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1章 20年目の憂い
「許してください」
イリージア王国での独立祭まで二月ほど。
シャリアはキャベリア国の王宮にいた。
父にフィオネ王女への随行を承諾した3日後のことである。
「シャリア様、お待たせいたしました。私フィオネ王女の女官を務めておりますキオラ・エネットと申します。」
エネット家といえばフォンゼルと並ぶ家柄である。
このように立派な女官がいるのにどうして私を。
「シャリア・フォンゼルです。ご丁寧にありがとうございます。」
にっこりと笑うその顔はなんの裏もなさそうに見えても分かってしまう。
彼女やエネット家は顔に泥を塗られた状況を良く思ってはいない。エネット公爵は国政に参加はしていないものの国内産業の基盤とも言える鉄の製造を行っている。日用品から建築、軍用品にいたるまで欠かせない鉄を握っている彼を怒らせてしまえばキャベリアの国力は一気に衰えるだろう。
なぜ角の立つようなことを。
エネット公爵夫人の背中を眺めながら考えていると廊下に飾られた一枚の絵に目を奪われる。
当時王太子同士だったキャベリア国王とイリージア国王の肖像画。
二人は固い握手を交わしている。
ランゼルお兄様。
「キャベリアが独立する直前にイリージア国王が訪問された時の絵です。」
私が立ち止まったことに気付き歩みを止めた夫人が絵の前までくると微笑んだ。
「シャリア様には珍しいでしょう。(独立時代も知らない貴女には役不足ですわよ。)」
まあ、これこそ貴族の嗜みですね。
久しぶりに味わった貴族の回りくどく笑顔で毒を吐く言動にシャリアはなぜか興奮とも言える高鳴りを感じた。
王女の鏡と評されていたセシリアは貴族の嗜みも王族の威厳でねじ伏せることを案外楽しんでいた面がある。本人は自覚などしていないが。
「仰るとおりでございますわ。さすがはエネット公爵夫人。よくご存知なのですね。(年だけを重ねたことに何の意味があるのでしょう。)」
顔の近くで両手を合わせて微笑んでみせると夫人は一瞬の間をおいてええと呟くにとどめた。
品定め程度でしょうか。
応戦はさすがにしないのね。
さすがに陛下の思惑が分からない今、変に関係を悪化させる理由はフォンゼルにもエネットにもないもの。
ある一室の前には扉の両側にそれぞれ騎士が控えている。
それが意味していることをシャリア自身がよく知っていた。
単調だったはずのシャリアの歩幅に乱れが生じた。
・・・
「姫様、何事ですか!」
ノックも忘れて勢いよく部屋に飛び込んできたカルティエを見て思わず駆け寄る。
「む、虫が落ちて来たのです。とても大きくて驚いてしまって。その。」
投げ飛ばされた本は棚に飾られていた花瓶に直撃し、床には鮮やかな紫色のヒヤシンスが割れたガラスとともに散乱している。
「お怪我はありませんか!」
いつもと違い焦った様子の彼は、私に怪我がないかと身体を見て出血のないことを確かめると眉を下げ良かったと声をもらした。
私を見る彼とのあまりの距離の近さに顔が熱くなりそうになるのを落ち着かせ、形作った笑みを装い何事もないように離れる。
「可哀想なことをしてしまいました。」
散らばった花へ手を伸ばすと横から伸びてきた彼の大きな手が花を拾い上げていく。
その手を眺めていれば綺麗な形を保った一輪をすっと私の顔の前に差し出した。
紫色のヒヤシンスと彼の菫色の瞳が重なる。
濡れたヒヤシンスの花弁から一滴の滴が零れた。
彼はすぐに手を下げ私から視線を外す。
「ここは危ないですから。姫様はあちらへ。」
そう促され寝台の端に腰掛けると彼の背中を見つめた。
紫のヒヤシンスの花言葉を彼は知っていたのでしょうか。
