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第三章【イリュリア事変】

3-3.ラケダイモーン

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「ねえ、私ラケダイモーンに行ってみたいわ」

 唐突にレギーナが何やら言い出した。
 場所はイリュリア王国の首都ティルカン、その首都でも最高級の宿として名を馳せる〈雄鷹の王冠〉亭の最高級客室ロイヤルスイートのリビングである。
 イリュリア王国の人口の大半を占めるイリュリア人には彼らが鷹の子孫であるという伝承が伝わっていて、そのため王家の紋章も鷹がモチーフであり、民間でも鷹はもっとも重要なものとして扱われる。逆に言えば、鷹と名乗っている、名付けられているものはどの分野でも最高級の証明になるのだ。

「まーた姫ちゃんがなんか言い出したばい」
「まあ言い出すとは思っていたけれどね」

 予想通りとでも言いたげな、ミカエラとヴィオレの反応。

「な、なによ。ラケダイモーンはイリシャの連邦首都なんだから、普通行くでしょ?」

 ミカエラたちのリアクションにレギーナは不満そうである。

「行かんばい?ユスティニアヌスからエリメイアまでショートカットするっちゃけん、ラケダイモーンどころかアーテニにもテーベにもコリンソスにも行かんばい?」
「えっ嘘でしょイリシャ観光は!?」
「ただでさえ行程遅れとっちゃけん、そげな暇なかろうもんて!」

 本来ならばスラヴィア自治州は6日で抜ける予定だったのだ。それをサライボスナで余分に一泊し、改装の必要があったとはいえラグシウムで四泊もしたのだ。つまり、単純計算で予定の倍の日程を食っている。これ以上余計な寄り道はできない、というのがミカエラの言い分だ。
 竜骨回廊はイリシャ連邦内で大きくふたつのルートに別れていて、片方はイリュリア王国からアカエイア王国に南下してアーテニ、テーベ、コリンソスなどを経由する南回りルート、そしてもう片方はミカエラの言った、アカエイア王国を経由しない北回りルートである。
 ちなみに南回りルートでもラケダイモーンは経由しない。ラケダイモーンはイリシャ最南端のペロポネス半島の南側に位置し、竜骨回廊はペロポネス半島の付け根をなぞるように伸びている。つまりラケダイモーンに行こうとするのなら、竜骨回廊からも外れなくてはならない。

「まあ、レギーナがなぜラケダイモーンに行きたいかなんて言わなくても分かるけれどね」
「ひめ、分かりやすいから…」

 ヴィオレとクレアがため息混じりに言う。

「なっなによ、まだ何も言ってないわよ!?」

「んー、レギーナさんは多分、闘技場コロセウムに飛び入り参加したいんじゃないかな?」
「ほら、バレてる…」
「うぐ…!」

 イリシャ連邦は西方世界では数少ない、奴隷制度を認めている国である。ただしイリシャの奴隷は主に犯罪者や戦争捕虜を対象にしていて、奴隷を働かせるのも上流階級の召使などではなく、戦場や闘技場の場合が多い。つまり、いわゆる戦闘奴隷というやつである。
 イリシャ連邦・アカエイア王国の首都でもある連邦首都ラケダイモーンには古代ロマヌム帝国時代以前から続く、長い伝統を誇る闘技場がある。戦闘奴隷は平時ではそこで同じ戦闘奴隷たちや魔獣などと模擬戦闘を行い、それが見世物として興行されているのだ。
 ずっと昔は殺し合いをさせて血なまぐさい凄惨な戦いを売り物にしていたというが、今では安全にも充分配慮されたスポーツの感覚が強い。そして腕に覚えのある者たちの挑戦にも門戸が開かれている。

 つまり、レギーナはその闘技場への飛び入り参戦を企てているわけだ。そうすれば確かに運動(という名の鍛練)にもなるし、ある程度の強敵との稽古にもなる。闘技場は戦士だけでなく魔術師同士の戦闘もあるため、クレアやミカエラも参戦すれば鍛錬にはなるだろう。
 だがしかし。

「ひめ、参加したら絶対半年は入り浸ると思う…」
「そっ、そそそんなことなっ、ないわよ!?」
「姫ちゃん、目が泳いどうばいでるよ?」

 ただでさえ勇者として人類屈指の実力を誇るレギーナである。戦って負けるとも思えないが、戦闘の強さ以外に価値を得られない戦闘奴隷たちにとっては挑戦しがいのある大きな壁であることに疑いはなく、参戦すればこぞって試合を申し込まれる事になるに違いない。そしてレギーナ自身が戦うことが大好きな性分であり、挑まれれば全て受けようとするだろう。
 つまり彼女は、名乗り出る挑戦者を全て薙ぎ倒して絶対的王者として君臨し、挑む者がいなくなるまできっと梃子でも動かない。
 そうして挑んでくる者たちを全て倒して高笑いする彼女の姿がアルベルトを含めて全員の脳裏にくっきりと思い浮かんでいたのだった。そしておそらく、レギーナ自身にも。

「そやけんラケダイモーンには行かんばい。当然アーテニにも寄らんけんから、競技大会にも出させんけんね」

 ラケダイモーンには闘技場があり、アーテニには競技場スタディウムがある。競技場は模擬戦闘こそ行われないが、数年に一度西方世界各地で持ち回りで開かれている陸上競技大会オリンピウムの発祥の地であり、スタディオン200mレースやミリウム1600mレースなどの競走、それに円盤投擲や投槍、個人格闘レスリングなどの競技が日常的に開催されていて、常日頃から肉体を鍛えぬいた競技者たちが技を競っている。月一度のペースで競技大会が開かれており、こちらも一般参加を受け付けている。
 ミカエラは闘技場だけでなく、この競技大会にもレギーナが出場を目論んでいると見抜いていた。

「まっ、まだ何も言ってないじゃないの!」
「言わんでも分かるっちゃ。クレアはもちろんおいちゃんにさえバレとっとに、まぁだ誤魔化せるて思うとると?」
「くっ…ううう!」

 何とか言い逃れようとするレギーナに、ミカエラがビシッと指を突きつけて、万策尽きたかのようにレギーナが膝をつく。
 勝負あり、そこまで。

「話がついたところで晩食にしましょうか」

 ヴィオレがそう言って、リビングの扉の横に備え付けてあるフロントへの連絡ボタンを押す。そして彼女はすぐに顔を出した宿の従業員に晩食の準備を申しつけ、従業員が部屋を出ていったのを確認してソファに座るミカエラの隣に腰を下ろした。
 そうしてすぐに運ばれてきた料理に全員で舌鼓を打つ。レギーナはまだ諦めきれない様子だったが、晩食を食べ進めるうちに機嫌もある程度戻ってきたようだった。



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