らぶさばいばー

たみえ

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惜春 桜雨花筏

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 ――彼への第一印象は、芽生える前に混乱と共にあっという間にどこかへと通り過ぎて行ってしまった。

 もし常時での初対面であれば、目についたのはその神がかりに整った顔立ちや仕草なんかだっただろうか。
 それとも、現れてから一瞬で場を制した上位者として鋭く睥睨する眼差しや畏怖の雰囲気だっただろうか。

 ……けれど、それらの本来であれば真っ先に抱くはずだった感想は尽く芽生える前に消し飛んでいた。
 言い換えれば、

「……呼んだか? ノヴァ」

 ――圧倒。ただただ圧倒され、思考まで呆気にとられた。それだけ。

 黄金が視界を過ぎった瞬間、全てが終わっていた。
 必死に伸ばしたこの手は届かなかった。けれど、関係無かった。
 必要、無かった……。

「シオン様……」

 高貴な方々に囲まれていても臆さず会話しているシオン様の姿はとても――遠くて。私はそれを一番近くて遠い場所で眺めるだけで精一杯で。
 たった一ヶ月。たったその程度の期間で近しくなれたなんて、何を勘違いしていたのだろうと思い知らされる。

「先程は、お邪魔をしてしまい申し訳ございませんでした……」

 分不相応だった。勘違い、だった。

「なんのことかしら?」

 驚いたような顔でただただ私を心配なさるシオン様の優しい気遣いに心が痛くなった。
 シオン様と高貴な方々の会話を故意ではなく盗み聞きしてしまったせいで、薄々先程まさかと思っていたことを確信してしまった。
 ――私のせいで、シオン様が無駄に命の危険に晒されたということが。

「先程の……シオン様のお兄様をお呼びする儀式……だったのですよね?」
「まあ……そうともいえるわ」
「私、そうとも知らずにシオン様のお邪魔を……」

 貴族が貴族と言われる所以を、その階級が示す意味を、ここひと月の間にシオン様の援助によって勉学を進めるなか、否が応にも理解することが出来ていたはずだった。
 けれど、思っていたよりも突然与えられた選択の自由というものが私の勘違いを助長させてしまったのかもしれない。

 私は貴族というものを理解しているようで、理解出来ていなかった。シオン様が使われた魔法、――あれは本当に魔法だったのだろうか。
 人を呼び寄せる魔法なんて、ただの寝物語のための現実的ではないお伽話だと思っていた。
 学園で学ぶ炎や水、風や土を利用した魔法。そんなものは児戯だった。

 シオン様は、……一緒に委員として活動する最初にシオン様の呼称に関して私が遠慮していたのを、私が孤児院出身の孤児であると知っている上で大丈夫だと告げ、名ばかりの慰問をしていた令嬢たちや、孤児と知った瞬間に掌を返した態度を取った元友人たちのような嫌悪の眼を一切向けることの無かった、初めて出来た優しくて綺麗で特別で大切な友人。
 わざわざ貴族と接する時の注意点や普段の生活の細々としたことを教え、時にはこっそり分かりづらく援助してくれただけでなく、私が入学早々に魔法の習得だけでなく、普段の生活や難解な教科書に苦労しているのを見兼ね、さりげなく魔法や魔力とは何たるかについても教え導いて救って下さった恩人でもある。
 そもそも魔法に苦労した原因は、単純に常人では明らかに多すぎる魔力量と前提となる魔法に関する常識の無さのせいだった。

 けれど、その不必要なほどに魔力が多すぎるというだけで、何の支援も期待出来ないはずの孤児ながら特別に学園へ入学する助けにはなった。
 孤児に教育する奇特な者など私の知る限りはこの大陸には存在していない。孤児は成人するまでが最も縁起が悪い存在らしいから。だから関わる人間はおのずと成人した孤児院の出身者だけとなるのが常だった。

 しかし教養の無いまま育った者が就ける仕事なんて、殆ど危険なものに限られた。だから誰しもどこかで無理をしてしまい、いつの間にか居なくなっていた者は数えればキリがない。
 成人してとっとと行方を眩ませ、二度と孤児院へ関わろうとしなかった者も大勢、この目で見送った。
 ――みんな、生きるのに必死だったから。

