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第三章
(五)
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時は流れ、慶長十年(一六〇五年)の春を迎えていた。此の頃徳川家には慶事が続いており、長福丸の生まれた翌年には続けて鶴千代丸(のちの水戸中納言頼房)が生まれ、その翌年には中納言秀忠の正室・お江の方が竹千代(のちの三代将軍家光)を生んでいた。秀忠には先に女子が三人いたが、長子であった長丸はわずか二歳で夭折し、いまだ嫡子がいなかった。それだけに竹千代の誕生は、徳川家にとって何よりも明るい材料であった。
ちなみにこれに先立つ慶長八年、お松も駿府にて念願の男子を出産している。子は氏勝の幼名と同じく萬壽丸と名付けられ、すごぶる元気に育っていた。お亀の方も甥の誕生をことのほか喜んでいて、わざわざ城下に足を伸ばして顔を見に来るほどであった。婚儀より九年にして初子というのはずいぶんと遅く、さんざんお亀より嫌味を言われていた氏勝も、ほっと胸を撫で下ろしていた。お松はこの後氏勝との間に、さらに四男三女をもうけることとなる。
そうして江戸に幕府が開かれて、三年目に入った三月のことである。家康は中納言秀忠と十六万の軍を率いて上洛し、みずからの将軍職辞職と、その後任として秀忠の推挙を朝廷へ奏上した。そして翌四月、将軍職の禅譲は果たされ、中納言秀忠は二代将軍となったのである。
氏勝らはその知らせを、駿府にて聞いていた。この禅譲について事前に知っていた者は家中でもわずかであったようで、動揺する者も少なくなかった。お亀の方もそのひとりで、おのれはそれも知らされぬ程度なのかと落ち込んでもいた。
それに対してお松のほうは、むしろ家康のことを心配していた。
「上さまのお加減はいかがなのでしょう。もしもお身体のことが理由でしたらと案じられます」
「その心配は無用だ」と、氏勝は答えておいた。「大御所さまはなお軒昂。此度のことは、あくまでも政としての理由あってのこと」
お松はそう聞くと、「さようでございますか」とあっさり得心していた。その理由を詳しく知りたいとは思わないのかと問えば、「私が知っていても詮なきことゆえ」とのみ答える。まったくこうしたところは、まことにあのお亀の妹なのかと訝りたくもなる。
当の氏勝はといえば、今回のことは藤七よりすでに知らされていた。かの者はすっかりお亀の方の女御衆の中に馴染んで、それでいていつ抜け出しているのか、江戸の情報もしっかりと仕入れてきていた。
「織田、豊臣の失敗を見てきたゆえの決断でございましょう。なるほど慎重な男でございますな」
藤七は家康の考えについて、そう推論していた。信長と秀吉が築いたそれぞれの政権が一代で簒奪を許してしまったのは、ひとえに後継者が脆弱に過ぎたためだ。
信長の嫡子であった中将信忠は本能寺の変にてともに命を落とし、残った三七信孝、三介信雄は到底覇者の器ではなかった。秀吉の嫡子内大臣秀頼はいまだ幼少である。ゆえに家康はおのれの目が黒いうちに政権を後継に譲り、後見としてその体制を盤石なものに固めようとしているのだ。
実はそれと似たようなことを、いっときは秀吉もやろうとしていた。甥の秀次を後継者と定め、関白職を譲っておのれは太閤としてそれを支える形をとっていた。されどその体制は秀頼の誕生とともに瓦解してしまう。邪魔になった秀次は切腹に追い込まれ、そして幼い秀頼を育てる間もなく秀吉はこの世を去った。
家康はそれを見ていて学んだのであろう。関ヶ原の失態があったにせよ、嫡男は秀忠であるという姿勢は決して揺らがないと内外に示す必要があった。ならばここで、将軍の座を譲ってしまうのが効果的であろうと考えたのだ。今よりさらに老いが進み、まことに身体の自由が利かなくなってきてからでは、その効果も薄くなってしまう。