私に一瞬差し出された花に当時は意味などないと思っていたけれど。
シャリアはキャベリア国の王宮にいた。
父にフィオネ王女への随行を承諾した3日後のことである。
「シャリア様、お待たせいたしました。私フィオネ王女の女官を務めておりますキオラ・エネットと申します。」
エネット家といえばフォンゼルと並ぶ家柄である。
このように立派な女官がいるのにどうして私を。
「シャリア・フォンゼルです。ご丁寧にありがとうございます。」
にっこりと笑うその顔はなんの裏もなさそうに見えても分かってしまう。
彼女やエネット家は顔に泥を塗られた状況を良く思ってはいない。エネット公爵は国政に参加はしていないものの国内産業の基盤とも言える鉄の製造を行っている。日用品から建築、軍用品にいたるまで欠かせない鉄を握っている彼を怒らせてしまえばキャベリアの国力は一気に衰えるだろう。
なぜ角の立つようなことを。
エネット公爵夫人の背中を眺めながら考えていると廊下に飾られた一枚の絵に目を奪われる。
当時王太子同士だったキャベリア国王とイリージア国王の肖像画。
二人は固い握手を交わしている。
ランゼルお兄様。
「キャベリアが独立する直前にイリージア国王が訪問された時の絵です。」
私が立ち止まったことに気付き歩みを止めた夫人が絵の前までくると微笑んだ。
「シャリア様には珍しいでしょう。(独立時代も知らない貴女には役不足ですわよ。)」
まあ、これこそ貴族の嗜みですね。
久しぶりに味わった貴族の回りくどく笑顔で毒を吐く言動にシャリアはなぜか興奮とも言える高鳴りを感じた。
王女の鏡と評されていたセシリアは貴族の嗜みも王族の威厳でねじ伏せることを案外楽しんでいた面がある。本人は自覚などしていないが。
「仰るとおりでございますわ。さすがはエネット公爵夫人。よくご存知なのですね。(年だけを重ねたことに何の意味があるのでしょう。)」
顔の近くで両手を合わせて微笑んでみせると夫人は一瞬の間をおいてええと呟くにとどめた。
品定め程度でしょうか。
応戦はさすがにしないのね。
さすがに陛下の思惑が分からない今、変に関係を悪化させる理由はフォンゼルにもエネットにもないもの。
ある一室の前には扉の両側にそれぞれ騎士が控えている。
それが意味していることをシャリア自身がよく知っていた。
単調だったはずのシャリアの歩幅に乱れが生じた。
・・・
「姫様、何事ですか!」
ノックも忘れて勢いよく部屋に飛び込んできたカルティエを見て思わず駆け寄る。
「む、虫が落ちて来たのです。とても大きくて驚いてしまって。その。」
投げ飛ばされた本は棚に飾られていた花瓶に直撃し、床には鮮やかな紫色のヒヤシンスが割れたガラスとともに散乱している。
「お怪我はありませんか!」
いつもと違い焦った様子の彼は、私に怪我がないかと身体を見て出血のないことを確かめると眉を下げ良かったと声をもらした。
私を見る彼とのあまりの距離の近さに顔が熱くなりそうになるのを落ち着かせ、形作った笑みを装い何事もないように離れる。
「可哀想なことをしてしまいました。」
散らばった花へ手を伸ばすと横から伸びてきた彼の大きな手が花を拾い上げていく。
その手を眺めていれば綺麗な形を保った一輪をすっと私の顔の前に差し出した。
紫色のヒヤシンスと彼の菫色の瞳が重なる。
濡れたヒヤシンスの花弁から一滴の滴が零れた。
彼はすぐに手を下げ私から視線を外す。
「ここは危ないですから。姫様はあちらへ。」
そう促され寝台の端に腰掛けると彼の背中を見つめた。
紫のヒヤシンスの花言葉を彼は知っていたのでしょうか。
私に一瞬差し出された花に当時は意味などないと思っていたけれど。
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