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第十一話『芽吹き』
しおりを挟む文化祭が終わった翌日。
昨日のことなのに、皆はすっかり忘れているかのようだった。
「文化祭はどうだった」という話題は誰の口からも出てこない。
たった一晩で、遠い記憶みたいに日常へと戻った。
タイムスリップでもしたみたいな不思議な気分。
場の空気にのせられて、文化祭の話題を避けるように過ごす一日。
迷子のような気分のまま、ついさっき終礼が終わった。
朝礼も終礼も、先生は昨日のことに触れなかった。
「ご苦労さま」とか「よかったよ」とか、もしダメなところがあったなら反省点の話し合いとか、なにかあってもよさそうなのに。
騒がしい教室が、いつもどおりなのに、なぜか今日は静かに感じた。
僕にとって今回の文化祭は、人生を変えるほど素晴らしいものだったのに。
準備期間も含め、それまでとは景色の見えかたが違い、まるで別世界に来たようだった。
僕は隣席で帰り支度をしている夏木さんを見て、意を決して声をかける。
「ねぇ、ちょっと今、時間ある?」
彼女は少し眠そうな目をこちらに向け、「うん、どうしたの?」と応じた。
「ちょっとさ、その、一緒に来てほしいんだけど」
俯いてしまいそうになりながら、頑張って目を見て伝える。
「いいよぉー」
彼女は帰り支度の手を止めて、即答してくれた。
うちの学校の屋上に出る扉はいつも、施錠されている。
昔、不良たちがそこで喫煙や集団リンチ、不純異性交遊などを行ったことから、それがルールとなったらしいのだが、今はそんなわかりやすい不良などいない。
悪用する者が絶滅したのだからつかってもよさそうなのに、屋上を利用できないことを学校側に抗議する生徒すら、一人もいない。
そんな反抗期丸出しで大人に逆らうのが流行していた時代の、よく言えば熱い、悪く言えば幼かった生徒たちとは違い、校則にわざわざ逆らっても得などないと、誰もが合理的に考えていた。
つかえない屋上への階段を利用する者はおらず、昼間の学校で一番ひとけがなく薄暗い場所は、最上階である4階と屋上の中間にある、階段の踊り場だった。
そんなところに用があるのは、人目を避けたい生徒だけ。
つまり屋上を大勢が利用できるようになるよりも、生徒にとっては、その静かで人目のない空間が存在するほうが重要なのだった。
そう、今の僕のように。
僕がその生活空間から隔離された薄暗い階段をのぼり、学校一、人目の届かない場所へと進んでいくのに、夏木さんは不審がることもなく、ただ黙ってついてきてくれた。
屋上に出る扉の小窓から射し込む細い日の光を、宙を舞う大量の埃が反射して、煙っているように見えた。
僕は踊り場に立つと彼女を振り返り、正面に立った。
彼女はなにも言わず、ただそこに立って僕を見ている。
僕は勝手に緊張し、青息吐息で苦しくなった胸を押さえた。
校内で最も人目を避けたい人のすることは、たぶんひとつしかない。
ここに来るのはたぶん、僕と同じことをしようとしている人だ。
この場所が、それをするための場所として、密かに有名なことを、彼女は知っているのだろうか?
いや、もし知らなかったとしても、こんな場所に連れてきて勝手に緊張しているやつのすることなんて、連れてこられたほうも、すでに見当がついていると考えるほうが自然だ。
どんな顔で見られているのか、知るのは恐いけど、何度も確認せずにはいられなかった。
ちらりと盗み見るように、俯きかけた顔の黒目だけを彼女に向ける。
彼女はさっきと変わらず、ただそこに立って、まっすぐに僕を見ていた。
不安そうでも迷惑そうでもなく、自然体で待ってくれている。
これは……どっちだ?
僕の好意に気付いて、引導を渡す瞬間を静かに待ち構えているのか?
その可能性も、決して低くはないと思う。
それも優しさのひとつだという理屈も、わからなくもない。
ただ一点、もしそうなら変だと思うのが、表情の柔らかさだ。
こんな優しげな表情で、人にトドメを刺せる人なんて、いるか?
いや、いるのかもしれないけど、彼女がそんな人だとは、どうしても思えない。
それは、ここ一週間ほどずっと一緒に過ごしていたから、確信できる。
彼女は強い人だけど、そんな冷たい人じゃない。
だから僕は……、て、あれ? ということは、もしかして、いやそれは、そんな、都合のいいこと、あるワケが、ないのか、それとも……。
何分、いや何十分かもしれないが、勇気を出せないまま、なにも言えずにいた。
連れてきておいて黙って立っている僕を彼女が急かさないのは、なぜだ?
