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第四章【騒乱のアナトリア】
4-60.苦闘
しおりを挟む蒼薔薇騎士団の“到達者”は顔を見合わせ、そして祭官長を見た。その祭官長は地に倒れ伏し、いつの間にか動かなくなっている。
「あっ」
「こらマズい、アイツ抜けたばい!」
慌てて周囲の気配を探る。だがこの空間に濃密に立ち籠める瘴気がその気配を遮り探せない。
そう、彼女たちは今度こそ敵を見失ってしまったのだ。
「あっそうや、おいちゃん!」
ミカエラが不意に何かに気付いた様子で、アルベルトに声をかけた。
「おいちゃんどっち消したん!?」
「ええと、[魔術防御]のほうだよ」
アルベルトは九層での皇太子と戦った際、[破邪]や[鏡面]の術式を発動させている。だが彼は霊力が3しかなく、同時に二種類しか魔術を発動できない。皇太子との戦闘前に彼は[物理防御]と[魔術防御]を発動させていたから、そのどちらかを解除しなければ魔術が使えなかったはずなのだ。
「分かった。ほんならウチがかけといちゃあ」
ミカエラはアルベルトに駆け寄ると、素早く[魔術防御]を発動させ彼の身に[付与]した。皇太子は魔術を使ってこなかったが、敵が血鬼以上だと考えられるだけに、魔術による攻撃を受けるのはほぼ確定的だ。範囲攻撃魔術でも発動されたら無防備なアルベルトはひとたまりもない。
「悪いね、助かるよ」
「よかよか。それよりか油断できんばい」
「分かってる。敵が血鬼以上なら⸺」
アルベルトはそう言って、空間の中央部に目を向けた。
「眷属を喚ぶだろうね」
アルベルトが言い終えぬうちに、その中央部の瘴脈から立ち昇る瘴気が一気に膨れ上がった。
「来るわよ!」
緊張を孕んだレギーナの声。膨れ上がった瘴気は無数の蝙蝠と化して、空間をあっという間に埋め尽くした。
「[浄炎乱舞]⸺」
「乱れ飛べ、[千本氷槍]!」
クレアとミカエラがすかさずオリジナル術式の殲滅魔術を展開し、次々と蝙蝠を撃墜していく。だが蝙蝠の数が明らかに多く、しかも瘴脈からとめどなく湧いてくる。
『ふはははは。足掻いても無駄じゃ』
どこからともなく、黒幕の声が響く。祭官長の身体を捨てたせいか聞き慣れぬ声で、しかも蝙蝠が全て同じセリフを発しているかのように反響して、それ自体が呪詛のようにレギーナたちの身にまとわりつく。
「これじゃキリがないわ!」
ドゥリンダナで当たるを幸い斬り落としているレギーナが、早くも音を上げた。
「姫ちゃん!節約!」
「分かってる!けど!」
「親玉さえ見つけれりゃあ、くそ!この!」
ここまで戦い詰めで、さすがのレギーナも霊力の残量が乏しくなってきているため、軽々しくドゥリンダナを“開放”できない。そしてミカエラは治癒系の魔術や防御系の魔術に備える意味でも、魔術使用は最低限に済ませたい。
そうすると必然的に、無数の蝙蝠に対する有効打が無いということになる。一匹ずつ物理的に落としていては本当にキリがない。
「親玉なら瘴脈の中だよ!」
「「「「あっ!」」」」
だがアルベルトの叫びに、蒼薔薇騎士団の全員が息を呑んだ。
なるほど、言われてみれば確かに。
「だったら!」
「待ってレギーナさん!」
「えっ?」
「クレアちゃん、行くよ!」
「⸺!分かった!」
その叫びを受けて瘴脈に突入しようとしたレギーナを押し留め、アルベルトはクレアを呼ぶ。そのクレアは自分の役割をすぐに理解したようで、まとわりつく蝙蝠を焼き払いつつ駆け寄ってくる。
「ミカエラさんはヴィオレさんを!」
「あっうん、分かった!」
クレアが動いたことでヴィオレが孤立する。それを防ぐためにミカエラが代わって下がっていく。
