婚約者に大切にされない俺の話

ゆく

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50. 負けない

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*泰樹視点です*






 真緒ちゃんの発情期が終わって、ヒロは俺とナオと一緒に瀬尾へと戻った。

 てっきりそのままマンションに居座るものと警戒していた俺は拍子抜けしたものの、そこに若干の不気味さ感じる。


 真都さんの襲来は完全に想定外だった。

 いや、仲の良い兄弟だから、もしかしたら来るかもしれないとは思っていたけれど、まさかあの場でヒロの浮気に対する糾弾が始まるとは思っていなかった。

 俺と真緒ちゃんの仲が、ほんの少しだけでも進展した後だったらまだ良かったのにと思わなかったわけじゃない。


 しかもまさか真緒ちゃんにヒロに対して「嫌いじゃない」と言わせることになるなんて、ねぇ、誰が想像できた?

 別にヒロが好きだと言ったわけじゃない。俺だって真緒ちゃんに「宏樹を選ぶとか、そういうわけじゃない」と言われたけれど。


 でも、でも、せっかく真緒ちゃんがヒロから離れられるチャンスだったのに――


 ヒロのことだから真緒ちゃんに許されたと勘違いしてマンションに残るかと思ったけれど、さすがにそこまでは浅慮じゃないようで安心した。ヒロならやりかねない。


 ――ヒロのあの告白。

 両親が善人ではないことにはとっくの昔に気づいていた。

 善人なら、あの十五年の冬、真緒ちゃんを貪ったヒロを放っておくはずがない。

 善人なら、婚約解消を訴える真緒ちゃんを一蹴したりなんかしない。


(まさか、ベータ売りまでさせてるとは思ってなかったけど……)


 この家は地獄だ。
 でも、だからと言ってそれが真緒ちゃんを傷つけていい理由になってたまるもんか。


 
「ねぇヒロ。今まで自分が真緒ちゃんに何をしたか、ちゃんと覚えてる?」


 瀬尾に戻って早々に部屋で籠もろうとしたヒロの手首を掴んで引き留めた。

 昏い目が俺とかち合う。その目は落ちくぼんでいて、クマもひどくて、それがいっそ演技だったらいいのにと思う俺は、多分きっと誰よりも冷たいんだろう。


「あれだけ真緒ちゃんをないがしろにしたのに、嫌いじゃないって言ってもらえて嬉しいだろ? でも、ヒロのことが好きってわけじゃないんだから――勘違いするなよ」
「…………思ってないから安心しろよ」


 連日の引きこもりで体力の落ちているヒロは、俺の手も振り解けない。ナオが仲裁しようとしたけれど、俺がひとにらみしただけで何も言えなくなった。

 こんな俺を真緒ちゃんが見たら幻滅されてしまうかなぁ。

 俺は期待を持たせたくなくて、わざとヒロの傷口を抉って、何としてでも真緒ちゃんから引き離したいだけなのに。


「……お前、真緒がいないと随分態度が違うんじゃねえの?」
「それはヒロも同じでしょ、何を今更」


 俺はしらけた笑いを皮膚の上に浮かべる。
 そういう意味では、誰の前でも態度が変わらないのはナオだけだろう。




 真緒ちゃんの目に俺がどういう人間に見えているのかはわからないけれど、俺はこの会えなかった八年間で色々と拗らせてしまっている自覚がある。

 自分の外見がヒロに似てきたことを自覚してからずっと会うのを避けていたから、実際に会っていないのはもっと長い。

 真都さんからは折々に情報をもらってはいたけれど、真緒ちゃんの顔も見れない、声も聞けないことは辛かった。


 会いたい。会いたい。会いたい。


 友達もいない慣れない海外で我慢ができなくなりそうになったら、真緒ちゃんの笑顔を思い出した。友達ができて毎日が楽しくなったら、真緒ちゃんの泣き顔を思い出した。

 負けない。自分に負けない。ヒロに負けない。瀬尾に負けない。


 ヒロのようにベータへ売られなかっただけマシなのか。
 きれいな体だと揶揄されようと、俺は自分にできることをするしかない。


 ・ ・ ・


「嫌です。絶対に認めない。どうしてもヒロと暮らすなら――俺もここに住みますから」


 俺がそう言うと、真緒ちゃんの大きな黒目がこぼれ落ちちゃうんじゃないかってくらいに見開かれて、次の瞬間「は?」と至って怪訝そうに聞き返された。


(……ああ、可愛い。すごく可愛い。笑ってない顔も可愛いとかどんだけなんだよ)


 俺も婚約者候補なのにいまいち真緒ちゃんには伝わっていないような気がするけれど、今はそれでいい。ヒロを真緒ちゃんに近づけない。負けない。

 怪訝そうな真緒ちゃんと、そんな彼に自分との同居のメリットを熱く語る俺の姿を、ヒロとナオはただ挑みかからんばかりの眼差しで見つめている。

 そしてそんな俺たちを、真都さんが怜悧な目で品定めしていることには気づかなかった。
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