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第四章【騒乱のアナトリア】

4-63.苦戦の末に

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「[牢炎]⸺」
「む!?」

 その時、場違いな可愛らしい声とともに炎の柱が血鬼を囲むように立ち上がった。腕の太さ程度の細い炎柱だが十数本に及び、瞬間的に血鬼はその中に閉じ込められる形になる。

「クレア!」

 レギーナが顔を向けた先に立っているのはクレアだった。レギーナと同じく額に汗を流して肩で息をしているが、その目と掌はしっかりと血鬼に向けられている。

「待たたね姫ちゃん![浄炎柱]は[固定]してきたけん、ウチらもかたる加わるばい!」
「ミカエラも!」

 レギーナの顔が喜色に輝く。そう、蒼薔薇騎士団はレギーナだけのパーティではないのだ。今までクレアが[浄炎柱]による瘴脈の浄化にかかりきりになっていて、ミカエラはそれを補助するとともに瘴脈の封印作業に専念するため一時的に戦線離脱していただけなのだ。

「ふん、何人かかろうとも同じことよ」

 炎の牢に囚われたはずの血鬼は、相変わらず不敵な笑みを浮かべている。だがさすがに炎に触れようとはしない。それが浄化の炎であり、消すことができない以上触れればダメージを負うと解っているのだ。

「クレアちゃん、これを。ミカエラさんも」

 足手まといにしかならないのでヴィオレともども傍観者に徹していたアルベルトが、この隙にとばかりにクレアとミカエラに駆け寄り、背嚢から取り出した小瓶を手渡す。

「これは…」
「ステラリアのポーションだよ」
「おいちゃん良かモンいいもの持っとうやん」

 アルベルトが渡したのは霊力回復のポーションである。それもステラリア錠剤などよりよほど効く、即効性の霊力回復薬だ。さすがに全快とはいかないが、飲めばある程度霊炉を活性化させ、消費した霊力を回復することができる。
 ふたりは早速小瓶を開けて中身を飲み干した。ふたりとも瘴脈の浄化と封印作業で霊力を消耗していたから、これは有り難かった。
 ポーションを渡す際に彼が何事か告げて、それでミカエラもクレアも驚きの表情を浮かべる。その後すぐにふたりは何事か協議を始めた。

「レギーナさんとヴィオレさんも」

 次いでアルベルトはレギーナにも駆け寄り、彼女と、いち早く彼女に[回復]を施していたヴィオレにもポーションを渡す。[回復]は生命力の活性化や体力回復に効果がある黒加護の加護魔術だ。

「ありがたく頂くわ」
「あら、ありがとう。私にもくれるのね」

 ふたりも礼を言って小瓶を開け、中身をあおった。
 レギーナはドゥリンダナの“開放”で霊力を消耗しており、ヴィオレはここまでの階層移動の[浮遊]や今レギーナにかけている[回復]などでやはり霊力を消耗している。特にヴィオレは霊力が4しかないので枯渇も早いのだ。


 霊力を生成する霊炉は実はひとつではない。生命維持のため常時稼働する基幹霊炉を含めて霊力値の数と同数の“炉”があるとされていて、それぞれの炉で霊力値の分だけ魔術を起動させることができる。
 つまり霊力4のヴィオレなら基幹霊炉以外の3基で各4回、つまり12回の術式が休憩・補給なしで行使できる計算になる。霊力6のレギーナであれば5かける6で30回、霊力8のクレアとミカエラなら56回の起動が可能だ。
 そしてアルベルトは自分でも1本取り出して飲み干した。霊力3の彼は6回の起動しかできないが、第九層ですでに[物理防御ブロック]と[魔術防御バリア]、[破邪]と[鏡面]、それにこの最下層で“瞬歩”を使っていて枯渇寸前である。ちなみに“瞬歩”とはアルベルトが限定的に習得している気功のうち“内功”に属する技のひとつで、瞬間的に瞬発力を上げて通常ではあり得ない距離を一気に移動する技である。

「!」

 不意に強い風が吹き荒れた。その出処に目を向けると、血鬼が[豪風]の術式でクレアの[牢炎]を吹き飛ばしつつ悠然と抜けてくるところだった。

「多少回復したところで無駄な足掻きに過ぎん。結果は変わらんのじゃから、そろそろ諦めよ」

「さあ、それはどうかしら?」

 ヴィオレの[回復]とアルベルトに渡されたポーションでやや復活したレギーナが、再び血鬼と相対する。

「⸺で、どう??」
ばい、姫ちゃん」

 レギーナの不思議な呼びかけに、ミカエラの意味不明な返答。訝しげに目線を向けた血鬼のその目に飛び込んで来たのは、クレアが展開したの魔方陣だった。

「「[浄散霧]⸺!」」

 クレアとミカエラの発動言はつどうごんが重なる。発動した術式がクレア単独ではなく、彼女たちふたりのだということに血鬼が気付いた時には、すでに最下層の空間はに覆い尽くされていた。

