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第五章【蛇王討伐】
5-17.常設市と交易市
しおりを挟む向かって左手に見えてきた巨大な立方体のような常設市の建物は、平屋ばかりの街並みの中では見るからに良く目立つ。
「あれがその、バーザール?」
「ハグマターナで歩いたのは屋根のないバーザールだったけど、ここのは屋根が付いてるね」
アルベルトによれば、あの屋根の下にある通りを挟んで大小さまざまな店舗がひしめき合っているという。屋根があるのなら、雨や嵐の日でも安心して買い物ができそうである。
常設市では、商人たちは区画を国(都市)からレンタルし、地料を払って店を出す。最初は屋台から始まり、継続的に商売が可能なレベルで売上を上げていけば店舗に格上げされる。
取り扱う商材によって出店できる区画が決まっているため、商人たちは必然的に特定商品だけを扱う専業商となる。そうした専業商たちによって衣類、日用品、食材、宝飾品、手工芸品、革製品、武器や家畜など、バーザールでは多くのものが日々売買される。ただし塩や砂糖、金銀など特定の品目は国の専売品で、民間の商人は取り扱えないか、取り扱うのに特別な許可を必要とするという。
「でも、あんなに大きいと中に入ったら迷ってしまいそうだわね」
「中は業種ごとに区分けされてるから、買いたいものさえ決まってるなら迷うことはないよ」
「あら、そうなのね。良かったわねレギーナ」
「ちょっと待って!?私が迷うって決めつけないでくれる!?」
「いやー迷うて思うばい?」
「クレアもそう思う」
「ちょっと!信用なさすぎない!?」
声を荒げて抗議しているが、そもそも独りで出歩いたことなどないのだから、もしレギーナ単独で買い物に行けば確定で迷うことだろう。そこらへんはやはり王女様なので、世間慣れしてないレギーナである。
「あ、今度は交易市が見えてきたね」
交易市とは“竜骨回廊”や“絹の道”などを通して国外からもたらされる、様々なものを取引する専用の市場のことである。東西から集められた珍しい品物やリ・カルンの国内では生産されないものなども、交易市で市民が買うことができる。こちらも品目ごとに区画が決まっているが、出店者が隊商たちなので、あまり厳密には定められていないという。
交易市の建物もやはり二階建ての立方体で、外観からは常設市よりも一回り小規模に見える。一階部分が店舗、二階は隊商宿になっていて、隊商たちは出店している間は隊商宿に宿泊し、商売しつつリ・カルン国内の品を仕入れて、あらかた売りつくしたらまた旅立っていくのだという。
「バーザールとは別にあるんだ?」
「こっちは常設じゃないからね。隊商たちがやって来た時に、持ってきた品物だけが売られるんだ」
とはいえ隊商たちは年中行き来しているので、顔を出せば何かしら売られているらしい。
「珍しいものって、例えばどんなのがあるわけ?」
「華国産の絹とか、西方産の家具類とか、あと中央平原で育ててる野羊や山羊、駱駝なんかも売ってるそうだよ」
「……ムフロン?ショトル?」
聞き慣れない動物名に、レギーナの怪訝そうな声がする。
「ムフロンっていうのはこの国の北の方に生息してる野生の羊のことで、中央平原の遊牧民たちが飼って食糧や毛皮として利用してるんだ」
遊牧民たちにとって野羊は大事な家畜であり、その肉を食べ乳を飲んで彼らは育つ。毛を刈って繊維にして衣服を織り、毛皮をなめして防寒具や敷物にし、そして骨は生活道具に、血は薬になるという。山羊も同様である。
ちなみに、西方世界で一般的に飼われている羊は綿羊と言って、羊毛を取るためにムフロンを品種改良して家畜化したものであるらしい。一部地域では肉も食べられるが羊乳を飲むのはごく一部に限られ、骨や血はそもそも利用されず捨てられるだけである。
「ショトルは、ええと⸺あ、あそこにいるね」
「どこよ?」
「あの交易市の脇にある牧畜柵の中、見てごらん」
「…………なにあれ!?」
そこにいたのは、レギーナたちが初めて目にする珍妙な獣だった。
大きさは馬とさほど変わらないが首が長く、肩口から一旦下に伸びたその首を上に持ち上げる形に伸ばしていて、その上に小さな頭が乗っている。毛は薄く、首周りだけがやたらフサフサしていて四肢は細く、胴は太く、細く短く毛の少ない尻尾が揺れている。
だが何より目を引いたのは。
「…………あの背中のコブは何なの?」
そう。背中にある大きなひとつの瘤。どう見ても余計なものにしか見えないが、どの駱駝も背中に立派な瘤があるのだ。
「前回来たときに聞いたんだけど、ショトルはあの瘤に栄養を蓄えていて、それで砂漠を飲まず食わずで横断しても平気なんだって」
正確にはあの瘤は脂肪の塊である。駱駝は普段から大量に餌を摂取するのだが、そうして摂取した栄養を脂肪の形で蓄えておくのだ。そうすることで、餌や水分を摂れない環境に晒されても簡単には死なないのだという。
それだけでなく、脚の蹄の裏は分厚い皮膚と密生した毛で覆われていて、灼熱の砂漠を歩いても熱の影響をさほど受けずに済むという。砂漠で馬や脚竜を歩かせたら熱と飢餓でたちまち死んでしまうため、砂漠を越える隊商には駱駝が欠かせないのだそうだ。
「なるほどねえ。東方ならではの家畜、っちゅうこったいな」
「そうだね。見たことはないけど、瘤がふたつあるショトルもいるらしいよ」
瘤がふたつある駱駝はアレイビア、正しくはアレイビア首長国のあるジャジーラトの地で主に使われている。リ・カルンからは大河を挟んだ南西の方向になる地域だ。
「…………本当に私たち、東方世界までやって来たのね」
しみじみとしたレギーナの言葉に、誰もツッコまなかった。
砂漠がちの黄土色の景色、西方世界では見たことのない独特の都市景観、そして初めて見る生き物。全てが新鮮で、そして異邦であることを彼女たちに強く感じさせていた。
「あとは、食いもんがどうかやね」
「それ…!」
土地が変われば食べ物も変わる。そして食事が合わなければ出せる力も出せないわけで。
東方世界入りしてここまで10日以上経っているのに、今さらそんなの心配する?と思ったアルベルトだが、空気を読んで何も言わなかった。
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