「中納言さま……いや、上さまの不安もこれで晴れることであろう。五郎太丸さまにとっても喜ばしいことだな」
「さて、さて、さて」と、藤七はまた小馬鹿にしたように笑ってみせる。「相変わらず山下さまは甘うございますな。五郎太丸さまと長福丸さま、さらに鶴千代丸さま……みな、竹千代さまとさして齢も違いませぬよ」
「何が言いたい……まさか」
「そう。一度権力を握れば、次はそれを確実におのが子へ継がせたいと思うものです。それを脅かすのは、いったいどなたでありましょうや?」
藤七はそう不吉なことを言うだけ言って、ひらひらと手を振りながら去って行った。
新将軍体制への移行はつつがなく進み、幕府による支配はなお盤石に見えた。家康は駿府城へと居を移し、大御所として新将軍を後見、そして補佐してゆくという。そうして駿府にあった五郎太丸は、伏見から拠を移してきた長福丸、鶴千代丸らとともに、直に父親の薫陶を受けながら育まれることとなった。
かつての主が帰還した駿府城は人も増え、すっかり賑やかになった。気のせいか城下にも活気が増したような気さえする。まるで江戸がそのままこの地に移ってきたかのようだった。
お亀の方もずいぶんと表情が明るくなった。阿茶の局をはじめとする他の側室たちも勢揃いし、よく集まっては仲睦まじげに歓談している。そのさまが、氏勝にはどうしても理解ができなかった。相手が天下人とはいえ、かの女らはひとりの男の寵愛を競っている者同士なのである。
「何をそんなに訝ることがあるのです。私たちはみな、何も偽ってなどおりませぬよ」
しかしそれを尋ねてみても、お亀は不思議そうに首を傾げるだけであった。
「まあ、そなたにはわからぬやもしれませぬな。されど私たちはかの大戦の折には、淀城にて身を寄せ合って助け合い、大御所さまの勝利をお祈りしていた者同士です。そして戦勝を聞いたときは、みな泣きながら抱き合ったものでした」
そう言われてしまえば、氏勝としてももうそれ以上は何も言えなかった。かの女らもまた戦場のただ中で、ともに死線を潜り抜けたのだ。その繋がりはきっと、余人には想像できぬものなのであろうと得心するしかなかった。
五郎太丸も、年の近い兄弟たちといつでも会えるというのは嬉しいことのようだった。このところは氏勝が庭木を切り出して作った小さな弓で遊ぶのがお気に入りで、それを見た長福丸が興味を示したので、城の中庭に出て熱心に教えてやっている。どうやら同じものをもうひと張り作る必要がありそうだと思いながら、氏勝はそれを微笑ましく眺めていた。
思いは長福丸の傅役である安藤帯刀も同じだったようだ。ときおり中庭に現れては、睦まじげに遊ぶ幼い兄弟を目を細めながら見つめている。かの者は今も家康の側近として忙しく政務に走り回っているのだが、長福丸の成長を見守るのがその励みにもなっているようだった。
「聞いたぞ、信濃守。浅野の姫君との婚約をまとめたのはそなただそうだな」
「いえ、そのようなことは。みな大御所さまのお力添えあってのことにございます」
「謙遜するでない。まこと、よき働きをしたものよ。さよう……五郎太丸さまも長福丸さまも、これよりは幕府と諸大名との橋渡しをしていかねばならないお立場じゃ」
逆にそうでなければ、この子らが拠って立つ場すらなくなってしまう。それは帯刀もわかっているようであった。
「そういえば、加藤肥後守のところにも姫君が生まれたそうじゃ」
「ほほう……ではその姫を、長福丸さまのお相手に?」
「さて、そう急ぐことでもなかろう。良きことかな、と思ったまでよ」
厳めしい中にもちらりと人の好さげな笑みを見せて、帯刀は惚けた。されど親豊臣派の両翼ともいえる加藤、浅野両家と徳川が縁戚となれば、ますます天下は安寧に近付くであろう。そして五郎太丸と長福丸はその安寧の要であり、おいそれとは手出しもできなくもなるはずだった。