なにも気付いておらず、僕に興味がない、または嫌いだったら、果たしてこんなに待ってくれるだろうか?
どう考えても、待つワケがない。
好意がなければ、とっくに帰っているだろう。
それもたぶん、「いい加減にしてよ」と、怒って帰ると思う。
穏やかな性格の夏木さんが、そこまで強く怒るかはわからないけど、やんわりと拒絶反応くらいは見せるはずだ。ハッキリ言わなくても、少しくらい表情になにか変化があるはず。
どうだろう? これは考え違いとか、思い上がりなのか?
でもこれはどう見ても、わかってて待ってくれてるとしか思えないんだけども。
どうしようか? でももう、ここまで来てしまった。
「ごめん、やっぱり、なんでもない」で済む時間は、とっくに過ぎている。
彼女の表情は、まだ変わらない。
イライラしている様子もない。ほんとに、これっぽっちもない。
なぜだろうと思うくらい、いつものまんまだ。
自分の考えは自分でちゃんと言える彼女が、黙って待ってくれている。
昨日までのあの距離感を考えても、少なくとも生理的にムリな相手には、あんな風には接しないはず。
甘い考えだと自分でもわかる、都合のいい分析が、僕の背中を押す。
息を深く吸い、胸を張って止める。
「好き、で、でで、でででで、でででです、でです」
めちゃめちゃ噛んだ。『で』が多すぎる。どうしよう。
ちゃんと、伝わっただろうか?
日本語として、判断してもらえただろうか?
もう一度言ったほうが、いいのだろうか?
僕が恐る恐るもう一度息を吸うのと同時に、彼女も大きく息を吸った。
彼女の唇が開いていく様が、スローモーションのように感じる。
そこから、僕のコクハクへの返事が出てくるのだと思うと、目を閉じたくなる。
ハイスピードカメラでの検証映像のようだった時間経過が、突然もとに戻る。
開いた彼女の唇が横にのびて、両端にニコニコマークの影をつくる。
「『で』が多いよ」
優しく笑いながら発された彼女の第一声は、僕のセルフツッコミと同じだった。
「ご、ごめ、ごめごめごめ、ごめんご」
いろいろ多いし、最終的に『ゴメンゴ』って言ってしまっている。
彼女が噴き出して大笑いする。
笑われたーッ! と顔面蒼白になり、死刑宣告を覚悟する。
「私も」
その死刑宣告は、ずいぶんと耳に心地よいものだった。
まるで、『今言われたら嬉しい言葉』の第一位と、全く同じ言葉のようだ。
不思議なこともあるものだ。
人間は、ショックが大きすぎると快感に変わるのだろうか?
「私もね、沢村くんのこと、ずっと好きだったよ」
ほら……、やっぱりね、「スキ」だとさ、はうッ!!
人間は、急に大きすぎる幸せを与えられてもショック死するのではないか。
僕は驚きのあまり、息ができなくなっていた。
大切な瞬間を切り取って、脳内の宝箱に保存する。
嬉しい言葉や声を、宝箱にしまって鍵をかける。
今の場面を、DVDにダビングしてほしかった。
僕はそれを何度も何度も観ているうちに、きっと、天寿を全うするだろう。
飽きずに、何度でも何度でも、何年でも、何十年でも観続ける。
彼女の優しい声を録音した音源でもいい。
僕はそれを聴きながら、安らかに天国へと旅立つのだ。
今が幸せの頂点だとしたら、ここから落ちていくのか?
そんな恐ろしい予感に身震いし、もう一度、もう一度だけ言ってほしいと贅沢な欲求にかられる。
でも言ったのは僕で、彼女はそれに答えてくれたのだから、もう一度と要求するのもおかしい。
そんなことを考えているうちに、何分が経過していたのか。
時空が歪んでいる。
何分どころか、何万年か経っているかもしれない。
それは、幸せな今を続けていたいという、想いのせいだろう。
何万年経ったように感じたのではなく、感じたいのだ。
どうか、どうかこのままで。
数百万個のドミノを緻密に組み立てている人が空気を揺らすのを恐れるように、身動きできなくなった僕という真空の荒涼とした大地を、彼女の微笑みという星が数万光年先から、キラキラと瞬いて照らしていた。
──つづく。
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