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第三章【イリュリア事変】
3-8.それは一瞬の出来事で
しおりを挟む状況が一変したのはその時である。
ゴーン…
突然、何の前触れもなく鐘の音が響いた。
その瞬間、宿の部屋の魔術灯が全て消えた。
「えっ?」
突然訪れた暗がりの中、その声は誰が呟いたものだっただろうか。
その場の全ての魔力が何の前触れもなく停滞した。停滞した、つまり魔力の活性が滞ったわけだが、より分かりやすく言えば、魔力が「消えた」のだ。
そしてそれは魔力を、つまり人体における霊力をも停滞させた。それはつまり生命力の枯渇状態を引き起こし、高い魔力を持つものほど身体が、呼吸が、そして心臓が、止まってゆく。
「なっ──!」
「これは!?」
その場の誰も例外ではなかった。強い魔力と高い魔力抵抗を持つ蒼薔薇騎士団の面々でさえ、その影響を逃れることは出来なかった。魔力抵抗そのものが魔力を用いた魔術なのだから、その魔力が消えてしまっては発動のしようもなかった。
ガシャン、と窓ガラスが割れる音がした。
音のした方を振り向くことができた全員の目に飛び込んできたのは、闇。窓から差し込む陰神明かりをかき消すようにバサリと音を立て、その闇は窓のそばに立っていたひとりの影をすっぽり飲み込んだ。
闇じゃない、黒い布だ。
そうと気付いた時には、割れた窓から侵入した何者かが、黒い布に包まれた小柄な人影を素早く抱えて窓枠から裏の緑地へ飛び出していた。
ゴーン… リンゴーン… リンゴーン…
鐘の音はまだ響いている。
それがあたかも生命を吸い上げ魂を掠め取るようで、その場の誰もが動けなかった。
「っく…!」
最初に身体の自由を取り戻したのはアルベルトだった。彼は生命の危機に瀕した身体を無理やり動かして必死で窓枠に駆け寄ったものの、その実ノロノロとした小走り程度の動きにしかならなかった。
彼が何とか窓から身を乗り出した時、そこにはもう誰の人影も、もちろん黒布に包まれて拐われた誰かも見当たらなかった。
鐘の音が止み、闇夜に溶けるようにその残響も消える。
同時に魔術灯が復活し、魔力の流れも何事もなかったかのように戻ってきた。全員の身体を縛り付けていた重苦しさも、生命の危機を感じさせる苦しさも綺麗サッパリ消えている。
「みんな、いる!?」
アルベルトは振り返って確認する。
ソファに崩れ落ちたミカエラとその隣で蹲るティグラン王子。壁に倒れかかりかろうじて身体を支えるヴィオレ。ソファの前のテーブルの横でうつ伏せに倒れ伏すレギーナ。ティグランの後ろで跪いたまま動けない黒騎士ふたり。
誰の顔面も蒼白で、脂汗を滲ませて見るからに苦しそうに喘いでいる。もちろんそれはアルベルトとて例外ではなかったのだが。
それでもティグランは何とか顔を上げ、ヴィオレはふらつきながらも倒れたレギーナに駆け寄る。レギーナが呻いて身じろぎした。ミカエラはまだピクリとも動かない。
あの時、窓の近くに立っていたのは──
「クレアちゃんが、拐われた…!?」
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