『チート作家の異世界執筆録 〜今日も原稿と畑で世界を綴る〜』

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第29話 スローライフに突如差し込む“舞踏会”の影

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 昼下がりの筆の家。庭先のハンモックが、まるで優しく語りかけるように、穏やかな風に揺れていた。青空の下、木漏れ日が葉の脈をくっきりと浮かび上がらせ、世界から喧騒が消え失せたかのように、時間だけがゆったりと流れていく。
 その至福の空間に身を任せ、目を細める一人の男がいた。異世界チート作家、茶川龍介である。
 
「……ん~~……最高……静かだし、ぽかぽかだし……今日こそ本気で昼寝する……!」
 
 わずかに眉を上げ、リュウは「至福の午後」を全身で噛み締めた。だが、その耳に、突如として玄関から飛び込んできた慌ただしい足音が、静寂を容赦なく打ち破る。
 
「リュウ! リュウたい、大変なことになっとるばい!」
 
 ルナが、息を切らしながら駆け込んできて、焦った声を張り上げた。その表情は、普段の朗らかさとはかけ離れた、尋常ではない焦りに満ちている。
 
「……え? なに? 火事? 暴走魔獣? それともダルクスがまた芋焦がした?」
 
 リュウはまだハンモックから起き上がろうともせず、余裕たっぷりに問いかけた。どうせまた、いつもの騒ぎだろうと高をくくっていたのだ。
 
「そげん甘っちょろい話じゃなか! 舞踏会の依頼がきたと!」
 
 ルナの顔が、今までにないほど真剣になった。その言葉に、リュウの片目がピクリと開き、心臓が跳ねる。
 
「……ぶ、ぶとう……会……?」
 
 夢うつつのまどろみが、一瞬にして吹き飛んだ。舞踏会という単語に、リュウの脳裏に、ある人物の顔がフラッシュバックする。
 
「まさか……レオの……あの……」
 
 ルナが、まるで不吉な予言でも口にするかのように、口元を押さえた。その沈黙が、リュウの予感を確信へと変える。
 
「そげなそげな! レオさまの花嫁選び舞踏会たい!」
 
 ルナの声が、リュウの全身を稲妻のように震わせた。最悪の予感が的中したのだ。
 
「やあああああああああああああ!!!」
 
 リュウは、悲鳴と共にハンモックから大ジャンプ。干し芋を巻き込みながら布が宙を舞い、彼の至福の午後が、一瞬にして粉砕された。
 
「おちつきんしゃい! まだ依頼の内容全部聞いとらんやろ!」
 
 ルナが叫ぶが、リュウの動揺は止まらない。彼の頭の中には、すでに「スローライフ完全崩壊」の文字が踊っていた。
 
「いや、だいたい察するよ!? 王族の婚活パーティーみたいなもんに、うちの料理と給仕出せって話でしょ!? なにその、スローライフ完全否定イベント!!!」
 
 ルナは額に手を当て、深い溜め息をついた。リュウの言い分も、あながち間違いではない。
 
「内大臣さまからの直々の依頼で、王城の舞踏会で料理一式、筆の家にお願いしたいってさ。要はレオさまのお披露目会……結婚相手を見極める華やかな行事やね」
「レオが嫌がってる未来が、すでに見える……!」
 
 リュウは叫びながらも、内心で悟っていた。これ、断れないやつだ。相手は王国の宰相と、レオの父である国王直々の命令に極めて近い案件。筆の家ごときが、おいそれと断れるものではない。
 
「……でもさ、材料の野菜と果物はうちでどうにかなるとして、問題は……肉と魚か」
 
 スローライフは諦めるとして、現実的な問題が山積している。
 
「そやね。ミランダさんに頼んで、元宮廷の人脈で肉は確保できると思うばってん、魚は……」
「王都に鮮魚は、まず入ってこんもんな。普通は干物止まりだ」
 
 リュウは視線を遠くに向け、しばし考え込んだ。筆の家で提供する以上、妥協はできない。そしてやがて、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 
「よし……やるか。決めたら徹底的にやるのが筆の家だ。舞踏会だろうが、王族だろうが、胃袋掴めばうちの勝ちだ!」
「……結局ノリノリやん」
 
 ルナが呆れてツッコミを入れた。だが、リュウにはリュウなりの覚悟がある。
 
「言うな、ルナ。そうでもしなきゃ俺のスローライフは守れないんだ!」
 
 リュウは決意を込めて拳を握りしめた。
 
「総員! 舞踏会作戦、準備開始だぁぁぁぁぁ!!」
 
 こうして、筆の家にまたひとつ、とんでもない騒動が舞い込むのであった。静かで穏やかな日常は、またしても遥か彼方へと霞んでいく。
 
 舞踏会まで、残すところあと十日。
 
 筆の家は、これまでにないほどの慌ただしさに包まれていた。厨房からはミランダの厳しい怒号が飛び交い、包丁のリズミカルな音がまるで戦場のように響き渡る。裏庭ではルナとバズが、肉の解体手順を熱心に練習し、倉庫ではミーガンが在庫帳とにらめっこしながら頭を抱えていた。そして、この騒動の中心人物であるリュウも、原稿帳を抱えて走り書きに余念がない。彼のペン先からは、魔力と共に新たな策略が生まれていく。
 