 国からの支援は微々たるもの。孤児院の頼みの綱であった貴族の慰問も結局は表面上だけで、明確な支援は一時の気まぐればかりだった。
 なかには、奴隷のように一生扱き使われると知っていても身売りするように我先にと貴族へ自らを売り込んで、――二度と帰って来なかった者なんて吐いて捨てるほどいた。

 私も例外ではなく、一般的な常識も教養も全く無い。自信を持てるのは、せいぜい貴族の慰問で見苦しく対応しない為にと、慰問があるたびにその家の家臣に事前に躾けられたことぐらいだった。
 そんな私にとって突然降って湧いた学園への特別入学は幸運であり、災難でもあった。

 初めて知る普通の生活というものは戸惑うことばかりで、かろうじて読み書き出来るかどうかという状態での始まりだった。日記を書き始めたのは文字の練習でもあった。
 そんなありさまだったのに、記憶すればいいだけとはいえ莫大な量の歴史や初めて知った世界の広さと商業の知識、身体を動かすだけとは言っても素人にとっては未知な体術や剣術の授業等は序の口。

 自らの魔力を感じ取ることも未だままならないのに、魔力量も成長するためにいつまでも制御出来ないのは危険だからと他よりも先の内容を途中から、それも高度な魔法やその制御、難解な理論についてだけを知識も無く同時に一気に学ぶのはあまりにも険しく困難な道のりでしかなかった。
 ――けれど、死ぬ気でやるしかなかった。こんな幸運は、孤児だった私へ二度とは訪れないのは分かっていたから。

 そんな決死の覚悟と共に望んだ学園での生活は、シオン様との出会いによって想像していたのとは全く異なるものとなっていた。
 たった一ヶ月。教師も驚愕するほど天井知らずに魔法の制御が上達出来るほど、色々とシオン様に陰ながら助けてもらった期間だった。

 初めての実践授業。何度もシオン様直々に確認してもらっていたというのに、暴発しないかという不安は常に付きまとっていた。
 そんな状況でシオン様は教師に呼ばれて壇上に上がって手本を見せてくれた。
 ――すごい。きれい。

 そんな単純な感想を抱いていられたのも、シオン様が私の元へと戻らずにどこかへと向かうのを見送るまで。代わりとしてなのか、教師が私の元へとやってきてやっと気付いた。
 一か月という短くも長い間、シオン様が益も無いだろうに陰ながら支援し続けてくれたのは、もしかしたら自分が何かシオン様にとって特別な存在になれたからなのだと勘違いしていた、と。

 そもそも私が入学出来たのは、産まれながらにして備わっていたらしい類稀なる魔力量のおかげ。
 シオン様が優しく接して下さったのも、きっと教師に頼まれたからだったのだろう。

 どうしてか委員決めの時、戸惑ったような表情を一瞬だけ見せていたシオン様のことが私の脳裏を過ぎっていた。
 分かれば単純だった。教師にも見本をお願いされるほどに魔法の扱いが得意で、だからシオン様は私の世話という厄介な依頼をされて私を支援してくれたのだ。
 ――ただそれだけの分際で、孤児が何を有頂天になっていたのだろう。

 さら、……。

 ――それは何の偶然だったのか。俯いて零れ落ちた髪が斜陽に照らされて、突如吹いた優しいそよ風に淡く揺れて輝く。
 は何故か聞こえなかったのに、私はまるで何かに導かれるように、当て所なく学園を彷徨ううちにいつの間にか伏せていた視線を上げていた。
 ――彼はそこに居た。ただただ、居た。

「――あの!」

 直前まで、貴族との明確な差や違いというものに思い悩んでいたというのに、気付いたら彼を呼び止める声は出てしまっていた。
 後先考えず声を掛けた理由は、きっととても衝動的なものだった。

「あの! すみません! シオン様のお兄様!」
「――お前、人だったのか?」

 けれど、彼からの応えは私の勘違いをハッキリと突き付けるような、悩んでたことをバッサリ切り捨てるような……確かな線引きの言葉だった。
 面食らう、とはこのこと。同じ人としてさえも扱われないなんて――。そんな明確なまでの差別が貴族と――シオン様との間に存在しているというのだろうか……。

「なっ! 失礼な! れっきとした人です!」

 思わずカッとなり、何も考えずにすぐさま言い返して青褪めた。
 今まではシオン様のおかげで無礼を許されてきたに過ぎないだけで、こんな口答えを貴族にしてしまえば本来どうなるかだなんて、火を見るよりも明らかだった。

