『チート作家の異世界執筆録 〜今日も原稿と畑で世界を綴る〜』

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第41話 この世界に、おにぎりがないだと!?

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 はぁ……
 発酵食品倉庫のハンモックに身を委ね、リュウは深いため息を吐いた。見上げれば、夜明け前の淡い群青色が天窓から差し込み、木の梁をやわらかく照らしている。ここまで来た。「味噌玉」が王宮御用達となり、王都を席巻した発酵帝国「筆の家」は揺るぎないブランドへと成長した。味噌工場はフル稼働、醤油や枝豆も続々と販売開始。いまや誰もがその名を知り、誰もが発酵の魔力に酔いしれている。
 なのに、なぜか心が満たされない。
 書き出しのノートを手放し、リュウはぽつりと呟いた。
 
「なんか、こう……主食が、足りない……」
 
 生粋の日本人として、どこか“腹の底”が渇いている感覚。満たされない“ご飯”への渇望。ハンモックごと飛び起き、リュウの目がきらりと輝いた。
 
「そうだよ! おにぎりがないんだよ!!」
 
 突然の絶叫に、倉庫の奥からエルドがひょこりと顔を出した。小さな瞳が興味深げに瞬く。
 
「どうしたリュウくん、ついに文明の根幹に気づいたかね?」
「エルド、お前ちょっと黙って。おにぎりの神聖さに水を差すな」
 
 この世界には確かに「ライス」はある。けれど、調理法があまりにも非情だった。
 大釜で茹でられたライスは、ざるで水を切るだけの簡易調理。香りは強いものの、口に含めばパサパサと粒が弾け、粘りはまるで皆無。固まらず、握ることすら許されない。
 
「なるほど……だから“おにぎり文化”が育たなかったのか」
 
 リュウの脳裏に、一筋の革命の炎が灯る。
 
「ってことは、そこに俺が革命を起こす余地があるってことじゃんかぁぁぁ!」
 
 その瞬間、ルナが颯爽と現れ、情熱的な雄叫びを真顔で引き留めた。
 
「それ、ぜったいスローライフから遠ざかる流れやろ?」
「わかってる! でも俺はやるんだ! おにぎりが食べたいんだ!!」
 
 数時間後。
 ログハウスの東側、小川のほとりには静かな水音が響いていた。透き通る水面は朝日の煌めきを受け、まるで万華鏡のようにきらきらと瞬く。リュウは河岸に立ち、深呼吸をひとつ。土の香りと水の冷気が胸に沁みる。
 
「水田をつくるなら、ここしかない。川の水は豊富だし、土地も比較的平らだし……」
 
 穏やかな景色に背を向け、リュウは筆を走らせる。
 
《小川から流れ込む豊かな水で満たされた水田。黄金に輝く稲穂をたわわに実らせ、冷めても美味い甘くて粘り気の強い“ササニシキ”が一面に生い茂る》
 
 シュウゥゥン……!
 光の波紋が周囲を包み込み、土地がゆらりと揺れる。やがて霞のような風が吹き抜け、目の前には金色に染まった田んぼが広がっていた。稲の葉がそよぎ、細長い葉の間から穂先が顔を覗かせている。その光景は、リュウにとってまさに故郷の記憶そのものだった。
 
「これが……日本米、ササニシキ……!」
 
 リュウはそっと稲穂に触れ、その手触りの滑らかさに思わず笑みを浮かべた。
 
「粘りと甘み、そして冷めても美味い。おにぎりには、この子が欠かせないんだ……!」
 
 収穫は早送りされたかのように進み、白い籾殻が舞う中で黄金の粒が袋詰めされた。ログハウス前にはルナが待ち構えており、リュウは再び筆を手にした。
 
《石臼と杵による精米機構を設置し、籾殻を丁寧に取り除いて純白の米粒を得る》
 
 バフッ!
 轟音とともに、巨大な石臼と杵が目の前に出現する。臼の脇に米が踊り、杵が何度もぺったん、ぺったんと米をつき上げる。ルナと交代で杵を持ち、二人でリズムよく精米作業を進める。
 
「搗くべし! 搗くべし!! ルナ、交代交代ね!」
「……なして、私が米をついてるん?」
「仕方ないだろ! “書くだけ”の時代は終わったんだよ!!」
 
 真っ白な米粒を手にしたリュウは、心臓が高鳴るのを感じた。その手で一粒ずつ米をかき集め、大きな釜へと移す。
 
「ミランダさん、炊いて! 釜で! 炊きたてで!!」
「ええ、流れでわかってるわよ、ちゃんと。水加減は?」
「完璧だ──!」
「じゃあ、少し待っときな。すぐ、炊きたて出してやる」
 
 薪のぱちぱちという音に、鍋底で米が踊るような気配が伝わる。やがて、白い湯気がゆるやかに立ち昇り、ログハウス前に甘く芳しい香りが漂い始めた。
 
「この香り……やばい……」
 
 リュウの鼻腔が一瞬でとろける。かつて味わったことのない、甘くてふくよかな米の香り。炊飯器のないこの世界で、釜で炊き上げた米粒はひとつひとつがふっくらと立ち、湯気に光を宿していた。
 リュウは慎重に塩をほどこし、白飯を三角に握りしめる。握るたびに米粒がきゅっと馴染み、熱が掌にじんわりと伝わる。
 