「なっ⸺!?」
「「[不浄感知]」」

 驚く血鬼をよそに、続けてふたりの発動言が響く。空間内の地面全体に拡がった魔方陣の隅に、わずかに引っかかったひとつの反応を、ミカエラは見逃さなかった。

ばい、姫ちゃん」
「どこにあるの!?すぐに破壊するわ!」
「いや、血鬼ソイツの体内には無いばい」
「…………は?」

 まさかの一言。体内になくて、どうやって血鬼コイツは霊体を維持しているというのか。

「ソイツ別んとこに隠しとって、見えんくらいっそい経絡パスで繋がっとるとよ」

 そう、ミカエラが見つけた反応こそが血鬼の隠していた霊核の在り処である。本来は体内に存在するべき霊核を、血鬼はあらかじめ分離させて自らの霊体の一部とともに隠していたのだ。
 血鬼としては何をおいても守るべき霊核、レギーナとしては見つけ出し壊さねばならない霊核。だが血鬼の体内に当然存在すると信じていた霊核がその体内になかった。まさに盲点と言うべきで、それこそが血鬼ヤツの余裕の正体だったのだ。

 到底にわかには信じがたいことだったが、レギーナはそれでも、ミカエラが嘘を言っているなどと疑うこともしなかった。

「そう。じゃあ
「おっしゃ。ほんならちょおちょっと行ってくる」

 立ち込める霧の中をミカエラが駆け出す。

「なっ!?⸺ま、待て!」
「おっと、邪魔はさせないわ」

 先ほどまでの余裕はどこへやら、狼狽えだしてミカエラを追おうとする血鬼の正面にレギーナが立ち塞がる。

「ええい、退け小娘!」
「あなたの相手はこの私よ!」

 言い返すが早いか、レギーナがドゥリンダナを“開放”した。その瞬間、彼女に向かって伸ばされた血鬼の右腕が無数の剣閃によって寸断された。
 しかも、それまでと違って右腕は再生されなかった。

「ぬう!?何故じゃ!なぜ戻らぬ!?」
「そんなの当たり前じゃない。だってもう、あなたでしょう?」

 レギーナが口角を上げるのと、血鬼の口から瘴気が血のように吐き出されたのはほぼ同時。

「なっ⸺」
「浄化の力を付与した霧の中にいて、喋ったりしたらじゃないの。そんな事にも気付かないの?」

 血鬼は霊体であって肉体を持たない。生物ではないから呼吸も本来必要ないものだ。だが彼らは実体化する際、好んで人と同じ姿を取る。そうではない場合も蝙蝠や黒狼など、実在する動物で自らが眷属にすることの多い生き物の姿を模すことが大半だ。
 そして人間が言葉を発する時、あるいは動物たちが鳴き声を上げる時というのは必ず呼吸を伴う。喉の奥の声帯に空気を当てることで音を発する仕組みなのだから当然のことだ。

 つまり呼吸の必要がないはずの血鬼であっても、のだ。
 そして現在、この空間内にはクレアとミカエラの儀式魔術によって浄化の力を持つ霧が立ち込めている。そんな中で声を発したがために、本来は形状を模しただけで機能しないはずの血鬼の肺の中に、その霧が吸い込まれてしまっているのだ。
 それは体内からダイレクトに浄化されるのと同等のダメージを血鬼に与えていた。したのがその証拠である。そして浄化の霧に晒されたことで、血鬼の周囲を飛んでいた蝙蝠たちも全て消え去っていた。

 瘴脈から追い出され、その瘴脈を封じられ、そして浄化の霧によって残った魔力プールである蝙蝠の眷属も全て失った。
 もはやこの空間内には血鬼が瘴気を補充できる手段が存在しなかった。そうなるとご自慢の再生能力も発動のしようがない。
 しかもドゥリンダナの剣身に付与されたアルベルトの[破邪]やクレアの[浄化]が、ここに来てじわじわと効力を発揮していた。再生が効かなくなったのはそのためでもあった。

「くっ、おのれ……!」
「さあ観念しなさい。まあどのみち、ミカエラが霊核を壊してくれば終わりだけどね」

 再生も封じ、そして霊核の在り処も割れた。こうなると血鬼といえどもレギーナの敵ではない。それでも、先ほどまでの疲労困憊したレギーナであれば取り逃がしたかも知れない。だがもう彼女はアルベルトとヴィオレのおかげである程度回復できている。

「ぬうう、退け!退かぬか!」
「退けと言われて退くわけがないでしょ!」

 掴みかかる腕も鉤爪も、蹴りを繰り出す脚も、ドゥリンダナによって返り討ちされる。風を起こす黄属性の魔術も、闇を生ずる黒属性の魔術も、レギーナの[魔術防御バリア]に阻まれて効果をなさない。
 またたく間にズタボロになりながらも、血鬼は霧散して逃げるようなことはしなかった。再生能力を封じられた今、浄化の霧の中で実体化を解いてしまえば消滅するだけである。

 そして、その時は訪れた。

「ぐっ……あ、がはっ!」

 右腕と左脚を失い、座り込んで動けなくなった血鬼が胸を押さえて苦しみだした。ミカエラが見つけ出した霊核を破壊したのだろう。

「い、嫌じゃ、嫌じゃ!ここまで来て、なぜこの儂が滅ばねばならん⸺」
「私たちに見つかったのがと諦めなさい」

 冷徹に言い捨てて、レギーナは血鬼の脳天に真っ向からドゥリンダナを振り下ろした。両断された血鬼は顔を醜く歪ませたまま、砂が崩れるように塵と化して、そして煙のように消えていった。
 そしてそれきり、二度と姿を現すことはなかった。





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