鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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2人の変化

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数日後、屋敷の空気はどこか柔らかくなった。
乳母と侍女たちが交代で赤ん坊を見守る中、カタリーナは少しずつ身体を戻していった。

初めての授乳、眠れぬ夜、泣き声と微笑み。
すべてが新しく、すべてが尊かった。

そして──
赤ん坊を抱いたレオナルドの腕が、誰よりも自然でやさしく見えた。

レオナルドが初めて赤子を腕に抱いたとき、 カタリーナはそっと微笑みながら胸の内に温めていた名前を口にした。 
「この子の名前……ティモシオにしたいの。どう思う?」    
レオナルドが目を細めて、その響きを繰り返す。 

「……ティモシオ。やわらかくて、いい響きだな」    
その名前には、“神を敬う者”という意味が込められていた。  

困難な出産を乗り越え、無事にこの世に生まれてきてくれた小さな命。  
だからこそ、すべての存在に守られてここにあることを、忘れずに生きてほしい 
そんなカタリーナの願いが込められていた。   

「誰よりも優しく、まっすぐな子に育ってほしいの。それから……誰かに愛されるだけじゃなく、自分でも愛を与えられるように」  
それが、彼女が初めて母として抱いた祈りだった。    

レオナルドはその言葉に何も付け足さず、静かにうなずいた。    

そうして、セレスタ家に新たな名前が加わった。  

ティモシオ──  それは、名ではなく、“はじまり”だった。
 

「この子が、大きくなっても……あなたのように静かでやさしい人に、育ってくれたらいいな」
そう呟いたカタリーナに、レオナルドは珍しく冗談めかして微笑んだ。

「それは……やんちゃになるかもしれませんね」

ふたりの笑い声が、夕暮れの寝室にやわらかく響いた。
未来がまだ見えなくても──今だけは、確かに幸せだった。

赤子の寝息は小さく、部屋に満ちる空気は静かで穏やかだった。
レオナルドはカタリーナの隣に腰かけたまま、しばらく赤ん坊の小さな指を見つめていた。

「……こんなにも小さいのに、ちゃんと爪まであるんですね」

「ええ。すごいですよね、生きてるって……」
カタリーナがそう答えながら微笑むと、レオナルドはふと視線を落とした。

「……ありがとう。あなたが、この子を無事に生んでくれたことに、心から感謝してる」
その言葉は不器用ながらも誠実で、カタリーナの胸にじんと染みた。

この人と、家族になっていくんだ。
目の前の小さな命をふたりで見つめながら、そんな想いが静かに芽生えていった。

 
その夜、赤子が小さく泣き出したときのことだった。
「……あ、起きちゃった」
カタリーナが立ち上がろうとすると、レオナルドが静かに手を伸ばした。

「僕が……抱いてみても、いいですか?」
驚いたようにカタリーナが見上げると、彼は少しだけ恥ずかしそうに微笑んでいた。

「もちろん。……でも、首に気をつけて」

慣れない手つきながらも、レオナルドは丁寧に赤子を抱き上げた。
ぎこちない抱き方だったが、彼の腕の中で赤子はしばらくすると静かになり、
くすぐったそうに小さくくしゃみをした。

「……あ、今、笑いました?」

「うん……たぶん、微笑んだだけかもしれないけど、でも、かわいい」

ふたりで寄り添いながら、赤子の小さな反応を一つひとつ確かめ合う。
そのひとつひとつが、新しい記憶になっていった。

湯浴みの時間には、レオナルドが沐浴用の小さなたらいを運び、
カタリーナがそっと赤子の肌を撫でながら湯をかけた。

「ほら、ごらん。……こんなに気持ちよさそう」

「まるで……水の中にいた時を思い出してるみたいですね」

夜、赤子が寝つく前の子守歌をふたりで歌ったこともあった。
「……あなた、音程外れてます」
「それは……否定できませんね」
ふたりの笑い声が、眠る赤子の頬にふわりと届く。

短いながらも、確かにふたりで育てている。
そう思えたその時間は、カタリーナにとって何よりの幸せだった。

赤子の小さな寝息が重なるように、夫婦の距離もほんの少しずつ、近づいていた。

その温かさは──
カタリーナが、ずっと心の奥で思い描いていた「夫婦としての家庭の在り方」そのものだった。

いつも隣にいなくてもいい。でも、喜無理に笑わなくてもいい。
いつも隣にいなくてもいい。
でも、必要なときに隣にいてくれる人。
喜びも、責任も、ほんの少しずつ分け合いながら暮らしていくこと。

それは夢物語ではなく、こうしてふたりで一歩ずつ築いていけるものかもしれない──
そう思えたことが、何よりも嬉しかった。

そしてふたりの間には、ゆるやかにではあるけれど、
“互いを尊重しよう”という静かな気持ちが、生まれはじめていた。

子どもが生まれるというのは、こんなにも世界を変えるのかと、カタリーナは実感していた。

小さな命を守り育てる責任は、あまりに大きく、重くて──
正直なところ、不安も少なくなかった。

けれど、今なら。
この人となら、ちゃんと話し合って、支え合っていけるかもしれない。

そう思えることが、ほんの少しだけ、自分を強くしてくれる気がした。

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