ただし、明あれば暗あり。たとえこの世の春を謳歌している徳川家にあっても、慶事ばかりは続かぬものだ。
尾張中将こと家康の四男・忠吉が、病に倒れたのである。どうやら関が原で鉄砲傷を受けた際に弾丸が体内に残り、その鉛の毒が五年かけて全身に回ったためとのことだった。
その病状は重く、ひとたびは危篤にまで陥ったほどだった。医師らの懸命な治療によってどうにか一命を取りとめたものの、なお予断を許さぬ状態が続いていた。
そんな中で年が明け、慶長十一年。いよいよ五郎太丸も元服の儀を迎えた。烏帽子親である平岩主計頭と大御所家康、さらには駿府へと参上してきた徳川重臣たちの前で、五郎太丸は立派に儀を終え、合わせて宣下された官位とともに、これよりは右兵衛督義利と名乗ることとなった。
諱の義の字は八幡太郎義家、あるいは九郎判官義経などにみるように、源氏の将に多く使われたものである。家康としてはこの字を諱に使うことで、徳川が源氏の血筋であると世に知らしめようとしたものと思われる。(のちの頼宣・頼房に使われた頼の字もまた同様である)
その夜駿府にて開かれた宴席にも、義利は母のお亀の方とともに臨席した。宴が深夜に及ぶとさすがに眠そうではあったが、気丈に最後まで凛とした姿を崩さなかった。
翌朝、氏勝は呼び出しに応じて大御所家康の自室を訪った。家康はことのほか上機嫌であった。夭折した仙千代の弟である義利が、無事に元服を迎えることができたことが、よほど嬉しかったのであろう。
「信濃守、おぬしも大儀であった。よくぞ五郎太を立派に育ててくれた。主計頭もたいそう満足しておったぞ」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」と、氏勝はにこりともせずに平伏する。
「だがわかっていると思うが、これからが肝要よ。傅役の務め、今以上に励むがいい。しかと頼むぞ」
そう言いつつ、家康はじっと観察するがごとき目を氏勝へと向けてきていた。はたしておのれの何を慥かめようとしているのかわからず、内心で戸惑っている。
「さて、おぬしの処遇であるが……」家康はじっと氏勝を見たまま続けた。「新たな禄として、近江蒲生の二千石を与えよう。少ないと思うかもしれぬが、今はこれで堪えるがよい。他に何か望むことはないか。代わりと言っては何だが、ある程度であれば融通を利かせてやっても良いぞ?」
望みと言われても、氏勝には特に思い当たらなかった。慥かに萬寿丸も生まれて物入りではあるのだが、とりあえず今の禄で十分賄えている。
「ではひとつだけ、お許しいただきたき儀がございます」
「無理難題でなければの。申してみよ」
「はっ……今は恐れ多くも信濃守という官位をいただいておりますが、できましたら父が称していた大和守を、おのれも継げたらと常々願っておりました。勝手ではありますが今後そう称すこと、お許しいただきたく存じまする」
かつて戦乱甚だしき頃は、武士が名乗る官位は正式に宣下を受けたものばかりではなく、多くが自称であった。氏勝の父大和守時慶も、また主内ヶ島兵庫頭もそうである。ならばおのれも勝手にそう称しても構わぬであろうが、一応は断りを入れておくべきと思ったのだ。
されど家康はしばし思案したのち、憮然とした顔で「……ならぬ」首を振った。
「……さようでございますか。ご無理を申し上げまして……」
「徳川の者が官位を自称など許せるはずもない。しかと宣下を受けられるよう、朝廷に働きかけてやる。ゆえ、しばし待つのじゃ……大和守よ」
家康はそう続けて、ほんのわずかに口角を上げた。氏勝はおのれの勝手な申し出が受け入れられたことに気付き、また平伏する。
