いていたが、それとはまた違っているらしく余計に性質が悪い。
そもそも、性欲などというものは年齢を重ねるごとに衰えていくものではないのか。
話には聞いていたが、ある程度は誇張された表現かと思っていたのが甘かった。
七十、八十を超えようとも、若い女の胸や尻を触りたがる男はいる。実に遺憾であるが。
何はともあれ、二ヶ月も働けば中島も入浴や排泄、食事の介助など、手際の良さでは先輩に負けるが、一通りこなせるようになった。
小さな施設であることから入浴は一対一での交流であり、多人数の様子を気にし続けなければいけないフロア業務よりも幾分か気楽に感じるほどである。
なお、この場合、相手がセクハラ爺でないことが前提となる。
悲しいかな、介護は人手不足だ。
相手が男であろうと女であろうと、同性が介助するのが一番良い。セクハラ爺はともかく、女の人に裸やら局部やらを見られることは耐えられない、という男の人も多いのだ。
けれど、人がいない以上、仕方がない。
中島はセクハラ爺含め、利用者の大半と風呂に入っている。
「こ~もりさんっ」
「んー?」
そんな困った人もいる中で、スタッフ達からも人気が高いのがこの小森だ。
毎日同じ人が訪れるわけではないデイサービスでは、曜日ごと、時間ごとに来る人が変わる。小さなこの施設でも総勢三十名を超える利用者がいるが、その中でも小森はトップスリーに入る人気者だ。
声をかければ間延びした返事を返してくれる彼は、とても温厚な性格で、周囲と揉め事を起こすことがまずない。セクハラなど論外だ。
時折、帰りたがるそぶりを見せるが、スタッフが少し会話をすれば落ち着きをとりもどし、食事も入浴も排泄も声かけ一つで素直に動いてくれる。
もっとも、それらをどこまで本人が把握しているのかは神のみぞ知るところ。
いつもニコニコしているけれど、会話が成り立たないことも多く、字や数字の類は全く理解できていない。
声をかけ、誘導してやれば動くがそうでなければ椅子に座ったままであることが多く、褥瘡と呼ばれる、いわゆる床ずれが臀部にできてしまう。
さらに言えば、小森は動いてくれるだけでしかない。
お風呂に入ってね、と言ってもそれを理解することはなく、ご飯を食べてね、と言っても箸をとることは少ない。かろうじて尿意や便意はあるようだったが、それも時間と共に鈍くなっている様子が伺えた。
スタッフのタイミングが合わず、トイレに間に合わなかった時などは自身の排泄したものを理解せず触れてしまうことも多い。
「これ積んでみて」
「ん、なんだぁ、これ」
「ほら持ってみて」
少しでも頭を、指先を使ってもらうために積み木などを用いると、小森はニコニコと笑いながら持っては並べるだけの作業を繰り返す。そこに法則性は見られないが、おそらく彼の中では何かがあるのだろう。
「小森さん綺麗に並べるねぇ」
アレが嫌だ、コレが嫌だと言うこともなく、暴れることもない小森はスタッフにとっての癒しであり愛されキャラクター的な部分がある。
しかし、家に帰れば彼はただの厄介者だ。
家族に愛がないとは言わない。
服を着るも脱ぐも全て手伝いを要し、粗相をすれば被害を広げてしまう。そんな人間といつまで付き合っていかなければならないのか。
これが子どもであればいつか成長する。今はできないことでもいずれできるようになるだろう。
だが認知症患者はできなくなる一方だ。少しでも進行を遅らせることはできるけれど、止めることはできない。
ゴールの見えぬ時間は辛く苦しいものだ。
「小森さんは奥さんのこと好き?」
「すきだよ~」
嘘偽りない言葉だろう。
今はもうガリガリのヒョロヒョロになっている体だが、中島が入社するより前はもう少し筋肉があったらしい。
昔は土木工事業に従事しており、妻や子どものために粉骨砕身していたようだ。おかげで彼の家族は何だかんだ言いつつも小森のことを蔑ろにせず一生懸命介護している。
幸いなことに、彼はまだ足腰がしっかりしているので介助者の身体的負担が少ない。かつ、勝手に家の外へ出て行ってしまうこともないため警察の世話になることもなかった。
この辺りの負担も増えてくるといよいよ家族にも限界が近づいてくる。
「今日は良い天気だねぇ」
「そうか?」
「ほら、おひさま出てるよ」
「ほんとうだ」
青い空を指さして天気について語っても彼は疑問符をつける。
明確な何かを示せば真偽のほどはともかくとして反応は返ってくる。
一時だからこそ得られる穏やかな気持ちと時間を、せめて今だけは小森も感じていればいいと思う。
彼は覚えていないし、感じたことをそのまま表現することはできないけれど、やはり脳のどこかでは何かを感じ思っているかもしれない。
愛する家族から厄介者扱いされている現実も、そうなってしまった自分自身にも傷ついているかもしれないのだから。
想像よりもずっと明るく朗らかな職場であり、時間に追われて利用者を蔑ろにせずとも許される環境であったことも一つの要因だろう。また、利用者との交流もおおよそは上手くいっていた。
一部、どうしても接するのが難しい人や困った人もいたが、それは接客業をしていても一定の確率で紛れ込んでくるので致し方のないこととも言える。
