拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん

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一章

1,わけわかんない部屋

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 人生って、なにが起きるかわかんないよね。
 って言っても、暇つぶしに行ったコンビニで、芸能人のハンカチ拾って恋に落ちるとか。実は、川の下で拾われた子供だったとか。
 そういう劇的な、ドラマ化しそうな感じじゃなくて。
 なんか、普通に朝に「おはよー」って言って、夜には「おやすみ」って言う感じの毎日って、なんとなくずっと続いてく気がするじゃん。なくなることなんて、想像もしないっていうかさ。
 そういう、普通のことがいきなり、なんの前触れもなく出来なくなっちゃうみたいな感じ。
 たとえば、登校中にスマホを落としたり。毎日食べてたヨーグルトが製造中止したりとか。
 あとはまあ、いきなり死んじゃったりとかね。


「なんでさ、前もって言ってくれないのって思いません?」

 ずずーっと、鼻水を啜りながら言ったら、ホノカさんはへっと口先で笑った。

「言われてどうすんのよ。っていうか、言われた方が嫌よ。結局どうもできないんだから」
「そうだけどぉ。せめて三日前にでも言ってくれたら、心の準備ってやつができるじゃないですかあ」
「そんなん、いくらしたら足りるのよ。くだらないこと言ってないで、その汚いツラ、とっととなんとかすれば?」
「ひどい! てか無理。ハンカチ持ってない」
「あきれた。あんた、それでも女?」

 辛らつすぎる。
 その発言、ジェンダーなんとかに訴えられても知らないぞって思ってたら、ハンカチを貸してくれた。高そうなレースの大人っぽいハンカチで、たぶんブランド品。
 血でべっとり汚れてさえなければ、もっと嬉しかった。

「女子力高いですね……ずずっ」
「これくらい常識よ。あ、返さなくていいわよ、汚いから」

 ホノカさんの優しさと辛らつさを、ありがたく頂戴して顔を拭った。血まみれのハンカチでも、鼻水と涙は綺麗に拭けた。

「ちゃんと拭きなさいよ。顔、泥だらけのままじゃない」
「それは元からなんで」
「ふうん。不便よね」

 それから、二人ともちょっと黙る。
 病院の待合にあるみたいな、背もたれのないソファに、わたしとホノカさんは並んで座ってた。わたしたちだけじゃなくて、部屋いっぱいに同じソファがあって、そのどれもに誰かしらが座ってる。
 正面の壁には、大きなスピーカー。
 そいつに、名前を呼ばれた人から、ひゅんひゅん、消えてく。
 いや、比喩とかじゃなくて、本当に瞬間移動みたいに消えてくの。初めは驚いたけど、三回以降は慣れちゃった。
 それで、呼ばれて消えた端から、どんどん人が補充されていて、ソファの上はいっつも満席ってぐあい。補充されるのも、消えるのとおんなじで、いつのまにか「いる」って感じ。
 すごく変だって思うけど、だれも突っ込んだりしないから、そんなおかしくないのかもね。
 ここにいる人は、呼ばれるのをじっと待ってる。
 たぶん、わたしも。
 呼ばれてその後、どうなるかなんて、わかんないんだけど。

 ホノカさんとは、ここで出会った。
 気づいたら、こんなとこに居て。「なんじゃここ」って、隣にいたホノカさんに話しかけたのが、きっかけだ。
 ホノカさんは、しばらく前からいて、暇だったそうだ。「隣の人が何回か変わったなと思ったら、あんたが話しかけて来た」んだって。

