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第十三話『完璧な世界』
しおりを挟む自分に彼女ができることなんて、少し前までは想像もできなかった。
恋人。恋人だ。僕には今、恋人がいる。
不思議な気分だし、気分以外の変化は、どうなのかなとも考えてしまう。
具体的には、恋人がいないときと、なにが違うのだろうか? と。
彼女への接しかたが、いや、というか接するもなにも、会ったときにまずなにをすればいいのかが、さっぱりわからない。
屋上への踊り場で告白した、あの後、どうやって教室に戻ったのかを全く覚えていない。
僕らは、人のまばらになった教室で、帰り支度の続きをした。
せっかく今までより親密な関係になった(のだと思いたい)というのに、ずっと二人とも黙っていた。
僕のほうからなにか話さないとと思うのだけど、なにを言っても調子にのってるみたいになりそうで、どうしても言葉を呑み込んでしまう。
でもそうだ、あのとき、なにもできずに項垂れて帰ろうとする僕に、夏木さんが声をかけてくれたんだ。
「一緒に帰る?」って。
その瞬間、日本語が、頭のなかから吹き飛んだ。
僕の口からは、「あわあわあわ」としか出てこない。
告白までしか考えていなかったから、そこで脳がショートしたのかもしれない。
彼女が抱えた鞄は、スポーツバッグのようなタイプのものだった。
使い込まれていて、あちこちが少し汚れている。
僕は彼女の、そんなところも好きだった。
どう考えても僕なんかでは釣り合うわけがない、人気者で天上人の夏木さんに、大胆にも告白しようなどと思えたのは、彼女が時折見せてくれる、その脇の甘さのおかげでもあった。
当たり前のことなんだけど、「同じ人間だ」と思わせてくれたのは大きい。
身分が違うと諦めそうになるたび、スキを見せて手を差し伸べてくれた。
いや、見せてくれたなんて言うと、彼女が計算しているみたいだな。
鞄が少し古びているなんて、誰かを救うためにわざとできることじゃないし。
だから僕の勝手な思い込みではあるんだけど、でも、救われたのは事実だ。
あの帰り支度の後だって、なにもできない僕に、一緒に下校するというヒントを与えてくれた。
嬉しかった。ほんとに。
舞い上がるような気分になり、舞い上がってまた緊張し、二人でなにを喋ろうかなどと悩んでは、僕はまた日本語を忘れてしまう。
「ご趣味は?」なんて、お見合いみたいなことを訊けばいいのかな?
こんな情けない僕をどんな顔で見ているのかなと心配になり、そっと盗み見た。
彼女はにこやかに、自然体のまま、僕を見つめ返してくれていた。
「いこ?」
僕の右手の袖を指先でつまんで、引いてくれる。
完璧な瞬間だ。
完璧なカタチの生物が、汚れた醜い僕に触れて、微笑んでくれている。
彼女が少し動くたびに、周りの音がひとつずつ消えていった。
エレベーターで高層階にあがったときのように、キーンと耳鳴りがした。
僕はいつか、彼女に堂々と接することができるようになるのかな。
自信をもって、この人が僕の彼女だよ、なんて誰かに紹介できる日がくるとは、とても思えないのだけど。
クラスどころか、たぶん校内の誰からでも、好みの相手を選べたであろう彼女が僕なんかと付き合ってくれた理由は一体、なんだったのだろうか?
皆目わからない。
思考が止まったまま、音のない世界で、僕は彼女を眺めた。
恋人との時間だという確信をもてないまま。
確信のないことには自信などもてず、ずっとふわふわしたままで。
脳味噌が、大切な記憶を入れるための宝箱を新調する。
今までのものとは種類の違う、それだけを入れるための宝箱。
大きな、心の奥に設置された建造物のような宝箱。
心中の建蔽率が高すぎて、他のものが置けないほどに巨大な。
よく物語のセリフで聞く「胸がいっぱい」とは、こういう状態を言うのかな。
まだ空っぽのその大きな宝箱のなかにポツンと、告白した日の記憶が置かれた。
告白して、彼女が「好き」と言ってくれて、一緒に帰ってくれた日の記憶。
楽しそうに僕の前や横を歩いているが、僕のセリフは録音されていない。
映像と、彼女の声だけが記録されて、収蔵されている。
ポニーテールの揺れる毛先と、同じように躍る、制服のスカート。
白くて細長い首や顎。いや、というか、身体の全てが男子とは違う。
丸くて細長く、なにもかもが曲線でできている。
なかでも一番好きなのは、微笑んだときの唇が描く曲線だ。
毎日だらだらと見ていた、学校から家までのなんでもない景色。
それがまるで映画のワンシーンみたいに華やかで芸術的で、隅々までクッキリと美しかった。
僕は目の前の彼女と記憶のなかの彼女を、交互に愛でる。
明日も明後日も、彼女は同じように、僕の恋人のままでいてくれるのかな。
最高の幸せは必ず、最悪の不安を連れてくる。
彼女のことで頭がいっぱいということは、彼女を失う不安で頭がいっぱいということと同じでもあるんだ。
だから、過去ばかりを何度も再生してしまう。
完璧なままであってほしい。
その願いをかなえてくれるのは、完璧だった過去の記憶だけだ。
僕は、どうしようもない、意気地なしだ。
──つづく。
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