中島個人としてはいい歳したセクハラ爺が実在していることが一番の驚きであった。
いくつかある認知症の中には理性が欠如するタイプのものがある、とは聞いていたが、それとはまた違っているらしく余計に性質が悪い。
そもそも、性欲などというものは年齢を重ねるごとに衰えていくものではないのか。
話には聞いていたが、ある程度は誇張された表現かと思っていたのが甘かった。
七十、八十を超えようとも、若い女の胸や尻を触りたがる男はいる。実に遺憾であるが。
何はともあれ、二ヶ月も働けば中島も入浴や排泄、食事の介助など、手際の良さでは先輩に負けるが、一通りこなせるようになった。
小さな施設であることから入浴は一対一での交流であり、多人数の様子を気にし続けなければいけないフロア業務よりも幾分か気楽に感じるほどである。
なお、この場合、相手がセクハラ爺でないことが前提となる。
悲しいかな、介護は人手不足だ。
相手が男であろうと女であろうと、同性が介助するのが一番良い。セクハラ爺はともかく、女の人に裸やら局部やらを見られることは耐えられない、という男の人も多いのだ。
けれど、人がいない以上、仕方がない。
中島はセクハラ爺含め、利用者の大半と風呂に入っている。
「こ~もりさんっ」
「んー?」
そんな困った人もいる中で、スタッフ達からも人気が高いのがこの小森だ。
毎日同じ人が訪れるわけではないデイサービスでは、曜日ごと、時間ごとに来る人が変わる。小さなこの施設でも総勢三十名を超える利用者がいるが、その中でも小森はトップスリーに入る人気者だ。
声をかければ間延びした返事を返してくれる彼は、とても温厚な性格で、周囲と揉め事を起こすことがまずない。セクハラなど論外だ。
時折、帰りたがるそぶりを見せるが、スタッフが少し会話をすれば落ち着きをとりもどし、食事も入浴も排泄も声かけ一つで素直に動いてくれる。
もっとも、それらをどこまで本人が把握しているのかは神のみぞ知るところ。
いつもニコニコしているけれど、会話が成り立たないことも多く、字や数字の類は全く理解できていない。
声をかけ、誘導してやれば動くがそうでなければ椅子に座ったままであることが多く、褥瘡と呼ばれる、いわゆる床ずれが臀部にできてしまう。
さらに言えば、小森は動いてくれるだけでしかない。
お風呂に入ってね、と言ってもそれを理解することはなく、ご飯を食べてね、と言っても箸をとることは少ない。かろうじて尿意や便意はあるようだったが、それも時間と共に鈍くなっている様子が伺えた。
スタッフのタイミングが合わず、トイレに間に合わなかった時などは自身の排泄したものを理解せず触れてしまうことも多い。
「これ積んでみて」
「ん、なんだぁ、これ」
「ほら持ってみて」
少しでも頭を、指先を使ってもらうために積み木などを用いると、小森はニコニコと笑いながら持っては並べるだけの作業を繰り返す。そこに法則性は見られないが、おそらく彼の中では何かがあるのだろう。
「小森さん綺麗に並べるねぇ」
アレが嫌だ、コレが嫌だと言うこともなく、暴れることもない小森はスタッフにとっての癒しであり愛されキャラクター的な部分がある。
しかし、家に帰れば彼はただの厄介者だ。
家族に愛がないとは言わない。
服を着るも脱ぐも全て手伝いを要し、粗相をすれば被害を広げてしまう。そんな人間といつまで付き合っていかなければならないのか。
これが子どもであればいつか成長する。今はできないことでもいずれできるようになるだろう。
だが認知症患者はできなくなる一方だ。少しでも進行を遅らせることはできるけれど、止めることはできない。
ゴールの見えぬ時間は辛く苦しいものだ。
「小森さんは奥さんのこと好き?」
「すきだよ~」
嘘偽りない言葉だろう。
今はもうガリガリのヒョロヒョロになっている体だが、中島が入社するより前はもう少し筋肉があったらしい。
昔は土木工事業に従事しており、妻や子どものために粉骨砕身していたようだ。おかげで彼の家族は何だかんだ言いつつも小森のことを蔑ろにせず一生懸命介護している。
幸いなことに、彼はまだ足腰がしっかりしているので介助者の身体的負担が少ない。かつ、勝手に家の外へ出て行ってしまうこともないため警察の世話になることもなかった。
この辺りの負担も増えてくるといよいよ家族にも限界が近づいてくる。
「今日は良い天気だねぇ」
「そうか?」
「ほら、おひさま出てるよ」
「ほんとうだ」
青い空を指さして天気について語っても彼は疑問符をつける。
明確な何かを示せば真偽のほどはともかくとして反応は返ってくる。
一時だからこそ得られる穏やかな気持ちと時間を、せめて今だけは小森も感じていればいいと思う。
彼は覚えていないし、感じたことをそのまま表現することはできないけれど、やはり脳のどこかでは何かを感じ思っているかもしれない。
愛する家族から厄介者扱いされている現実も、そうなってしまった自分自身にも傷ついているかもしれないのだから。
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