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プロローグ
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秋の風が、赤く色づいた蔦の葉をさらっていく。
町外れの静かな別邸。その中庭には、乾いた葉がひとひら、またひとひらと降り積もっていた。
カタリーナは、その音をただ黙って聞いていた。
冷えた紅茶の香り、誰も座らない椅子、そして、傍らにいる少年のぬくもりだけが、今の彼女のすべてだった。
ティモシオも、もう十五歳。
穏やかで、優しい瞳をした少年は、もはや少年と呼ぶには少し大きすぎるほどに成長していた。
けれど、彼の中には確かに、幼いころの寂しさが今も静かに息づいている。
父という存在が身近にあった日々など、ほんの僅かだった。
カタリーナは、自らそう選んだはずだった。
七年前、夫の裏切りを知った夜に。
三年ぶりに帰ってきた夫のそばにいたのが、別の女性、子爵令嬢ソフィアだったと知った瞬間に。
それでも、すぐには離れなかった。
「無口ではいけないと、俺も思っている」
そう言ったあの人の声を、今でも覚えている。
家族の形を守ろうと、必死だった日々。
ティモシオが三歳の時、リヴィオの命を宿したあの日<
あの人もまた、変わろうとしていたのだ。きっと、あの時までは。
けれど、義母の影はあまりに濃く、強く。
あの人レオナルドは、最後まで母に逆らうことができなかった。
「ソフィア嬢との縁談もまた、セレスタ家のため」
そう言われて、彼は黙ってそれを受け入れた。
すべてが壊れたのは、その瞬間だった。
私の信じていたもの、守ろうとした日々、母として、妻として、耐えてきたすべてが、あの夜を境に崩れ去った。
そして私は、この子たちを連れて家を出た。
カタリーナは、目を閉じて深く息を吸った。
秋の冷たい風が、静かに頬をなでていく。
*****
あの日。
カタリーナは、確かに幸せだった。
金糸を織り込んだ純白のドレスに身を包み、緊張と高揚を胸に抱えながら、長い大理石の回廊を歩いた。
祭壇の前で待つ夫レオナルドの姿を見つけた瞬間、心がふっと軽くなったのを今でも覚えている。
「これは政略結婚ではない」と、誰もがそう言った。
けれどカタリーナには、どこか舞台の幕の裏に、大人たちの取り引きが透けて見える気がしていた。
彼の家は王宮に連なる貴族の名門、母方は政務官の家系。
対するカタリーナの家は、裕福な商会を複数運営する富豪の一族。
誰が見ても釣り合いは取れていた。
名門貴族の嫡男と、商会をいくつも抱える富豪の娘。
家柄も財力も、そして美しさまでもが釣り合っていた。
世間はふたりの結婚を「理想的」と称え、誰もが祝福した。
そして、レオナルドは政務の合間に何度かカタリーナと面会し、彼女の笑顔や趣味にも興味を示してくれた。
婚約期間中は婚約者として時間を重ね、彼の優しさや穏やかな笑顔に、カタリーナは自然と心を寄せていった。
それが「この結婚には、きっと愛が芽生える」という希望に変わったのだ。
******
最初の違和感は、新婚初夜だった。
式のあと、淡く灯された寝室で並んで座ったふたり。
ぎこちない沈黙の後、カタリーナが「少し緊張しています」と微笑むと、レオナルドは静かに応えた。
「気を遣わなくていい。……形式的なものだ、これは」
“これは”。
その一言に、わずかに胸がざわついた。
けれどそれは、彼なりの気遣いだとその時は受け取った。
不器用で、表情などにも出さないだけで、本当は誠実な人だと信じていた。
実際、結婚してすぐの頃は、ぎこちないながらも会話があり、お互いに歩み寄ろうとする姿勢があった。
共に食事を取り、趣味の話をし、小さな笑いや贈り物もあった。
時間をかけてでもお互い愛することを学んでいける。
そう信じられる日々が、確かにあった。
けれど、その穏やかな時間は、二人目の子供が生まれた頃から徐々に失われていった。
彼の仕事は忙しさを増し、家にいる時間が減り、会話は必要最低限にまで減っていった。
ある日気づけば、夫婦の間に沈黙ばかりが流れるようになっていたのだ。
それでも、カタリーナは信じたかった。
初めての暮らしに戸惑いながらも、屋敷の格式や作法を学び、料理や刺繍も必死に習った。
笑っていれば、きっと振り向いてもらえる。
妻が料理上手だと喜ばれるかもしれない。
愛される花嫁になるために、努力を重ねていた。
そして、レオナルドもまた、最初のうちは彼なりに誠実であろうとしていた。
会話は少ないながらも、必要な言葉は交わしてくれたし、同じ時間を過ごそうとする姿勢も見せてくれた。
共に食事をとり、時には書斎で読んだ書物について話すこともあった。
それは決して情熱的ではなかったが、穏やかで静かな時間だった。
次男を授かった頃までは、二人なりに良い夫婦になろうと努力していたのだ。
けれど‥‥気づかぬうちに、少しずつ距離ができていった。
仕事が忙しいと理由をつけてレオナルドが部屋にこもる日が増え、
会話も次第に必要最低限のものだけとなり、
夜の間に彼がカタリーナを訪ねてくることは、ついになくなってしまった。
「お飾りなのかしら、私って……」
一人で過ごす夜、彼女は静かに呟いた。
それとも、もう私に魅力が無くなったのかな……。
でも、その言葉さえも、かき消されるように薄く笑って、自分をごまかす。
幸せな家族を夢見ていた。
子どもが生まれれば、きっと、何かが変わると思っていた。
