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第六章【人の奇縁がつなぐもの】
6-22.いざ実食
しおりを挟む「な、何それ!?」
食事室に入ってきたアルベルトが押してきたワゴンを見て、レギーナ以下全員が驚いた。
ワゴンに載っていたのはいつも通りの人数分の食膳ではなく、ひと抱えもありそうな大きな金属製の寸胴鍋だったのだ。
「ま……まさか」
「その中身、全部カリーって言うっちゃなかろうね!?」
「え、そうだけど?」
「な、なんてこと!」
「食べ放題…!」
「ていうか、もうすでにいい匂いがするんだけど!」
半日にわたって煮込み続けたアルベルトの全身にはカリーの匂いが染みついていて、寸胴鍋がまだ蓋をされたままなのにもうスパイシーな香りが漂ってきている。ぐう~、とそこかしこから腹の虫の合唱が聞こえてくるようだ。
「鍋ならもうひとつあるよ」
アルベルトが振り返った入口から、今度はヒーラードが同じ寸胴鍋を載せたワゴンを押して入ってくるではないか。
「こっちが辛口、ヒーラードさんの方が甘口ね」
「二種類も作ったの!?」
「クレアは甘口がいい…!」
さらにフーマンが、大きな大きな炊飯鍋を載せたワゴンを押して入ってきて、それに続いてアルターフとニカ、ミナーが皿やスプーンなどカトラリーを載せたワゴンを押してきて。だが、誰も注ぎ分けて席に配膳しようとはしない。
「ご飯もルーも、みんな自分で好きなだけ注いで食べていいからね」
「ホントに食べ放題なのね!?」
というわけで、レギーナ以下各々は皿とスプーンを自分で取って飯を盛り、寸胴鍋の前に並んだ。辛口の鍋にはアルベルト、甘口の鍋にはヒーラードがいて、ふたり同時に鍋の蓋を開ける。
その瞬間、ブワッとスパイスの香りが拡がって。さらに立ち上った湯気の下から、鍋を満たす黄金色のルーの海が姿を現した。
誰も彼もが無言で、ゴクリと喉を鳴らした。先頭に立っているレギーナが、無言でアルベルトに皿を差し出した。
「あっ、こっちは辛口だって言ってたわね」
「いや、レギーナさんはこっちでいいよ。こっちはキャンプの時に作った林檎入りのやつだから」
「そうなの?じゃああっちは何を入れたの?」
「甘口のは蜂蜜を多めに入れたんだ。甘さとコクが出て、女性や子供が好む味になるんだよね」
女子供の味と言われて、レギーナは少し逡巡して結局辛口を選んだ。自分では分量がよく分からないので、アルベルトに甘えて注いでもらう。それを後ろで聞いていたミカエラは、何も言わずに甘口のほうを注いだ。そうしておけば後でレギーナが必ずひと口食べたがるはずだから。
よく見れば鍋いっぱいに溢れんばかりに入っている辛口に比べて、甘口の方は寸胴鍋の半分ほどしか入っていない。全体では男性が多いことを鑑みて、どちらの方が人気になりそうかというところまで、アルベルトが計算しているのが分かる。
「おとうさん、恐ろしい子…!」
「クレアちゃんは本当に、どこでそんな言葉覚えてくるのかなあ?」
「アルさんアルさん、気にしたら負けばい?」
クレアの語彙の多くは、普段から趣味で読んでる各種の恋愛小説から得たものなので、アルベルトだけでなくレギーナもミカエラもヴィオレも知らないうちに謎の語彙が増えていたりする。
結局、女性陣で辛口を選択したのはレギーナとヴィオレだけ、男性陣は全員が辛口を選択した。騎士たちは飯もルーも大盛りで、女性陣は各々が食べたい分量を皿に盛った。
白く輝く白飯はリ・カルンで一般的な長粒種の飯。そこにひと口大にカットされた各種の野菜や肉などの具材がゴロゴロと入った、照り輝く黄金色のルーが映える。最初に出された時には食欲をそそられない色味だと思ったものだが、いまや見ただけでもう美味しそうにしか見えない。
最初に口をつけるべくスプーンを手に取った、レギーナの喉がゴクリと動く。
「じゃ……じゃあ、頂くわね」
「どうぞ、召し上がれ」
アルベルトに一言断りを入れてから、レギーナは白飯とルーを同時に掬ってそろそろと口に運んだ。パクリと口に含んでスプーンだけを引き抜き、おもむろに咀嚼を始めて⸺
突如、雷にでも打たれたかのように彼女の目が大きく見開かれた。バッと頭が上がり、彼女の全身が椅子の上で文字通り跳ねた。
口に含んだ瞬間に、香辛料の爽やかな辛味と香りが鼻腔と口腔を突き抜ける。そこへ白飯の控えめな香味と甘みがかすかに混ざり、歯で噛むとその存在感を増す。そしてそこへおもむろに乗ってくるのはえも言われぬ深いコク。
複雑で濃厚で折り重なった、出どころの分からないそのコクは、今まで食べたカリーでは感じなかった新しい味だ。それに加えてよく火の通った具材は肉も野菜も柔らかく、噛めばホロリと崩れて舌の上で溶けてゆくかのようで。
さてはこれが煮込んだ効果なのか。そう推測しつつふた口目を口に運べば、辛味と香りと甘みとコクが加算、いや乗算されるかのよう。
実はカリーは、煮込めば煮込むほど美味くなる料理である。鍋を火にかけて、焦げつかないよう気を付けつつ丁寧にかき混ぜ続けていくと、中に投入した野菜も肉も次第にほぐれ、煮溶けて、まるで消えたかのようにルーの中に吸収されてしまうのだ。
具材が吸収されてしまえば、補充のために新たに具材を投入せねばならない。だがそれもまた、煮込み続けていれば煮溶けてしまう。そうして煮込みと補充を繰り返せば、それが濃厚なコクとなって味に旨味がどんどん増すのだ。
アルベルトは朝の早いうちからヒーラードはじめ厨房で働く者たちの手を借りて、寸胴鍋に大量の水と野菜を入れてからまず煮始めた。沸騰したところで火を中火以下に落とし、少しずつルーの粉を加えてゆく。
実はこのルーは、かつてのアルベルトにカリーの作り方を教えてくれたヒンド人料理人の使っていた、各種のスパイス粉末を配合した特製のものである。これさえ入れておけば味の調節が必要ないので、誰でも簡単に美味いカリーが作れるのだ。
煮始めたルーは、煮込み時間が延びるに従って水分が蒸発し、具材が煮溶けて味が濃厚になってゆく。そこへ水を足し、具材を足してさらに煮込めば煮込むほど、どんどん旨味が凝縮されてゆく。
そうして半日もの間じっくりと煮込まれ続けたルーは、それはもう今まで誰も食べたことがないほど濃厚で、旨味がたっぷり含まれた化け物に進化していたのである。もはや作っているアルベルト自身ですら想像できないほどに。
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