「そうか……すまない」

 けれど、何故か私は許された。そして逆に謝られてしまった。貴族に。驚いて思わず直視してしまった彼の容貌は、近くでよく見るとさらに恐ろしく整っているのが分かった。
 無表情であり、その瞳にも声にも悪意はどこにも感じ取れない。

 シオン様と同じ……いや、考えなくとも兄妹だから似ていたり同じだったりするのは当たり前のことだったのかもしれない。
 どこまでも真っ直ぐに見透かしてくるような瞳と目が合ってしまい、先程とは違った意味で面食らった。

「あ、いえ、」

 私は慌てているのに、まるで何事も無かったように微動だにしない彼はまるで大きな彫像のように芸術的だった。
 神が居るというのなら信じてしまいそうなほどに美しい容貌で悪意も無くじっと見つめられると、ありもしない懺悔をしたくなった。

「そうじゃなくて! 先程はお邪魔してしまいこちらこそ申し訳ありませんでした!」
「…………」

 目を眇めた彼に、ただそれだけで底知れない圧倒的な気配を感じ取ってきゅっと知らず喉の奥が窄まった。
 ここで声を掛けてしまったのは衝動的なものだったが、シオン様との会話に割って入った謝罪をしたかったのも本心からだった。
 ――さっきはシオン様とさっさとどこかへ行ってしまわれたから。

 貴族について学び始めて日が浅い私でも知っていた。何故ならシオン様から貴族の言葉を遮ったり割って入ることは無礼で、目の敵にされるのだと早々に教えて頂いたから。
 いくら故意で割って入ったわけではなく、零れ出た言葉を優しいシオン様が聞き取って下さっただけであったとしても、あの場には他にも遠巻きに見ていた貴族が大勢いた。

 だからもしもいつまでも彼へと謝罪をしなければ、彼が何も言わずとも自然と貴族の間に無礼者と周知され、全てが私への悪意となって倍となって返ってきてしまうことだろう。
 たとえ友人になれたのが私の勘違いだったとしても……せっかく恩人であるシオン様のおかげで学園生活に慣れてきたというのに、それを台無しにしてしまうような事態だけはなんとしても避けたかった。
 だから、

「……なんのことだ?」
「えっ、えっと……えっ? あれ?」

 その返答は予想していなかった。

「……その、貴族の会話を遮るように会話に割り入ってしまった、こと?」

 思わず語尾が跳ね上がって疑問のような言葉を返してしまったが、それでも彼は無表情のまま僅かながら首を傾げ、さらりとした髪を傾げた角度だけ斜に流していた。
 暫くそのままの態勢で彼にじっと見つめられながら、二人の間には不可思議な沈黙が落ちていた。何の沈黙だろう、この沈黙は……。

 ――暫しの沈黙の後。
 す、と彼の瞼が一瞬伏せられ、再び真っ直ぐな瞳と目が合った。

「――気にするな。ノヴァがお前との会話を優先したんだ。俺にとってはノヴァが優先だ。全く気にしてない」
「そ、そうですか。ありがとうございます」

 瞬きもせず、彫像のように時間すらも固まっていたのではと錯覚するほどに動かなかった彼が、やっとのことで口を開いて鷹揚に答えてくれたことに何故かほっとして、いつの間にかしていた緊張が緩んだのか肩が自然と下がった。
 そうしてふと、シオン様や他の貴族たちの行う会話のやり取りを盗み見ていた時のことを思い出して、彼の貴族らとはあまりに掛け離れたさっぱりとして非常に分かりやすい言葉遣いに困惑してしまった。
 ……もしかしてこれでも貴族の言葉だから、何かの意味や意図が含まれているのだろうか――。

「話はそれだけか? なら、俺は行く」
「あ、待って下さい!」
「なんだ?」

 またしても咄嗟に呼び止めてしまったのは――。

「お、お手伝いしていいですか!」
「は?」
「お詫びに!」
「……は?」

 自分でも何を支離滅裂なことを言い出してるのか、と思わないでもなかった。謝罪は受け入れられ、もう彼に対しての用事は残っていない。選択の声に促されたわけでもない。
 ……けれど、何故だか彼を引き留めなくてはならないと、誰かの慟哭がどこからか聞こえた気がした。
 でないと取り返しがつかなくなる――そんな焦燥と共に。

