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そもそもの話の章
(11)
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光は、えっほえっほと坂を上っていた。
悪天候に視界もかすむ中、急こう配の坂を急いでゆくのは、並大抵のことではなかった。
まして、雨の勢いは傘を持つ手が震えるほどになっている。左右に体が振れるたびに、傘に溜まった雨水がバタバタ降りかかり、制服が腕に張り付いた。
「冨嶋先輩も、あんなとこに呼び出さなくたって。さっき言ってくれたらいいのにぃ」
歩きながら、ついつい泣き言が漏れる。光は、日香里に聞かれたくないことでもあったのだろうかと、予想した。
なんとか校舎を背に追い抜くと、石垣と、その周囲を巡る深い堀が見えてきた。
雨のせいか、堀は酷く増水している。どぶりどぶりと波立つ水面が、石垣をこそぐように動いていた。もし落ちたら、「うんざり」では済まないことは明白だ。
光は念のため、歩道の端に付けられた落下防止の柵から、人ひとり分離れて歩いた。
公園に近づいてくるごとに、人通りが少なくなっていた。建物の明かりがどんどん遠のいて、疎らに設置された街灯だけ、仄かに明るい。
突如、正面から凄まじい飛沫をあげながら、軽トラが向かってくる。白く鋭いライトに、暗さになれた目が、一瞬チカっと眩んだ。
「わっ! ――あっぶないなあ、もう!」
すんでで避けたおかげで、衝突せずに済んだ。軽トラは、人を轢きかけたことなど気づきもせず、猛スピードで走り去る。
「前見てないの? この傘、けっこう目立つのに。あっ、そうだ」
光は、スマホを取り出した。また始まった陽からの鬼電に、画面が点灯し通しになっており、ちょっとしたライト代わりになる。持っていれば、車の方からも、光のが存在がわかるに違いない。
「これでよし」
ただ、陽からの着信を無視している為に、星からの連絡に返信できないことだけ気にかかる。
光は、先を急いだ。
***
やがて、城跡公園の入り口に着いた。
かつて山だった名残に、敷地内には背の高い木々が鬱蒼と茂っている。
そこだけ、草木を無理に引き剝がしたような道路を、光は早足に歩いた。地面はぬかるんで、一歩ごとにぶちゃぶちゃと不愉快な音を立てる。
人っ子一人、すれ違わなかった。
ふと、通り過ぎる木々の隙間に、白い看板があるのを見つけた。殴られたようにひしゃげた看板には、大きく「不審者注意!!」と赤い文字で書かれていた。
(げげっ……!)
黒く生い茂る木々が、急に不気味に見えてくる。光はスマホで足元を照らしながら、大急ぎで不穏な道を歩いていく。
そのとき、木々や傘にはぜる雨の音に紛れ、背後から足音が聞こえた。
しかも、だんだんと近づいてきている。
光は背筋がゾーっと寒くなった。靴下に泥が跳ねるのも構わず道を抜け、石段を駆け上る。
石段を上れば、城跡公園に着く。そこでさっさと螢に断って、星と帰るのだ。
光は断固として走った。
しかし、公園に到着したとき、螢の姿はなかった。
「なんでまだ来てないのっ!?」
光は、憤慨した。
無人のあずまやと、その周辺を見渡してみても、螢の姿は影さえも見えない。
人を呼びつけて置いて、先に来ていないとは一体どういう了見なのか。
「もう! まさか、まだ学校にいたりしないよね?」
ぷりぷりしながら、鞄をあずまやのベンチに置いた。一度、思い切って陽の着信を切ると、メッセージのアプリを起動する。
『光:着きましたよ。冨嶋先輩、いまどこですか?』
すぐに既読が付いた。次いで、返信がある。
『冨嶋螢:ぼくもいます』
「えっ、ウソ。どこにいるの」
『冨嶋螢:ぼくは展望台にいます』
「展望台?」
光は首を傾げた。城跡公園には、高い石垣を利用した展望台があり、そこからは藤空木市を一望できる。
とはいえ、ちゃちな望遠鏡が一台置いてあるだけの簡素なもので、屋根もなにも無い。
こんな雨の日に待ち合わせするには向かない場所だ。
しかし、何故かを訊ねる前に、また陽から着信する。
「あーもう! 仕方ない、行ってみよう」
