芋女と呼ばれて三年。離縁を夫に申し渡された伯爵夫人の次の手は

鈴白理人

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第二十五話 離婚証明書の攻防 後編

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 ◇ ◇ ◇



 一頭だと特定される恐れがあるため数を増やした六頭の早馬は、とうとう王都をぐるりと囲む三重城壁の一番外側にある第三正面門をくぐった。
 外門から近い下町を現在は通過中である。

 下町の建物は大半が木と煉瓦との混構造で、改築に改築を重ねた五階建ての建物があるかと思えば、井戸への屋根付き通路の高さはそれほどではなく、店舗付きの建物は三階建て、と高さは様々だ。
 屋根の勾配も北部に比べ、雪は年に十日も降れば寒い年と呼ばれるほど温暖なため、緩やかな傾斜のものが多い。

 この時から早馬のうちの一体が、ベルシュタインの紋章が描かれた旗と、その真下に早馬であることの証である赤い布を結び付け掲げており、最も広い街路を速歩はやあしで駆け抜ける。

「おや、何かあったんかね。ベルシュタイン侯爵家の早馬じゃないか」
「二匹の鷹の紋章、あれはベルシュタインの旗か」
「そうそう」 

 通りを歩く者は早馬を避けながら、カウンター付き家屋まで移動して、暇を持て余す店主らと話し出す。
「早く家に帰ろうかね。嫌な予感がプンプンするよ」
「王国の守護神の早馬なんてね……少なくとも良いことじゃないだろうよ」
「全くだ。早馬が通るときは、ろくなことが起こらな……ひいっ」

 おしゃべりに興じていた女たちの近く、風を切るヒュンという音がしたかと思うと、一本の矢が地面に突き刺さった。
「言わんこっちゃない!」
「早馬への襲撃か!?」
「危ないぞ! 家に入れ!」
 途端に辺りが騒ぎに包まれる。


 屋根の上で戦闘が始まった。

 六人もの射手が一斉に早馬に向けて矢を放とうとしているところに、覆面の一団が襲い掛かった。
 射手は近接攻撃にはめっぽう弱い。近付かれたらひとたまりもないので、本来ならこのような中間距離には配置しない。射手の中には、やむなく射程距離の短いクロスボウに持ち替えた者もいる。
 射手を雇った者が戦闘に明るくないことがそれだけで知れる。あるいは、同盟領地の時のように一方的に蹂躙出来ると踏んだ、愚かな考えか。

 間に合わず一本の矢が放射線を描き、通りに突き刺さったが、他の射手は矢を射掛けること無く、ある者は首を折られ、ある者は弓ごと大剣で薙ぎ払われた。

 屋根の上での戦闘中、早馬たちは一斉に走り去り、蹄の音が消え去らぬうちに、射手たちは次々と屋根から落下していくが、馬上の者たちが振り返ることは無い。

 早馬の最終到着地点は王城。このあと早馬たちは第二正面門を通過し、大聖堂やいくつもの広場、商店が立ち並ぶ区画へ入っていくことになる。




 同時刻、一台の馬車が王城から王都に向けて移動を開始した。

 見た目は地味な箱馬車ではあったが、馬車の周囲と前後には護衛の騎馬が多数配置されており、明らかに箱馬車に乗っている人物は只者ではない。

 城門を通過し、堀を超え更なる門をくぐり貴族街に入ると、馬車の中の男が呟いた。

「ベルシュタインめ……私を使うとはな。……だがメリアーナのためだ」
「この先は危険が伴います。早馬を狙う賊はかなりの数のようです。決して好奇心で窓から覗かれませんよう」
「私は子供か」
 ふるふると首を振ると、男の見事な金髪が揺れる。
「懸念から申しております」
「危ないことなどせぬ。全くお前はうるさい」

 うるさいと言われた男はため息を吐くと、子供を諭すように言った。
「単体からの攻撃であればある程度の予測もつき、我々や近衛、ベルシュタインが一網打尽にすることもそう難しくはありませんが、万が一"窮鼠猫を噛む"のような事態となれば、何が起こるか分かりませんので」
「相手が傭兵だからか」
「はい。手段を選ばないでしょう」



 ◇ ◇ ◇



 比較的品のいい商店や大聖堂がある区画と、貴族街を挟むようにそびえる城壁に備わる第一正面門──
 早馬と馬車がそれぞれ挟み撃ちにするかのように向かっている門である。
 そこで小さな問題が発生していた。

「荷馬車はここからは入れん!」
「……はぁ? 耳が遠くていけませんや。何と言いましたかのお?」
 衛兵が何度言っても埒が明かないので、次第にイライラしてきているのが分かる。
「東西門の先の通用門に回れと言っている!」
「……何ですと? こっから入れるって聞きましたがねえ?」

 樽がぎっしり積まれた荷馬車が第一正面門前で立ち往生していた。
 城や貴族街では食料品などは天候に左右されにくい馬車で輸送されるが、大量の野菜屑の回収だったり、洗濯物の外受けだったりと荷馬車の用途はいろいろある。

 衛兵と荷馬車の御者が押し問答している間に、蹄の音がぐんぐん近付いてくる。

 早馬たちが広場を通過し、大通りを走り抜け、とうとう第一正面門まで到達したのだ。

 第一正面門をくぐれば貴族街、その先が王城となる。


 蹄の音が聞こえた途端、荷馬車の御者は俯いてガタガタと震え出し、何かを呟き始めた。

「おいっ、何だ? 何を言ってる……」
「……おわす方に幸いあれ……ああ……お慈悲を神よ……この身粉々になろうとも……」
 衛兵が問いただしても、ブツブツと呟くばかり。
 だが、御者が両手を天に向けて大きく広げると、衛兵がぎょっとしたように叫んだ。
「狂信者だ!」

