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第六章【人の奇縁がつなぐもの】
【幕間5】それぞれのリスタート(4)勇者の心に寄り添って
しおりを挟む全員を追い出して独りきりになった寝室で、背もたれ代わりのクッションを押しのけて横になり、レギーナは上掛けを頭まで被って不貞腐れていた。
「もう……!みんな自分勝手なことばっかり!」
いやまあ自分勝手と言うのなら、アルベルトへの恋心を自覚しておいてライのキスを拒みも咎めもしなかった自分だってそうなのだが。
だが恋愛経験のない彼女は、それがどれほどヤバい状況なのか最初はいまいち解っていなかった。そしてこれまでは言い寄られるばかりだった彼女は、今の自分がアルベルトに恋慕して言い寄る立場になっていることにも自覚がなく、だから自分とライとの仲を見た彼がどう思うかにも理解が至っていなかった。
それでも遅ればせながら、それがよろしくない状況なのには理解が及んだ。だから誤解しないようにと言ったのに、彼は誤解しきった顔で「気にしてない」と言うばかりだった。
「はあ……疲れちゃったわ」
まだ療養中で体力が落ちていることに加え、精神的な気疲れもあって、レギーナはひと眠りすることにした。寝て起きれば解決している……なんてわけもないのだが、とりあえず精神的なものはいくらか回復するだろう。
だが最初はなかなか寝付けなかった。直前まで多くの人に囲まれていて、レギーナ自身も興奮状態だったせいもあるだろう。それでも上掛けを被ってベッドに横になっていれば、やがて心身ともに落ち着いて、少しずつ眠りに誘われてゆく。
寝室の扉がノックされたのは、そんな時である。
「…………だれ?」
「アルベルトです。レギーナさん、ちょっといいかな」
「アル!?えっ、いいけど……」
許可を得て入ってきた彼は独りだった。普段の彼なら異性と個室でふたりきりになる状況は可能な限り避けていて、こういう場合にはたいていミカエラかヴィオレを連れてくるものだったが。
その彼は先ほどまでのやや憮然とした表情ではなく、いつもの穏やかな雰囲気に戻っている。
彼は室内にある文机から椅子を引き寄せて、ベッドの側に置いてそこに座った。レギーナが身を起こそうとするのを「ああ、いいよそのままで。楽にして」と押し留めるのも忘れない。
そうして彼が話し出したのは、先ほどの彼女とライの関係についてだった。
「さっきの話だけど、誤解だけ解いておきたくて。本当に俺は気にしてないから安心して」
「……でも、あなた疑ってるでしょう?」
「俺は貴女が勇者で、エトルリアの王女殿下だってのも最初から知ってるよ。だからそんな貴女が長年仕えてくれているとはいえ、ただの使用人に軽々しく身を許すような人ではないということも分かってる」
彼の声はあくまでも穏やかで、レギーナの心を少しずつ落ち着かせる。
「見た感じの印象でしかないけど、あのライくんの方はともかく、レギーナさんは彼に対してそういう感情はなさそうだった」
「…………そんなの、あるわけないわ。だけど物心つく前からずっと一緒だったのだもの、疑われても仕方ないわ」
レギーナだって分かっているのだ。普通はただの使用人とキスなどしないということくらい。ただライとは幼い頃から挨拶代わりに気軽にそういう事をやっていて、彼女の中では今までずっとそれが当たり前になっていただけだ。
「多分だけど、それライくんから教えられたんじゃない?『ただの挨拶だから平気です』とかって言われてさ」
「…………え、誰から聞いたの?ミカエラ?」
「誰からも聞いてないよ。多分そうなんだろうなって思っただけ」
ラグで雇われて以降ずっと行動を共にしてきたアルベルトの目に映るレギーナという人は、決して男性にだらしのない女性ではなかった。むしろ自分への当初の風当たりを見ても分かる通り、男性全般に慣れておらず、遠ざけようとすらしていたフシがある。
そして王女として生きてきた彼女が、世間の一般常識に意外と疎いこともここまで見てきて明らかである。
そんな彼女が、いくら生まれた時から側にいたとはいえ、ライだけを受け入れているというのはどうにも腑に落ちないことだった。だから彼との関係が恋愛絡みでないのなら、子供の頃から彼に言い含められていてそれを当然のことだと考えていただけではないかと、アルベルトはそう考えたのだ。
そういう前提に立てば、色々と腑に落ちるのだ。そして王宮から、ライのそばから離れて数年経った今では、幼い頃から当たり前に受け入れていたそれが世間一般の常識とはかけ離れたものなのだということも、きっと彼女はもう分かっている。
「ライくんとの距離感が、本来はダメなことだって分かってるよね?」
「分かってる、けど……」
「でも彼との間ではそれがいつものことだったから、つい受け入れてしまった」
「…………うん」
「俺に求婚した以上、それももう止めないとダメだというのも、もう分かってるよね?」
「…………もう、誤解してない?」
「俺は最初から気にしてないって言ってるよ」
ここまでの数ヶ月で見てきた彼女の姿とかけ離れていたから、ちょっと動揺しただけで。アルベルトは彼女から向けられた真っ直ぐな好意を、ちゃんと理解して受け止めていた。
「正直言えば、俺はまだ貴女の気持ちを受け入れる覚悟は出来ていない。貴女は祖国の王女で、おじいさまのお仕えしていた王家の一員で」
時折り出てくる幼い語彙が、彼の時があの時点から止まったままであることを匂わせる。彼もまた、日々を迷いつつ手探りで生きているのだと、レギーナにも見て取れた。
「けれど貴女の想いが嘘だとも思えないし、無碍にもしたくないんだ。⸺まあ俺のどこをそんなに好きになってくれたのか、そこは正直よく分からないけど」
「あなたは素敵な人よ。優しいし、頼りになるし、私のことをよく見てくれているし。それに、あなたは私の命を救ってくれただけじゃなく、勇者としてのプライドも守ってくれたわ。⸺あの時、私がドゥリンダナを落としたくなくて必死だったの、分かってくれていたでしょう?」
「……気付いていたんだね」
「気付かないはずないわ。ミカエラでさえ気付いてなかったのに、あなただけがちゃんと気付いて支えてくれたんだもの」
横たわったまま、上掛けから顔だけを出したレギーナのその顔は、すっかり穏やかな笑みが戻っていて。その瞳に宿る感情が敬愛なのか恋慕なのかは、恋愛の機微に疎いアルベルトには解りかねるけれど。
でも、これまでになかった好意を向けられていることだけはハッキリしていて。
「ねえ、これからも私のこと、支えてくれる?」
彼女はきっとアルベルトの存在を受け入れて、これまでの自分を変えようとしている。
だったらあとは、自分がそれを肯定してやればいいだけだ。アルベルトはそう考えた。
懇願するような彼女の声に、彼女が顔を出した時に一緒に上掛けの上に出てきていた彼女の右手を、アルベルトはそっと手に取り引き寄せる。
そうしてその指先に、軽く口付けを落とした。
それは幼き日、父や母に教わった礼儀作法で。それを彼は生まれて初めて実践した。
「仰せのままに。姫様」
「ふふ。止めてよ、いつものようにして頂戴」
「そうだね、それが気楽でいいよね」
そうしてふたりは、互いに見つめ合って微笑むのだった。
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