光は、安請け合いはするものじゃないと思いながら、展望台へ向かった。
***
公園の端の、背の高い木々が途切れ、わずかに開けたところに、展望台はある。その淵には、朽ちた柵が打ち捨てられたように置かれていた。すぐ下には、深い堀が巡っている。
光は、さっきの足音のこともあり、多少ナーバスになりながら、周囲を見回した。
やはり、螢の姿は見えない。
「どうなってんの?!」
一度ならず、二度までも、一体どういうつもりなのか。
光は文句を言ってやろうと、スマホを操作した。
肩にはさんだ傘の中で、スマホを濡らさないように猫背になり、せかせかと指を動かした。
「つ、き、ま、し、た、けど――」
ふと、ざり……と地面が擦れるような音がした。
光は、何とはなしに顔を上げた。
すると、傘とスマホと、濡れた地面だけだった視界に、何か割り込んでいる。
靴だ。
そう理解するより早く、靴に繋がる「脚」がぐんと前に来た。
えっ、と戸惑う間もなく、正面から何かが強くぶつかる。
ピンクの傘が雨天に吹っ飛び、泥濘にべちゃりと倒れこんだ。光は、ううと低く呻く。
痛い。ぶつかった。何に――いや、誰に?
「ぎっ!!――」
生理的な叫びが喉をついて出ようとして、腹部から胸を貫くような痛みが走る。
咄嗟に、というより反射で腹を見た。
なにか生えている。黒くて、固くて、細長い――。
「…………」
それが「ナイフ」で、自分は「刺された」のだと、とうとう光は知ることが出来なかった。
自分がどんな目にあったのかもわからないまま――ただ、痛みとショックで遠のく意識の隅で、ばたばたばたと泥濘をえぐるような音を、近く遠く、聞いた。
あとは、暗い水の中に落ちていくようだった。
そうして藤間光は、あっけなく十五歳の命を散らせてしまった。
しかし、その人生はここで終わらなかったのである。
そもそもの話の章(終)
悪天候に視界もかすむ中、急こう配の坂を急いでゆくのは、並大抵のことではなかった。
まして、雨の勢いは傘を持つ手が震えるほどになっている。左右に体が振れるたびに、傘に溜まった雨水がバタバタ降りかかり、制服が腕に張り付いた。
「冨嶋先輩も、あんなとこに呼び出さなくたって。さっき言ってくれたらいいのにぃ」
歩きながら、ついつい泣き言が漏れる。光は、日香里に聞かれたくないことでもあったのだろうかと、予想した。
なんとか校舎を背に追い抜くと、石垣と、その周囲を巡る深い堀が見えてきた。
雨のせいか、堀は酷く増水している。どぶりどぶりと波立つ水面が、石垣をこそぐように動いていた。もし落ちたら、「うんざり」では済まないことは明白だ。
光は念のため、歩道の端に付けられた落下防止の柵から、人ひとり分離れて歩いた。
公園に近づいてくるごとに、人通りが少なくなっていた。建物の明かりがどんどん遠のいて、疎らに設置された街灯だけ、仄かに明るい。
突如、正面から凄まじい飛沫をあげながら、軽トラが向かってくる。白く鋭いライトに、暗さになれた目が、一瞬チカっと眩んだ。
「わっ! ――あっぶないなあ、もう!」
すんでで避けたおかげで、衝突せずに済んだ。軽トラは、人を轢きかけたことなど気づきもせず、猛スピードで走り去る。
「前見てないの? この傘、けっこう目立つのに。あっ、そうだ」
光は、スマホを取り出した。また始まった陽からの鬼電に、画面が点灯し通しになっており、ちょっとしたライト代わりになる。持っていれば、車の方からも、光のが存在がわかるに違いない。
「これでよし」
ただ、陽からの着信を無視している為に、星からの連絡に返信できないことだけ気にかかる。
光は、先を急いだ。
***
やがて、城跡公園の入り口に着いた。
かつて山だった名残に、敷地内には背の高い木々が鬱蒼と茂っている。
そこだけ、草木を無理に引き剝がしたような道路を、光は早足に歩いた。地面はぬかるんで、一歩ごとにぶちゃぶちゃと不愉快な音を立てる。
人っ子一人、すれ違わなかった。
ふと、通り過ぎる木々の隙間に、白い看板があるのを見つけた。殴られたようにひしゃげた看板には、大きく「不審者注意!!」と赤い文字で書かれていた。
(げげっ……!)