「さぁて……いただきます!」
 
 一口かじると──
 
「……うおおおおぉぉぉぉ!!!!」
 
 天地が揺れるほどの感動が口いっぱいに広がる。もちもちとした食感の後、ほろりとほどける粒。噛むほどに甘みと旨味がじわりと滲み出し、脳下垂体を直撃する幸福感。
 
「日本人に生まれて……よかったああああ!!」
 
 思わず拳を掲げたリュウに、ルナがほほ笑みながらツッコミを入れる。
 
「スローライフはどこいったと? また無駄に働いとるやん」
「ちがう! これは、心の平穏のための“投資”なんだ!!」
「なんか言い訳してる!」
 
 こうして、異世界初のおにぎりは、筆の家から誕生した。
 次は誰に食べさせようか?
 “焼き味噌おにぎり”や“味噌汁セット”の未来は?
 リュウの新たな革命は、まだ始まったばかりだ。
 
 淡い朝霧が残る王都の石畳に、いつになく早い行列ができていた。空はまだ薄明かりのまま、遠くで水車が静かに回る音が響く。その木洩れ日の向こう側で、冒険者たちの声がにぎやかにこだましている。
 
「おいおい、今日は開店前だぜ?」
「昨日、厨房亭で炊きたての白いやつが出たって聞いたんだ! “にぎった飯”って何だよ、って思ったけど……」
 
 甲冑のすき間から覗く鎖帷子が、朝日に反射してちらりと光る。一行はずらりと並び、武器袋を肩に揺らしながら口々に興奮を語り合った。彼らの目は、獲物を追うときのような真剣さで、厨房亭の扉に注がれている。
 
「味噌玉と合わせたら最強って噂だぞ! しかも“腹持ち最高”っていうから試さずにはいられねぇ!」
「……もうこれ以上、“固いパンと乾いた肉”の拷問飯には戻れねぇんだよ!!」
 
 そう、冒険とは常に予測不能な困難の連続。長時間のダンジョン探索に、突如現れる凶暴な魔獣。だが、腹が減っては戦はできぬ。彼らは理屈ではなく、本能で「米の力」を知っていたのだ。
 厨房亭のカウンターから顔をのぞかせたミランダは、呆れたように眉を上げた。銀色に光る包丁を片手に、まだ目を覚まさぬ店内を見下ろす。
 
「で、これはどういうことなの?」
「えーっと……昨日の“塩むすび”を冒険者さんが持ち帰って、野営先で食べたらしいんだよね」
 
 リュウが小声で答え、続けた。
 
「で、“感動した”って泣きながら筆の家に報告しに来てさ……」
 
 ミランダは思わず頭を抱えた。
 
「泣くほどの飯、って何よ」
「泣くほどの米なんだよ。米は魔法だって、隊長が言ってたんだって!」
 
 厨房では、モモとフィナがせっせと塩むすびをにぎり、香ばしい焼き味噌おにぎりを次々と仕上げていた。鉄板の上で焦げる味噌の甘い香りと、ほかほかの白飯の湯気が渾然一体となり、狭い厨房内に小さな祝祭を起こす。
 
「はい、次“塩むすび”完成~!」
「“焼き味噌おにぎり”ももうすぐ焼けますっ!」
 
 そのとき、冒険者パーティーが勢いよくドアをバーン!と開け放った。鎖帷子にへばりつく土砂や血糊が、彼らの激闘を物語る。
 
「リュウさーん!」
「これ、うちの隊長が『戦う前に塩むすび食ったら攻撃力上がった』って言うもんだからさ! 冗談かと思ったけど、マジで昨日の魔獣戦、二倍速で動けたんだぜ!」
 
 興奮に口を震わせる若き戦士の隣で、老練の剣士が肩をすくめる。
 
「そ、それって多分、炭水化物のエネルギー補給……」
「気のせいだなんて言うなよ! そのエネルギーが神だって言ってんだ!!」
 
 次々と飛んでくる注文に、厨房はもう大混乱。だが、誰ひとりとして眉をひそめず、むしろ晴れやかな笑顔を浮かべているのが印象的だった。
 その日の売上は過去最高を更新。「筆の家のおにぎり」は、瞬く間に“冒険者メシの王座”に輝いた。
 閉店後、フィナとモモは厨房の片隅でひと息つきながら、シンクに手をついて顔を見合わせた。
 
「ねえ……フィナ」
「うん……」
「私たち、今……めっちゃ米にぎってるね」
「うん……でも嬉しいよね」
 
 モモが小さく笑い、続ける。
 
「あとで味噌汁もつけよう。もう、絶対つけよう」
 
 夜。深い闇を背に、リュウはまたしてもハンモックに身を沈めた。冷たい夜風が体をくすぐる。
 
「スローライフ、どこ行った……?」
 
 その呟きに、静かな声がそっと返る。
 
「リュウ……ごはんって、誰かの“心”もにぎっとるんやろ?」
 
 振り返ると、ルナがやさしい微笑みをたたえて立っていた。
 
「……なんか今、すごくいいこと言ったよね?」
 
 微かに笑うリュウに、ルナは肩を竦めた。
 
「でも炊飯の予約は明日分までパンパンやけん、覚悟しときんしゃい」
「スローライフ、また遠ざかったぁぁぁ!!」
 
 こうして、炭水化物と発酵の最強タッグは、異世界の冒険者たちの胃袋と心を、強力に握り締め始めたのだった。
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