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1章 20年目の憂い
敗者の戯れ言
しおりを挟む「ならばどちらが先攻か?」
陛下の問いにオルヴィが自信に満ち溢れる声を出した。
「私から参ります。」
「よいか?」
「はい。」
私の返答を受けた陛下はある騎士に頷いた。
高貴な身分であろう中年の騎士はどことなくウィルヘム殿下に似ているような気がする。
その彼の指示で騎士達が各々位置に着く。
「それではエネット公爵家オルヴィ・エネット殿による先攻です。」
下ろしていた赤い髪を纏めた彼女は立ち位置の線で弓を構え狙いを定める。
――――パンッ
「的中です。」
騎士が当たったことを知らせた。
「では後攻、フォンゼル公爵家シャリア・フォンゼル殿。」
オルヴィはすれ違い様に笑顔で囁いた。
「引きこもり令嬢さんは恥をかくだけですよ?」
わざわざ読唇術できないよう唇は動かさない周到ぶり。
「そうかもしれませんね。」
私も彼女に倣って唇を動かさず微笑んで返事をする。
気にも留めない私の態度に一瞬悔しそうな顔を見せたが、「頑張って下さい。」とわざと応援する言葉を周りに聞かせた。
彼女を横目に私は指定の場所へと立つ。
渡されたのは軽量化された小さい弓矢でいわばお遊戯用である。
私を見つめるウィルヘム殿下が視界に入ったがすぐに的へと視線をやる。
――ウィルヘム殿下の婚約者にはならないためです。
弓を構えつつ心で懺悔し、的の横に照準を合わせ矢を放つ。
放たれた矢羽が空を回転しながら進みゆくのを、時が止まったようにはっきりと目に捉えた。
無音の中で聞こえたのはルイフェルとの婚約を白紙に戻した舞踏会終わりでのカルティエの言葉。
(「姫様は本当にいつもご無理をなされ過ぎです。こちらが肝を冷やしてしまいます。」)
ふっと柔らいだ菫色の瞳がこちらを見つめている。
(「しかし、そのように凛としたお姿が私達の誇りであるのです。私が必ず御守りしますので――。」)
――――グサッ
「「………どうか姫様はそのままでいて下さい。」」
的から外れた矢を茫然と眺めながらカルティエの声に自分の声を重ねていた。
「、、、は、、外れです。」
緊迫した場に似合わず誰かがくすりと笑う。
「やはりご無理はされない方がよろしいのではないですか?本日は活動的でしたし。」
オルヴィは心配そうな口振りをしていても上がった口角を隠しはしない。
「そうですわね。お身体のことを思うと辞退された方がよろしいと思います。随行の件もフォンゼル公爵家としてお断り出来なかったのでしょう?ここは肩肘張らずにオルヴィに任せたほうがフォンゼル公爵ひいてはキャベリア国のためですよ。そうは思いませんかフォンゼル公爵殿?」
エネット夫人はセネルへ賛同を求めた。
後に引けなくなったシャリアから辞退するとは言いづらいだろうとセネルに語りかけたのだ。
それは早計であったとすぐに知ることになる。
「陛下。少しばかりこの試合は公平ではないようです。」
シャリアの負け犬の遠吠えのような発言は、エネット家以外の眉もひそめさせた。
「往生際が悪いのではないか?」
陛下の言葉に軽く目を閉じれば、瞼の裏には城壁からの星空が広がる。
イリージアに行くと決心していたのに、殿下との婚約から逃れたい気持ちが先走り手を抜くなどセシリアとして恥ずべき行為ですね。
カルティエの言葉で目が覚めるなんて。
イリージアの独立祭に行くためこの勝負に負けてはいけない。
「この弓矢が普通の弓矢であれば、このように恥を偲んで発言をしてはおりません。」
「何をおっしゃられるかと思えば。みっともないですよ。陛下はお許しになられましたが、馬の件もフォンゼル公爵家としてどうかと思います。お屋敷にこもられていたので身近に淑女の鏡がおられなかったのでしょうか。」
エネット夫人が嫌悪感を示すとオルヴィが続いた。
「身近にといえばお母様がおられるのではなくて?あら、ご免なさい。シャリア様にはお母様がおられなかったのですよね。それなら淑女として至らない点があっても仕方ありませんわ。」
――――母親のいない令嬢は淑女らしい振る舞いは出来なくて当然。
そう嘲笑ったエネット母娘にピキっと空気に亀裂を裂いたのは誰であっただろうか。