正直を言えば、大和守という呼称にさほど執着していたわけではない。ただ単に、いまだに信濃守と呼ばれることへの据わりの悪さが拭えなかっただけだ。かといって折角下賜された官位を返上することもできず、それならばいっそ父と同じものを、と願ったまでのことだ。却下されるならされるで、別にそれでよしと思っていた。
ちなみにこれに先立つ慶長八年、お松も駿府にて念願の男子を出産している。子は氏勝の幼名と同じく萬壽丸と名付けられ、すごぶる元気に育っていた。お亀の方も甥の誕生をことのほか喜んでいて、わざわざ城下に足を伸ばして顔を見に来るほどであった。婚儀より九年にして初子というのはずいぶんと遅く、さんざんお亀より嫌味を言われていた氏勝も、ほっと胸を撫で下ろしていた。お松はこの後氏勝との間に、さらに四男三女をもうけることとなる。
そうして江戸に幕府が開かれて、三年目に入った三月のことである。家康は中納言秀忠と十六万の軍を率いて上洛し、みずからの将軍職辞職と、その後任として秀忠の推挙を朝廷へ奏上した。そして翌四月、将軍職の禅譲は果たされ、中納言秀忠は二代将軍となったのである。
氏勝らはその知らせを、駿府にて聞いていた。この禅譲について事前に知っていた者は家中でもわずかであったようで、動揺する者も少なくなかった。お亀の方もそのひとりで、おのれはそれも知らされぬ程度なのかと落ち込んでもいた。
それに対してお松のほうは、むしろ家康のことを心配していた。
「上さまのお加減はいかがなのでしょう。もしもお身体のことが理由でしたらと案じられます」
「その心配は無用だ」と、氏勝は答えておいた。「大御所さまはなお軒昂。此度のことは、あくまでも政としての理由あってのこと」
お松はそう聞くと、「さようでございますか」とあっさり得心していた。その理由を詳しく知りたいとは思わないのかと問えば、「私が知っていても詮なきことゆえ」とのみ答える。まったくこうしたところは、まことにあのお亀の妹なのかと訝りたくもなる。
当の氏勝はといえば、今回のことは藤七よりすでに知らされていた。かの者はすっかりお亀の方の女御衆の中に馴染んで、それでいていつ抜け出しているのか、江戸の情報もしっかりと仕入れてきていた。
「織田、豊臣の失敗を見てきたゆえの決断でございましょう。なるほど慎重な男でございますな」
藤七は家康の考えについて、そう推論していた。信長と秀吉が築いたそれぞれの政権が一代で簒奪を許してしまったのは、ひとえに後継者が脆弱に過ぎたためだ。
信長の嫡子であった中将信忠は本能寺の変にてともに命を落とし、残った三七信孝、三介信雄は到底覇者の器ではなかった。秀吉の嫡子内大臣秀頼はいまだ幼少である。ゆえに家康はおのれの目が黒いうちに政権を後継に譲り、後見としてその体制を盤石なものに固めようとしているのだ。
実はそれと似たようなことを、いっときは秀吉もやろうとしていた。甥の秀次を後継者と定め、関白職を譲っておのれは太閤としてそれを支える形をとっていた。されどその体制は秀頼の誕生とともに瓦解してしまう。邪魔になった秀次は切腹に追い込まれ、そして幼い秀頼を育てる間もなく秀吉はこの世を去った。
家康はそれを見ていて学んだのであろう。関ヶ原の失態があったにせよ、嫡男は秀忠であるという姿勢は決して揺らがないと内外に示す必要があった。ならばここで、将軍の座を譲ってしまうのが効果的であろうと考えたのだ。今よりさらに老いが進み、まことに身体の自由が利かなくなってきてからでは、その効果も薄くなってしまう。
「中納言さま……いや、上さまの不安もこれで晴れることであろう。五郎太丸さまにとっても喜ばしいことだな」
「さて、さて、さて」と、藤七はまた小馬鹿にしたように笑ってみせる。「相変わらず山下さまは甘うございますな。五郎太丸さまと長福丸さま、さらに鶴千代丸さま……みな、竹千代さまとさして齢も違いませぬよ」