 狂信者とは、自らが大義の犠牲となれば楽園に迎え入れられると信じて疑わない、自らを最も神に近しいと考える者たちである。
 傭兵は言葉巧みに誘導し、魔塔から破門された魔導士が生み出した悪魔の道具、爆破用の火を積んだ荷馬車の御者として利用することに成功したのだった。


 狂信者が両手を広げると同時に、火矢が荷馬車目がけて放たれ……
 そして──


 紅い閃光が走り、鼓膜が破れるほどの爆音と共に地面が揺れる。すぐさまやってきた爆風で、付近にいた人々が次々に吹っ飛んだ。

 早馬の先頭は第一正面門でトラブルがあったことを察知し、馬首をめぐらそうとしたが間に合わなかった。
 馬と共に吹き飛ばされ、後方の石造りの建物に激突する者や、街路の相当な距離を吹き飛ばされた者もいる。

 門近くは煙と粉塵とで霞み視界が悪いが、そもそも正面門は貴族以上の者たちが使用する門のためか、周囲の人の数はそれほど多くはない。
 御用聞きの馬車は左右の東西門に向かうので、最初から正面門の付近にはおらず、吹っ飛んだ衛兵の数も少数で、すぐに貴族街方面から衛兵が爆音を聞き駆けつける。と同時に貴族街のベルシュタイン侯爵家や、その同盟領のタウンハウスからは続々と救援人員が動き出した。

 貴族街の大通りを、脇目も振らず馬車が駈歩かけあしで走り抜ける。

 衛兵らの近くを通り過ぎるが、前後左右を固める騎馬の一団が特徴的であることに加え、馬車に描かれた紋章を見て、行方を遮る者はいない。

 やがて御者の視界に第一正面門がその姿を現した──


 
 危機を察知した最後尾の早馬は、爆発直前で建物の横にある裏道に入り難を逃れていた。

 上級街区であるので裏道もそれなりに広く、早馬はすぐに方向転換し第一正面門に向かって、喧騒と倒れた人々と、向かってくる救援を避けながら走り出した。


 爆風を避けるため屋根に張り付いていた射手たちが次々に立ち上がり、矢をつがえる。
 目標は未だ倒れていない、走り出した早馬。

 既に爆発の前から戦闘が始まっており、ベルシュタインの影たちが射手を阻んではいるが、とにもかくにも射手の数が尋常ではない。王都で何としてでも早馬の持つ離婚証明書を処分しようとする本気度が伺える。

 
 影の殲滅スピードでも追い付かず、数名の射手の弓が引き絞られる直前、

「どけどけどけーっ!!」

 馬車が早馬を護るように急停車する。

 暴挙ともいえる馬車の行動に、慌てた護衛の騎馬の一体が防御結界を張ったが、間に合わず数本の矢が馬車に突き刺さった。
 余りの急展開に周囲の衛兵たちは息を呑むばかり。

 

 馬車の扉には──向かい合う二匹の獅子──が金で描かれており、王族の馬車であることが一目で見て取れる。

 扉が開くと、一人の金髪の美丈夫がステップを踏んで馬車から降り立った。
 姿を目にした衛兵たちが、ざっとさざ波を立てるように跪いていく。

「王太子殿下」
 名はアルサージュ・レイニエ・ライカード。
 王族特有の陽だまりのような黄金の髪と群青色の瞳を持つ、ライカード王国の言わずと知れた王太子である。
 
 張りのある、よく通る声で指示を出していく。
「ああ、よい。負傷した者の救護活動を優先せよ。衛兵と魔導士はこの騒動を起こした者たちを捕縛し、鎮圧するよう動け」

 王太子の言葉を受け、護衛の騎馬の一人である近衞隊隊長も、馬を操りながら声を上げた。
「王族の馬車を攻撃した者どもを即刻捕らえよ!」

 馬車を護衛していた騎馬は近衛だけでなく魔導士も混じっており、集合した衛兵たちも含め、王太子の命により直ちに動き出した。
 たちまち賊は自決することも叶わず捕縛されていく。



 馬と共に爆発に巻き込まれた早馬の男の元に、ベルシュタイン侯爵家のタウンハウスから駆け付けた男が近付く。
 馬の下敷きになっていて瀕死の重傷だったが、直ちに息絶えていた馬はどかされ、魔導士が付ききりになって救命措置を施し始めた。
 負傷者を励ますのが一つの延命であることを知っているので、声を掛け続ける。
「大丈夫だ。重傷だが助かる。よくぞ辿り着いたな」

「こ、これを……」
 ようやく手が動くようになった男の懐から耐水筒が取り出され、手渡されると男がハッとする。
 魔導士に後を任せ、すぐに顔見知りである馬車から降りたもう一人の男、王太子の懐刀である側近に歩み寄り、筒を預けた。

 側近は黙って頷き受け取ると、安全を確認してから王太子に手渡す。
「殿下、こちらを」
「ようやくか」

 
 筒から一枚の書類を取り出すとメリアーナの筆跡を見つけ、王太子の頬が緩む。
 彼にとって王国の守護神と呼ばれるベルシュタイン侯爵家門の生まれであるメリアーナは幼馴染であり、初恋の女性でもある。

 手に取ったのは最後の一枚となった離婚証明書──再び筒に戻すと、王太子は誰ともなく呟いた。

「確かに受け取ったぞ。借りは返せる時に返さないとな」

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