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二章【“天使”なふたりの大騒動】
08.偶然と誤解と勘違い(2)
しおりを挟む「……ところで、さっき聞こえてきた噂ですけど」
ようやく席に戻って落ち着いたところで、ネイサニエルが声を潜めてそう言った。
「あー、あの噂か。言われてみりゃあそれっぽいよな」
「んまあ、あの美貌じゃあ噂が現実になったって言われても納得だわねえ」
「ていうか、もうそうとしか見えないんですけどね?」
「……えっ、そうか?多分違うと思うぞ?」
第四小隊のメンバーまで噂の主がクレイルウィであるかのような話を始めて、思わずパッツィの本心が口をついて出てしまう。
その横で早くも復活したフラートが再び席を立とうとして、すかさずトラシューに押さえ込まれる。
「アンタね、あれだけキッパリとフラレたんだから諦めたらどうなのよ!」
「それはさっきの話だろう?今なら気が変わっているかも知れないじゃないかフレンド」
「んなわけないでしょう!?隙あらば向こうの卓に行こうとしないで下さいよ!」
ネイサニエルにも襟首を引っ張られ、フラートは強引に席に戻された。
「…………まあ、分隊長じゃねえのは確かだな」
「確かに分隊長も美人ですけど、でもちょっとなんか違うというか」
「なんで!?」
そんな中でもパッツィの呟きを拾ってくれたのはいいのだが、スタッドもネイサニエルも言下に否定してきた。何故だ。
「んまあ、パッツィちゃんも最初はお貴族様っぽくはあったけどねえ」
トラシューはおそらく、パッツィの出自を誤魔化そうとしてくれているのだろう。だが今のタイミングだと噂を肯定し、噂の主がクレイルウィだと言っているようにしか聞こえない。
「……そういやフラート、あの頃のパッツィですら平然と口説いてやがったな」
「そりゃ当然さ。ボクみたいな美男子には高貴な姫こそが似合うってものだよフレンド」
「アーニーさぁん、ロープ!ちょっとフラートさん縛っとくんで!」
「おいおいキッド、そりゃ無いだろう。自由の風が感じられなくなるじゃないか」
「フラートさんは自由過ぎてぼくらまで破滅しかねないんですよ!あと呼ぶなら“ネイト”にして下さいってば!」
「……そう言えば、クレイルウィさんってこの町にお兄さんがいるらしいですよ」
「「「「マジで!?」」」」
「んまあ。あんな子に似た美人なんて……」
ネイサニエルに言われて律儀にロープを持ってきたアーニーが、ポツリと呟いた。それを受けてその場の全員の目が、ここまで一切喋らずずっとニコニコしていたサンデフに向いた。
「…………いたわね」
「……どっちも金髪」
「天使みたいな美貌……」
「「「「さては……!」」」」
サンデフこそがクレイルウィの兄なのでは!?
「けれど、顔はあんまり似ていないわよねえ」
「父親が違うんだそうですよ」
「「「「じゃあ、やっぱり!」」」」
「ええと……」
そしてサンデフは、苦笑しつつも否定はしなかった。
「おいサンデフ、お前確か24だったな?」
「はい、そうですよ」
「クレイルウィさんは今年18歳になると言ってましたね」
「父親が違うってえなら納得の歳の差だな」
「あはは……」
「サンデフさん、否定するなら今のうちじゃないです?」
「うーん、私からはご想像にお任せします、としか」
いつの間にか、酒場中の視線がサンデフに向いている。もう誰の目にも、サンデフとクレイルウィは兄妹にしか見えなくなっていた。
「…………待って、アーニー?」
「はい、なんですか分隊長さん?」
「あなた、一体いつクレイルウィと会ったの!?」
返事を返してくれたことに喜びを感じつつ、でも一方で驚きを隠しきれないパッツィである。
「いつって、ほら、こないだアルコールを診療所に届けるって言ったじゃないですか」
「あああ……あの時かあ……!」
診療所へ行けばクレイルウィがそこにいる。言われてみれば当然のことだ。
「今日は患者さんが少なくて、診療所を早めに閉めたんだそうですよ。それで皆さんでお食事に来られたんだそうです」
アーニーはクレイルウィ自身から、モルヴランが兄だと聞いているのでサンデフが兄ではないと知っている。それもあって、実はサンデフがクレイルウィの恋人なのではないかと密かに疑ってもいた。
だが彼は、この場でそれを言わなかった。
クレイルウィからは恋人の名を明かせないと言われたわけだし、アーニー自身も彼女とモルヴランが兄妹だと信じきれていない以上、その疑惑はサンデフがパッツィを狙っていないという自己の願望による根拠なき憶測にしか思えない。ちょうど目の前にサンデフとパッツィが揃っているのだから直接聞いてしまえばいいのに、確かめるのが怖くて、どうしてもあと一歩踏み出す勇気が出なかった。
そしてパッツィはパッツィで、アーニーとクレイルウィとの関係を根掘り葉掘り聞き出したい。だがそれ以前に、久々にアーニーと会話ができたことに浮かれてしまって半分どうでもよくなっていたりする。
結局のところ、この夜以降、『王都でやらかして逃げてきた貴族令嬢』がクレイルウィで、サンデフはその兄ということで、町中の認識が固定化されてしまった。
誰もそれを明確に否定しなかった以上、それは仕方のない流れだったと言えようか。
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