黒く生い茂る木々が、急に不気味に見えてくる。光はスマホで足元を照らしながら、大急ぎで不穏な道を歩いていく。
そのとき、木々や傘にはぜる雨の音に紛れ、背後から足音が聞こえた。
しかも、だんだんと近づいてきている。
光は背筋がゾーっと寒くなった。靴下に泥が跳ねるのも構わず道を抜け、石段を駆け上る。
石段を上れば、城跡公園に着く。そこでさっさと螢に断って、星と帰るのだ。
光は断固として走った。
しかし、公園に到着したとき、螢の姿はなかった。
「なんでまだ来てないのっ!?」
光は、憤慨した。
無人のあずまやと、その周辺を見渡してみても、螢の姿は影さえも見えない。
人を呼びつけて置いて、先に来ていないとは一体どういう了見なのか。
「もう! まさか、まだ学校にいたりしないよね?」
ぷりぷりしながら、鞄をあずまやのベンチに置いた。一度、思い切って陽の着信を切ると、メッセージのアプリを起動する。
『光:着きましたよ。冨嶋先輩、いまどこですか?』
すぐに既読が付いた。次いで、返信がある。
『冨嶋螢:ぼくもいます』
「えっ、ウソ。どこにいるの」
『冨嶋螢:ぼくは展望台にいます』
「展望台?」
光は首を傾げた。城跡公園には、高い石垣を利用した展望台があり、そこからは藤空木市を一望できる。
とはいえ、ちゃちな望遠鏡が一台置いてあるだけの簡素なもので、屋根もなにも無い。
こんな雨の日に待ち合わせするには向かない場所だ。
しかし、何故かを訊ねる前に、また陽から着信する。
「あーもう! 仕方ない、行ってみよう」
光は、安請け合いはするものじゃないと思いながら、展望台へ向かった。
***
公園の端の、背の高い木々が途切れ、わずかに開けたところに、展望台はある。その淵には、朽ちた柵が打ち捨てられたように置かれていた。すぐ下には、深い堀が巡っている。
光は、さっきの足音のこともあり、多少ナーバスになりながら、周囲を見回した。
やはり、螢の姿は見えない。
「どうなってんの?!」
一度ならず、二度までも、一体どういうつもりなのか。
光は文句を言ってやろうと、スマホを操作した。
肩にはさんだ傘の中で、スマホを濡らさないように猫背になり、せかせかと指を動かした。
「つ、き、ま、し、た、けど――」
ふと、ざり……と地面が擦れるような音がした。
光は、何とはなしに顔を上げた。
すると、傘とスマホと、濡れた地面だけだった視界に、何か割り込んでいる。
靴だ。
そう理解するより早く、靴に繋がる「脚」がぐんと前に来た。
えっ、と戸惑う間もなく、正面から何かが強くぶつかる。
ピンクの傘が雨天に吹っ飛び、泥濘にべちゃりと倒れこんだ。光は、ううと低く呻く。
痛い。ぶつかった。何に――いや、誰に?
「ぎっ!!――」
生理的な叫びが喉をついて出ようとして、腹部から胸を貫くような痛みが走る。
咄嗟に、というより反射で腹を見た。
なにか生えている。黒くて、固くて、細長い――。
「…………」
それが「ナイフ」で、自分は「刺された」のだと、とうとう光は知ることが出来なかった。
自分がどんな目にあったのかもわからないまま――ただ、痛みとショックで遠のく意識の隅で、ばたばたばたと泥濘をえぐるような音を、近く遠く、聞いた。
あとは、暗い水の中に落ちていくようだった。
そうして藤間光は、あっけなく十五歳の命を散らせてしまった。
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そもそもの話の章(終)
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