「あんたの見てくれ、吐き気を催すほどじゃあないし。まあ、話し相手にはいいかと思って」

 ひどい言いぐさだと思ったけど、わからなくもない。
 自分も含め、この部屋にいる人たちは、ちょっとショッキングな見た目の人が多いから。
 やたら赤かったり、青かったり、腕があっちむいてたり。
 頭からミートソース被ったみたいになってる人を見たときは、ちょっと胃がひっくり返りそうになった。
 ちなみに、ホノカさんは、頭の上からジャケットを被ってて、殴られすぎたボクサーみたいな恰好してる。わずかに覗く首からは、夥しい量の血が伝ってて、糊のきいたシャツが胸のあたりまで真っ赤になっていた。だから、被ってる理由を聞くのはやめた。たぶん、それが大人の気遣いってやつだから。

「あんた多分学生よね。いくつ?」
「あ、十五歳です」
「ふうん。あたしは二十五歳。」
「ちょうど十個違いですね」
「死ね」
「ええっ」

 ホノカさんは、最初から辛らつだった。

 それからしばらく、雑談なんかしてるけど。わたしもホノカさんもまだ呼ばれていない。
 わたし達のほかにも、話してる人達はちらほらいた。お隣と気が合わないのか、喋ってない人もいた。そういう人は、なんかイライラと言うか、落ち着かない様子だった。
 べつに急ぐ用事もないけど、お喋りでもしないと暇だよね。
 だって、この部屋は、だだっ広くて、なんにもなくて、待つにしても手持無沙汰なんだもの。病院の待合にだって、テレビくらいあるのにさ。
 最初のうちは、とにかくワケがわかんないから、退屈ってことはないんだけどね。
 さっきも言った通り、みんな気づいたらここに居たわけで。それから、何の説明もないまま、ずっと待ってるだけだから。
 そりゃ、最初はちょっとパニック起こすよね。
 今だって、ずっと向こうの方で、「うおおっここはどこだ!!俺は一体なんなんだあ!」て声なんか聞こえてくるし。
 でも、何でかみんな、しばらくすると落ち着いてくる。むしろ、あきらめの感情が湧いてくるって言うか。
 やっぱさ、待つ時間がたっぷりあるからさ。どうしても、自分の体が変なこととか、気づいちゃうからなのかもね。

「でもさ、ホノカさん。やっぱり先に知っときたいですよ」
「またその話?」

 ホノカさんは、いらいらと膝を指で叩いてる。理由を聞いたら、煙草を吸いたいのに、ここにないから腹が立つらしい。わたしが原因じゃないならいっか、と話題を広げることにした。

「だって、わたしこんなことになるなんて思ってないですから。食べかけのお菓子、引き出しに入れてきちゃったんです。漫画も、たしか借りっぱなしだし。パンツだって、全然ちゃんとしたのじゃないんですよ」

 お菓子は虫が湧いちゃうだろうし、漫画も借りパクになってしまうのは申し訳ない。でも一番の問題は、下着だった。

「今日のなんか、超テキトーですよもう。どうしよう。今頃、笑われてんじゃないかなぁ」
「くっだらない。そんなん、笑うやつのが悪いでしょ。ていうか、気にするなら普段からちゃんとしなさいよ」
「そうですけどー! 人に見せる予定なんかないですもん。ああ、新しいの買ってあったのに……出し惜しみしなきゃよかった」
「知らないわよ。新品おろした日にこんなことになったら、それこそ腹が立つじゃない」
「そうかもしんないですけどぉ」

 ぐじぐじ言っていると、ホノカさんはふんと鼻で笑った。

「まあ何にしても。そもそも、死ななきゃよかったのよね」

 わたしは、目を丸くした。確かに、それなら全部が解決する。ぐりん、とホノカさんに体ごと向き直った拍子に、お腹のナイフがぶうんと震えた。毎朝、時間かけてセットしてる髪も、いまは泥水まみれ。顔にべったりはりついて、あっちこちに水分を振りまいている。

 ここに居るのは、みんな死んでる人ばかり。ホノカさんも。
 わたしも、皆と同じで、死んじゃってるから。

「たしかに、そうですね」
「でしょ」

 死ななきゃよかった。
 そりゃ、そうだ。
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