「何が言いたい……まさか」
「そう。一度権力を握れば、次はそれを確実におのが子へ継がせたいと思うものです。それを脅かすのは、いったいどなたでありましょうや?」
藤七はそう不吉なことを言うだけ言って、ひらひらと手を振りながら去って行った。
新将軍体制への移行はつつがなく進み、幕府による支配はなお盤石に見えた。家康は駿府城へと居を移し、大御所として新将軍を後見、そして補佐してゆくという。そうして駿府にあった五郎太丸は、伏見から拠を移してきた長福丸、鶴千代丸らとともに、直に父親の薫陶を受けながら育まれることとなった。
かつての主が帰還した駿府城は人も増え、すっかり賑やかになった。気のせいか城下にも活気が増したような気さえする。まるで江戸がそのままこの地に移ってきたかのようだった。
お亀の方もずいぶんと表情が明るくなった。阿茶の局をはじめとする他の側室たちも勢揃いし、よく集まっては仲睦まじげに歓談している。そのさまが、氏勝にはどうしても理解ができなかった。相手が天下人とはいえ、かの女らはひとりの男の寵愛を競っている者同士なのである。
「何をそんなに訝ることがあるのです。私たちはみな、何も偽ってなどおりませぬよ」
しかしそれを尋ねてみても、お亀は不思議そうに首を傾げるだけであった。
「まあ、そなたにはわからぬやもしれませぬな。されど私たちはかの大戦の折には、淀城にて身を寄せ合って助け合い、大御所さまの勝利をお祈りしていた者同士です。そして戦勝を聞いたときは、みな泣きながら抱き合ったものでした」
そう言われてしまえば、氏勝としてももうそれ以上は何も言えなかった。かの女らもまた戦場のただ中で、ともに死線を潜り抜けたのだ。その繋がりはきっと、余人には想像できぬものなのであろうと得心するしかなかった。
五郎太丸も、年の近い兄弟たちといつでも会えるというのは嬉しいことのようだった。このところは氏勝が庭木を切り出して作った小さな弓で遊ぶのがお気に入りで、それを見た長福丸が興味を示したので、城の中庭に出て熱心に教えてやっている。どうやら同じものをもうひと張り作る必要がありそうだと思いながら、氏勝はそれを微笑ましく眺めていた。
思いは長福丸の傅役である安藤帯刀も同じだったようだ。ときおり中庭に現れては、睦まじげに遊ぶ幼い兄弟を目を細めながら見つめている。かの者は今も家康の側近として忙しく政務に走り回っているのだが、長福丸の成長を見守るのがその励みにもなっているようだった。
「聞いたぞ、信濃守。浅野の姫君との婚約をまとめたのはそなただそうだな」
「いえ、そのようなことは。みな大御所さまのお力添えあってのことにございます」
「謙遜するでない。まこと、よき働きをしたものよ。さよう……五郎太丸さまも長福丸さまも、これよりは幕府と諸大名との橋渡しをしていかねばならないお立場じゃ」
逆にそうでなければ、この子らが拠って立つ場すらなくなってしまう。それは帯刀もわかっているようであった。
「そういえば、加藤肥後守のところにも姫君が生まれたそうじゃ」
「ほほう……ではその姫を、長福丸さまのお相手に?」
「さて、そう急ぐことでもなかろう。良きことかな、と思ったまでよ」
厳めしい中にもちらりと人の好さげな笑みを見せて、帯刀は惚けた。されど親豊臣派の両翼ともいえる加藤、浅野両家と徳川が縁戚となれば、ますます天下は安寧に近付くであろう。そして五郎太丸と長福丸はその安寧の要であり、おいそれとは手出しもできなくもなるはずだった。
ただし、明あれば暗あり。たとえこの世の春を謳歌している徳川家にあっても、慶事ばかりは続かぬものだ。
尾張中将こと家康の四男・忠吉が、病に倒れたのである。どうやら関が原で鉄砲傷を受けた際に弾丸が体内に残り、その鉛の毒が五年かけて全身に回ったためとのことだった。