だからこそ、最初の妊娠がわかった時──
カタリーナは心から、神に感謝したのだ。
町外れの静かな別邸。その中庭には、乾いた葉がひとひら、またひとひらと降り積もっていた。
カタリーナは、その音をただ黙って聞いていた。
冷えた紅茶の香り、誰も座らない椅子、そして、傍らにいる少年のぬくもりだけが、今の彼女のすべてだった。
ティモシオも、もう十五歳。
穏やかで、優しい瞳をした少年は、もはや少年と呼ぶには少し大きすぎるほどに成長していた。
けれど、彼の中には確かに、幼いころの寂しさが今も静かに息づいている。
父という存在が身近にあった日々など、ほんの僅かだった。
カタリーナは、自らそう選んだはずだった。
七年前、夫の裏切りを知った夜に。
三年ぶりに帰ってきた夫のそばにいたのが、別の女性、子爵令嬢ソフィアだったと知った瞬間に。
それでも、すぐには離れなかった。
「無口ではいけないと、俺も思っている」
そう言ったあの人の声を、今でも覚えている。
家族の形を守ろうと、必死だった日々。
ティモシオが三歳の時、リヴィオの命を宿したあの日<
あの人もまた、変わろうとしていたのだ。きっと、あの時までは。
けれど、義母の影はあまりに濃く、強く。
あの人レオナルドは、最後まで母に逆らうことができなかった。
「ソフィア嬢との縁談もまた、セレスタ家のため」
そう言われて、彼は黙ってそれを受け入れた。
すべてが壊れたのは、その瞬間だった。
私の信じていたもの、守ろうとした日々、母として、妻として、耐えてきたすべてが、あの夜を境に崩れ去った。
そして私は、この子たちを連れて家を出た。
カタリーナは、目を閉じて深く息を吸った。
秋の冷たい風が、静かに頬をなでていく。
*****
あの日。
カタリーナは、確かに幸せだった。
金糸を織り込んだ純白のドレスに身を包み、緊張と高揚を胸に抱えながら、長い大理石の回廊を歩いた。
祭壇の前で待つ夫レオナルドの姿を見つけた瞬間、心がふっと軽くなったのを今でも覚えている。
「これは政略結婚ではない」と、誰もがそう言った。
けれどカタリーナには、どこか舞台の幕の裏に、大人たちの取り引きが透けて見える気がしていた。
彼の家は王宮に連なる貴族の名門、母方は政務官の家系。
対するカタリーナの家は、裕福な商会を複数運営する富豪の一族。
誰が見ても釣り合いは取れていた。
名門貴族の嫡男と、商会をいくつも抱える富豪の娘。
家柄も財力も、そして美しさまでもが釣り合っていた。
世間はふたりの結婚を「理想的」と称え、誰もが祝福した。
そして、レオナルドは政務の合間に何度かカタリーナと面会し、彼女の笑顔や趣味にも興味を示してくれた。
婚約期間中は婚約者として時間を重ね、彼の優しさや穏やかな笑顔に、カタリーナは自然と心を寄せていった。
それが「この結婚には、きっと愛が芽生える」という希望に変わったのだ。
******
最初の違和感は、新婚初夜だった。
式のあと、淡く灯された寝室で並んで座ったふたり。
ぎこちない沈黙の後、カタリーナが「少し緊張しています」と微笑むと、レオナルドは静かに応えた。
「気を遣わなくていい。……形式的なものだ、これは」
“これは”。
その一言に、わずかに胸がざわついた。
けれどそれは、彼なりの気遣いだとその時は受け取った。
不器用で、表情などにも出さないだけで、本当は誠実な人だと信じていた。
実際、結婚してすぐの頃は、ぎこちないながらも会話があり、お互いに歩み寄ろうとする姿勢があった。
共に食事を取り、趣味の話をし、小さな笑いや贈り物もあった。
時間をかけてでもお互い愛することを学んでいける。
そう信じられる日々が、確かにあった。
けれど、その穏やかな時間は、二人目の子供が生まれた頃から徐々に失われていった。
彼の仕事は忙しさを増し、家にいる時間が減り、会話は必要最低限にまで減っていった。
ある日気づけば、夫婦の間に沈黙ばかりが流れるようになっていたのだ。
それでも、カタリーナは信じたかった。
初めての暮らしに戸惑いながらも、屋敷の格式や作法を学び、料理や刺繍も必死に習った。
笑っていれば、きっと振り向いてもらえる。
妻が料理上手だと喜ばれるかもしれない。
愛される花嫁になるために、努力を重ねていた。
そして、レオナルドもまた、最初のうちは彼なりに誠実であろうとしていた。
会話は少ないながらも、必要な言葉は交わしてくれたし、同じ時間を過ごそうとする姿勢も見せてくれた。
共に食事をとり、時には書斎で読んだ書物について話すこともあった。
それは決して情熱的ではなかったが、穏やかで静かな時間だった。
次男を授かった頃までは、二人なりに良い夫婦になろうと努力していたのだ。
けれど‥‥気づかぬうちに、少しずつ距離ができていった。
仕事が忙しいと理由をつけてレオナルドが部屋にこもる日が増え、
会話も次第に必要最低限のものだけとなり、
夜の間に彼がカタリーナを訪ねてくることは、ついになくなってしまった。
「お飾りなのかしら、私って……」
一人で過ごす夜、彼女は静かに呟いた。
それとも、もう私に魅力が無くなったのかな……。
でも、その言葉さえも、かき消されるように薄く笑って、自分をごまかす。
幸せな家族を夢見ていた。
子どもが生まれれば、きっと、何かが変わると思っていた。
だからこそ、最初の妊娠がわかった時──
カタリーナは心から、神に感謝したのだ。
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