「……ふむ、港町まで扉でつなげば、鮮魚の流通、いけるか?」
 
 リュウは大きな地図を広げ、指でとある港町を差した。彼の特殊能力である「扉召喚」の魔力を組み込むページに、魔符を走らせては消し、また書き足す。試行錯誤が続く。
 筆の家は自前の広大な畑を持ち、王族向けの最高級野菜や果物には事欠かない。しかし、舞踏会のメインを飾る「最高級の肉と魚」というハードルは、想像以上に高かった。
 
「肉ならなんとかなるわ」
 
 ミランダが大鍋をかき混ぜながら、頼もしい声で言った。
 
「宮廷時代の人脈を駆使して、国境近くの牧場から質のいい牛肉と地鶏を確保したの。ただ……」
「魚が、圧倒的に足りないっス……!」
 
 ミーガンが、困ったように帳簿を掲げ、眉を寄せる。
 
「そもそも王都は内陸だから、鮮魚が届くのは本当に稀なんです。港町から馬車で運ぶと、到着時には干物か塩漬けになっちまう」
「なんで王都は、内陸なのに海の幸を好むんだよ!」
 
 バズが、もはや叫びにも近い声で訴えた。その通りだ。なぜこんなにも、王族は新鮮な魚を求めるのか。
 
「それは私も聞きたいわ!」
 
 ミランダが汗を拭い、諦めたようにため息をついた。誰もが頭を抱える中、彼らの前に、さらなる障壁が立ちはだかる。
 
 そんな折、筆の家に紋章入りの豪華な馬車が乗りつけた。車から現れたのは、鼻につくほど上品な、いかにも貴族然とした青年だった。
 
「我が名はバルストン家の次男、フィルベルト卿。今回、国王陛下のご命令と聞いて舞踏会の準備に協力を申し出たのだが……」
 
 フィルベルト卿は、挑戦的な視線をリュウに向け、慇懃無礼な態度で言い放った。
 
「君が筆の家の主人かね? 余の家の商隊が、君の店向けに用意された肉の一部を預かることとなった。国王陛下への貢献のため、協力していただきたい」
「はぁ!? 王命を理由に横取りするとは何事だ!」
 
 リュウは、あまりの理不尽さに飛び上がり、抗議の声を上げた。だが、卿は涼やかに肩を竦めるだけだ。
 
「貴族社会の規律だ。少々、反省してほしいね、下賤な者どもが」
 
 妨害は、これだけでは終わらなかった。協力してくれるはずだった取引業者から、次々と「契約を打ち切る」という連絡が入る。一時は絶望の淵に沈みかけた筆の家。だが、この家には、何よりも強い「仲間の輪」があった。
 
「へへ、うちの父ちゃんが山で鹿狩ってるんだ! めっちゃ新鮮だから、すぐ送ってもらう!」
「ウチの部族の親戚、牛の世話しとるぞ! 売ってくれるか聞いてみるわ!」
「港町の友達に連絡してみる! 魚の目利きなら任せとけって!」
 
 筆の家に集う獣人、魔族、エルフ、そして孤児たち。それぞれのルーツと人脈を駆使し、不可能とも思われた高級食材を、一点ずつ、文字通り手作業で回収していく。彼らの絆が、この危機を乗り越えるための原動力となっていた。
 そして、リュウは最終的な決断を下した。
 
「よし、俺が行く。港町まで!」
 
 王都から馬車をひたすら走らせ、リュウはついにリーヴェン港に降り立った。潮の香りが混じる海風に髪をなびかせながら、彼は原稿帳を大きく広げる。ここからは、彼のチート能力の出番だ。
 
《リーヴェン港の市場と、筆の家王都支店を繋ぐ“魔法の扉”を常時開設。双方向配送により、鮮魚が即日入荷可能となる》
 
 リュウがペンを走らせると、空中に青い魔符陣が音もなく浮かび上がり、その中央にひらりと漆黒の扉が現れた。扉の向こう側には、筆の家厨房の熱気と、慌ただしく調理に励むミランダたちの姿が映し出されている。
 
「……繋がった。鮮魚ルート、これで完了!」
 
 リュウは拳を握りしめ、心から安堵の息を吐いた。これで、鮮魚の問題は解決だ。
 スローライフは遥か遠い。だが、大切なのは、目の前で誰かの笑顔を支えること。そのために、今日もリュウの筆は、休むことなく走り続ける。彼の物語は、静かな生活とはかけ離れた、波乱に満ちた道を突き進む。
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