「ひ弱なお前に出来ることはない」

 急に湧いてきた妙な焦燥感を疑問に思う間もなく、バッサリと彼に即答で切り捨てられた。
 でも、ここで諦めて引き下がるには響く慟哭が身を切るように切実で、無視できるものではなかった。

「うっ……た、戦いではそうかもしれませんけど! それ以外で何か! 何かありませんか!?」
「……戦い以外? なら、書類仕事だな」
「しょ、書類仕事っ?」
「ああ、これからすぐに必要になる。ついてこい」
「えっ、どういう――ちょ、ちょっと! 待って下さい!」

 ――そうして連れていかれた先で、わたしは何故か正面からの堂々とした窃盗に付き合わされ、更には一人取り残されて厳しい事情聴取と何故か始末書の代筆を任されるに至った。

 ……負傷などで貴族が代筆を頼むのはままあることらしいが、それは信頼する部下や家臣に頼むものであるとはシオン様が教えてくれたことだった。
 ましてや機密が書かれることの多い報告書や始末書を代筆させる貴族だなんて数えるほどしかいない。

 それを、つい最近まで読み書きが怪しかった庶民になんて、どんな緊急事態であったとしても代筆させることなど絶対にあり得ないことだ。
 なのにあろうことか、「彼女が代筆者だ」と一言だけ兵へと告げた彼はとっとと飛び去って行ってしまった。
 ――書くための事情とやらを何も言わず、教えず。

 結局、私はありのままに書いた。彼が正面から堂々と牢に押し入って自ら捕まえたはずの大きな魔獣を何故か解放し、そのまま魔獣に飛び乗って華麗にどこかへ飛び去ってしまったということを。出来るだけ丁寧に。
 ……シオン様と似ていると思っていた少し前の錯覚を取り消して、私は彼を貴族ではなく非常識という新たな枠組みに組み込んだ。

 ――この世は広かった。学園に入ってから、見るもの聞くもの知ったもの、全ての出来事が新鮮であり驚きの連続である。
 夕焼けにあっさり消えていく影と、肩に置かれた兵士の手と憐憫の眼差しは、この学園でなければ経験することのない出来事だった――。

「――あれ?」

 案内された屯所らしき場所で必死に報告書ならぬ始末書を書きながら濃い一日となった今日をどう日記に書くのかを考えていて、――ふと、ある違和感に気付いた。
 ……どうして、だなんて真っ先に思ったんだろう。

「――――」

 彼が現れた時、魔獣を一瞬で一掃したから印象に強く残っていた?
 ……けれど、なら増々彼に助力だなんて不必要なのは誰でも分かる。

「――――」

 ――そもそも
 私は一体、何を手伝うつもりで――。

「――ねぇ、きみ。シオンが後見してる子、だよね」
「だっ、れですか……」

 考えに没頭していたせいで突然背後から掛けられた男性の声に飛び上がるように驚いてしまい、喉が詰まったように引っくり返った声で返答してしまった。
 だからもし相手が貴族だったら、――と慌てて振り返って息を止めた。

「――きみに、大事なお願いがあるんだ」

 まるでこの世のものではない泡沫の美しさ、とでも言うべきか。圧倒的で力強かった美貌の彼とは違い、触れたらあっさり割れて消えてしまいそうな、どこか儚げな彼とは真逆の雰囲気を持つ美しい少年だった。
 仕草からして貴族であるのは間違いない。……間違いないけれど、不思議なことに私はその初対面の少年に不思議なほどの親しみが湧いていた。

「だいじな、おねがい……」
「そう。とても大事なお願い。聞いてくれるよね」
「はい……」

 まるで夢現に浮かんでいるようなふわふわとした感覚に抗えず、覇気の無い声しか出てこなかった。
 何かをされているのは持ち前の魔力量のおかげで意識下では分かっていた。抵抗すればこの夢現のようにふわふわとした呪縛からは逃れられるのも理解していた。
 ――けれど、不思議とそんな気は微塵も起こらなかった。

「――ハッ!」

 気付けば、少年はいつの間にか消えており、私の手には瑞々しい果物の籠があった。
 そして夢現のあいだに少年が言っていたシオン様の容態を聞いて、慌てて保健室へと直行した私はすっかり先程察した違和感を忘れてしまった。

 私は一体、手伝うつもりだったのか、という違和感を。
 ――その意味を、その結末を、……私はすぐに知ることとなる。
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