その病状は重く、ひとたびは危篤にまで陥ったほどだった。医師らの懸命な治療によってどうにか一命を取りとめたものの、なお予断を許さぬ状態が続いていた。
そんな中で年が明け、慶長十一年。いよいよ五郎太丸も元服の儀を迎えた。烏帽子親である平岩主計頭と大御所家康、さらには駿府へと参上してきた徳川重臣たちの前で、五郎太丸は立派に儀を終え、合わせて宣下された官位とともに、これよりは右兵衛督義利と名乗ることとなった。
諱の義の字は八幡太郎義家、あるいは九郎判官義経などにみるように、源氏の将に多く使われたものである。家康としてはこの字を諱に使うことで、徳川が源氏の血筋であると世に知らしめようとしたものと思われる。(のちの頼宣・頼房に使われた頼の字もまた同様である)
その夜駿府にて開かれた宴席にも、義利は母のお亀の方とともに臨席した。宴が深夜に及ぶとさすがに眠そうではあったが、気丈に最後まで凛とした姿を崩さなかった。
翌朝、氏勝は呼び出しに応じて大御所家康の自室を訪った。家康はことのほか上機嫌であった。夭折した仙千代の弟である義利が、無事に元服を迎えることができたことが、よほど嬉しかったのであろう。
「信濃守、おぬしも大儀であった。よくぞ五郎太を立派に育ててくれた。主計頭もたいそう満足しておったぞ」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」と、氏勝はにこりともせずに平伏する。
「だがわかっていると思うが、これからが肝要よ。傅役の務め、今以上に励むがいい。しかと頼むぞ」
そう言いつつ、家康はじっと観察するがごとき目を氏勝へと向けてきていた。はたしておのれの何を慥かめようとしているのかわからず、内心で戸惑っている。
「さて、おぬしの処遇であるが……」家康はじっと氏勝を見たまま続けた。「新たな禄として、近江蒲生の二千石を与えよう。少ないと思うかもしれぬが、今はこれで堪えるがよい。他に何か望むことはないか。代わりと言っては何だが、ある程度であれば融通を利かせてやっても良いぞ?」
望みと言われても、氏勝には特に思い当たらなかった。慥かに萬寿丸も生まれて物入りではあるのだが、とりあえず今の禄で十分賄えている。
「ではひとつだけ、お許しいただきたき儀がございます」
「無理難題でなければの。申してみよ」
「はっ……今は恐れ多くも信濃守という官位をいただいておりますが、できましたら父が称していた大和守を、おのれも継げたらと常々願っておりました。勝手ではありますが今後そう称すこと、お許しいただきたく存じまする」
かつて戦乱甚だしき頃は、武士が名乗る官位は正式に宣下を受けたものばかりではなく、多くが自称であった。氏勝の父大和守時慶も、また主内ヶ島兵庫頭もそうである。ならばおのれも勝手にそう称しても構わぬであろうが、一応は断りを入れておくべきと思ったのだ。
されど家康はしばし思案したのち、憮然とした顔で「……ならぬ」首を振った。
「……さようでございますか。ご無理を申し上げまして……」
「徳川の者が官位を自称など許せるはずもない。しかと宣下を受けられるよう、朝廷に働きかけてやる。ゆえ、しばし待つのじゃ……大和守よ」
家康はそう続けて、ほんのわずかに口角を上げた。氏勝はおのれの勝手な申し出が受け入れられたことに気付き、また平伏する。
正直を言えば、大和守という呼称にさほど執着していたわけではない。ただ単に、いまだに信濃守と呼ばれることへの据わりの悪さが拭えなかっただけだ。かといって折角下賜された官位を返上することもできず、それならばいっそ父と同じものを、と願ったまでのことだ。却下されるならされるで、別にそれでよしと思っていた。
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