鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

文字の大きさ
1 / 91

プロローグ

しおりを挟む
秋の風が、赤く色づいた蔦の葉をさらっていく。

町外れの静かな別邸。その中庭には、乾いた葉がひとひら、またひとひらと降り積もっていた。

カタリーナは、その音をただ黙って聞いていた。
冷えた紅茶の香り、誰も座らない椅子、そして、傍らにいる少年のぬくもりだけが、今の彼女のすべてだった。

ティモシオも、もう十五歳。
穏やかで、優しい瞳をした少年は、もはや少年と呼ぶには少し大きすぎるほどに成長していた。

けれど、彼の中には確かに、幼いころの寂しさが今も静かに息づいている。
父という存在が身近にあった日々など、ほんの僅かだった。

カタリーナは、自らそう選んだはずだった。
七年前、夫の裏切りを知った夜に。
三年ぶりに帰ってきた夫のそばにいたのが、別の女性、子爵令嬢ソフィアだったと知った瞬間に。

それでも、すぐには離れなかった。

「無口ではいけないと、俺も思っている」
そう言ったあの人の声を、今でも覚えている。

家族の形を守ろうと、必死だった日々。
ティモシオが三歳の時、リヴィオの命を宿したあの日<

あの人もまた、変わろうとしていたのだ。きっと、あの時までは。

けれど、義母の影はあまりに濃く、強く。
あの人レオナルドは、最後まで母に逆らうことができなかった。

「ソフィア嬢との縁談もまた、セレスタ家のため」
そう言われて、彼は黙ってそれを受け入れた。

すべてが壊れたのは、その瞬間だった。
私の信じていたもの、守ろうとした日々、母として、妻として、耐えてきたすべてが、あの夜を境に崩れ去った。

そして私は、この子たちを連れて家を出た。

カタリーナは、目を閉じて深く息を吸った。
秋の冷たい風が、静かに頬をなでていく。


*****

あの日。
カタリーナは、確かに幸せだった。

金糸を織り込んだ純白のドレスに身を包み、緊張と高揚を胸に抱えながら、長い大理石の回廊を歩いた。
祭壇の前で待つ夫レオナルドの姿を見つけた瞬間、心がふっと軽くなったのを今でも覚えている。

「これは政略結婚ではない」と、誰もがそう言った。
けれどカタリーナには、どこか舞台の幕の裏に、大人たちの取り引きが透けて見える気がしていた。
彼の家は王宮に連なる貴族の名門、母方は政務官の家系。
対するカタリーナの家は、裕福な商会を複数運営する富豪の一族。

誰が見ても釣り合いは取れていた。
名門貴族の嫡男と、商会をいくつも抱える富豪の娘。
家柄も財力も、そして美しさまでもが釣り合っていた。
世間はふたりの結婚を「理想的」と称え、誰もが祝福した。

そして、レオナルドは政務の合間に何度かカタリーナと面会し、彼女の笑顔や趣味にも興味を示してくれた。
婚約期間中は婚約者として時間を重ね、彼の優しさや穏やかな笑顔に、カタリーナは自然と心を寄せていった。
それが「この結婚には、きっと愛が芽生える」という希望に変わったのだ。

******

最初の違和感は、新婚初夜だった。

式のあと、淡く灯された寝室で並んで座ったふたり。
ぎこちない沈黙の後、カタリーナが「少し緊張しています」と微笑むと、レオナルドは静かに応えた。

「気を遣わなくていい。……形式的なものだ、これは」

“これは”。
その一言に、わずかに胸がざわついた。
けれどそれは、彼なりの気遣いだとその時は受け取った。
不器用で、表情などにも出さないだけで、本当は誠実な人だと信じていた。

実際、結婚してすぐの頃は、ぎこちないながらも会話があり、お互いに歩み寄ろうとする姿勢があった。
共に食事を取り、趣味の話をし、小さな笑いや贈り物もあった。
時間をかけてでもお互い愛することを学んでいける。
そう信じられる日々が、確かにあった。

けれど、その穏やかな時間は、二人目の子供が生まれた頃から徐々に失われていった。
彼の仕事は忙しさを増し、家にいる時間が減り、会話は必要最低限にまで減っていった。

ある日気づけば、夫婦の間に沈黙ばかりが流れるようになっていたのだ。 

それでも、カタリーナは信じたかった。
初めての暮らしに戸惑いながらも、屋敷の格式や作法を学び、料理や刺繍も必死に習った。
笑っていれば、きっと振り向いてもらえる。
妻が料理上手だと喜ばれるかもしれない。
愛される花嫁になるために、努力を重ねていた。

そして、レオナルドもまた、最初のうちは彼なりに誠実であろうとしていた。
会話は少ないながらも、必要な言葉は交わしてくれたし、同じ時間を過ごそうとする姿勢も見せてくれた。
共に食事をとり、時には書斎で読んだ書物について話すこともあった。
それは決して情熱的ではなかったが、穏やかで静かな時間だった。

次男を授かった頃までは、二人なりに良い夫婦になろうと努力していたのだ。
けれど‥‥気づかぬうちに、少しずつ距離ができていった。
仕事が忙しいと理由をつけてレオナルドが部屋にこもる日が増え、
会話も次第に必要最低限のものだけとなり、
夜の間に彼がカタリーナを訪ねてくることは、ついになくなってしまった。

「お飾りなのかしら、私って……」
一人で過ごす夜、彼女は静かに呟いた。
それとも、もう私に魅力が無くなったのかな……。
でも、その言葉さえも、かき消されるように薄く笑って、自分をごまかす。
幸せな家族を夢見ていた。
子どもが生まれれば、きっと、何かが変わると思っていた。

だからこそ、最初の妊娠がわかった時──
カタリーナは心から、神に感謝したのだ。
しおりを挟む
感想 86

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

旦那様から彼女が身籠る間の妻でいて欲しいと言われたのでそうします。

クロユキ
恋愛
「君には悪いけど、彼女が身籠る間の妻でいて欲しい」 平民育ちのセリーヌは母親と二人で住んでいた。 セリーヌは、毎日花売りをしていた…そんなセリーヌの前に毎日花を買う一人の貴族の男性がセリーヌに求婚した。 結婚後の初夜には夫は部屋には来なかった…屋敷内に夫はいるがセリーヌは会えないまま数日が経っていた。 夫から呼び出されたセリーヌは式を上げて久しぶりに夫の顔を見たが隣には知らない女性が一緒にいた。 セリーヌは、この時初めて夫から聞かされた。 夫には愛人がいた。 愛人が身籠ればセリーヌは離婚を言い渡される… 誤字脱字があります。更新が不定期ですが読んで貰えましたら嬉しいです。 よろしくお願いします。

私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります

せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。  読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。 「私は君を愛することはないだろう。  しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。  これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」  結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。  この人は何を言っているのかしら?  そんなことは言われなくても分かっている。  私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。  私も貴方を愛さない……  侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。  そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。  記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。  この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。  それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。  そんな私は初夜を迎えることになる。  その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……    よくある記憶喪失の話です。  誤字脱字、申し訳ありません。  ご都合主義です。  

私のことを愛していなかった貴方へ

矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。 でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。 でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。 だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。 夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。 *設定はゆるいです。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

処理中です...