亡き妻と娘を馬鹿にされたフォンゼル公爵か。
間接的にも療養中の王妃と王女を侮辱された陛下やノルア殿下、フィオネ王女か。
それとも一歩足を踏み出したウィルヘム殿下か。
「ふふふ。、、、、、それはそれは。」
どれも違う。
空気を裂いたのはシャリアの冷えた笑い声だ。
顔をしかめた父とフィオネ王女に気付いた時には笑い声を出していた。
オルヴィがお茶の席での私の返しを模していることにも気付いたが――。
(今はそのようなことどうでもいい。)
淑女らしい笑みを浮かべて夫人達に語りかけると、一瞬足をたじろかせる素振りを見せた。
それを見逃しはしない。
「、、何か反論でも?」
上ずったようなオルヴィの声も動揺の表れ。
口元に手を添え夫人とオルヴィを流し見て首を傾ける。
「いえ。ただ、、、一つお聞きしたいのですが。最後の言葉はどういう意味でしょうか。」
「、、、そのようなことを尋ねてどうされたいのです?」
「じ、事実を述べたまでですのよ。」
オルヴィの「事実」という言葉に目を細める。
「そうですか。私が引きこもっていたのは、事実、、、ですものね。」
二人は別々に暮らす王妃とフィオネ王女に対しても間接的に当てはまる自分達の失言に気付いていない。
――ならば私はすべきことをするだけです。
ふわりと腰を下ろして優雅に淑女の礼を披露する。
頭の先からつま先までぬかりなく意識を配り、皆の目を奪う微笑みを浮かべる。
いつだって申しますでしょう?
場を制するものが勝者であると。
「改めましてフォンゼル公爵家が息女シャリア・フォンゼルと申します。こうして表に出たばかりの若輩者、至らない点は多々あることと存じます。恥ずかしながら皆様のご指導賜れば幸いにございます。」
シャリアの洗練された優美な礼は名家の者達の目を奪った。
高貴な身分の者程いかにその礼が素晴らしく、付け焼き刃ではないことを理解する。
(深層の令嬢どころか、どこぞの王女を匿っていたのではないか。)
多くの者が同じようにこう思った。
場の雰囲気が味方したのを感じてシャリアは口を開く。
「陛下。先程の続きを述べさせていただいてもよろしいでしょうか。」
「よいぞ。」
「オルヴィ様はこの試合の前にもこの弓矢で楽しんでおられました。それに毎年参加されているオルヴィ様には慣れたものでしょう。一方私は初めてこれを触りました。」
「だからシャリア嬢には不利だと?」
「オルヴィ様にとって不利なのです。」
「オルヴィ嬢にか?」
「このような明確な差のある中でオルヴィ様が勝ったところで、本当にオルヴィ様の優秀さを証明出来るのでしょうか?」
「負け惜しみの抵抗ですか?」
オルヴィが口を挟む。
先程といい、親子して陛下との会話に口を挟む自分達の非礼さは棚に上げているようだ。
「少々失礼致します。」
シャリアは再度同じ弓矢を持ち線に立つ。
だが、思い立ったように規定の線より10歩遠ざかった所で立ち止まり弓を構えた。
(本来ならこうせずとも済みましたのに。)
――――パンッ
的に当てた音が鳴り響くと、誰かの感心した声で静寂から拍手が生まれた。
「ま、まぐれに違いありません!」
オルヴィが声を荒げたのを見たシャリアは続け様に矢を放つ。
――――パンッ
その音が2回続いた。
「、、凄い、、3本全て中心を射ぬいております。」
的の側にいた騎士が思わず本音を漏らしつつ結果を知らせる。
「「、、、どういうこと。」」
オルヴィと夫人が信じられないという顔で同じ言葉を呟いた。
(本当の意味でエネットは不利になってしまったな。)
と冷静な者達は舌を巻いた。
「どういう条件なら公平な勝負になるのだ?」
戦況の変わった場で国王の眼が怪しく光る。
「騎射でお願いしたく。噂に聞きましたところオルヴィ様も嗜んでおられるとか。」
この勝負を訝しく思っていた者までもがシャリアの本格的な勝負の申し出に胸を踊らせた。
そのような中でしたり顔を見せたのは国王とセネル、ウィルヘムであった。
「こうなると確かに余興では物足りないな。仕切り直しといこうか。」
「国王陛下。勝負はすでに決しているではありませんか。」
あの高貴な中年の騎士が声を発した。
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