そのヴィオレは真銀のダガーで蝙蝠を倒しているが、明らかに間に合っていない。[魔術防御]のおかげで無傷だが、削り切られればひとたまりもないはずだ。だがミカエラがついていればひとまずは安心だろう。
「何をすればいいの」
アルベルトに駆け寄ってきてクレアが訊ねる。
「あの瘴脈の中を浄化したい。できるかな」
クレアを一瞥もせず、瘴脈を見据えたままでアルベルトが答える。
「炎でいいなら」
やや目を伏せながらも、クレアはそう言った。浄化は赤加護であり、炎と密接に結びついている。そのため炎でなければ浄化の効果は発揮されない。
ただ、先ほど浄化の力を持つはずのクレアの[浄炎乱舞]が一度無効化されたことが気にかかる。
「それでいいよ。できるだけ強い炎を」
「⸺分かった」
力強く頷いて、クレアが前に出る。
「魔方陣描くから、描いたらわたしの指を切って、おとうさん」
彼女はそう言って腕を瘴脈に向かって突き出し、詠唱を始めた。
「ねえ、私はすることないの!?」
そこへレギーナも駆け寄ってくる。
「レギーナさんは、弱ってヤツが出てきたらトドメをお願いするよ」
「そう。⸺分かったわ」
それだけ言って頷くと、レギーナは周囲の蝙蝠を再び斬り落とし始めた。
いつもより長いクレアの詠唱。その足元に赤い光を放つ円形の魔術陣が現れ、すぐに描かれた文様が切り替わる。[方陣]の術式で魔方陣に強化された証拠だ。
それを見てアルベルトがクレアの細い手指を掴むと、腰ベルトに差していた真銀のダガーを抜いてその切っ先で、華奢な人差し指の指先に小さく切り傷をつけた。
クレアの指先に真っ赤な血がぷつりと玉を作り、そして重力に従ってひとしずく、魔方陣へと落ちた。
次の瞬間、足元の魔方陣が目も眩むほどの輝きを放ち始め、そのまま瘴脈を飲み込むほどに拡がってゆく。
『ふはははは、無駄じゃ無駄じゃ!儂に炎が効かんのはもう見たじゃろう』
「[浄炎柱]⸺」
黒幕の勝ち誇った声が響いた瞬間、瘴脈の中心に轟音とともに巨大な炎の柱が立った。
炎柱は人を数人飲み込めるほどの太さで、上は天井に到達するほどの高さまで一気に聳え立つ。下はおそらく地下深くの瘴気の流れまで到達していることだろう。
「くっ……!」
思わずアルベルトが顔を腕で覆う。熱風が吹き付けてきて一気に周囲が熱せられ、肺が灼けつきそうなほどの熱量が襲ってくる。ミカエラにかけてもらった[魔術防御]がなければ全身を炎に包まれていたかも知れない。
と、そこへ水の膜が展開する。ミカエラの[水膜]だ。おかげで熱が緩和され、呼吸もだいぶ楽になった。
「クレアちゃん!これどのくらい保つ!?」
「わたしの霊力が尽きるまで」
つまりクレアはこの[浄炎柱]を最大強度で発動させ、持てる全霊力を注ぎ込むつもりなのだ。とはいえ本当に彼女の霊力を使い尽くさせるわけにもいかないので、なるべく早く炙り出されてくれることを祈るしかない。
『ぬ、ぐ、ああああああ!!』
瘴脈の中から絶叫が響く。そして瘴脈の、轟々と燃え盛る炎の柱の中に人影が姿を現した。
「出てきたわ!」
「いや、あれも眷属だね」
「なんですって!?」
レギーナがアルベルトを振り返るのと、炎の中の人影が飛び出してきたのはほぼ同時だった。一瞬だけ虚を突かれたレギーナの反応が刹那遅れた。
『アアアアアア!!』
「⸺くっ!」
雄叫びを上げて襲い掛かってくる人影。成人男性と変わらぬ大きさの手足と身長を持つそれは、全身を炎に包まれながらも人の身では到底ありえないほどのスピードで一瞬にして距離を詰めてくる。レギーナが迎え撃つも、人影が振り上げた鉤爪鋭い腕のほうが僅かに速い。
「姫ちゃん!」
悲鳴に近い、ミカエラの叫びが聞こえた。
人影を迎え撃つレギーナの背後に、別の小柄な影が音もなく襲いかかった。
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