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第十八話『童貞』

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 卒業式当日。
 僕は死刑宣告を待つ罪人のように、この世から半歩と少し離れたふわふわとしたどこかに魂を置いたまま、血色を失って式の時間を過ごした。
 真織は東京の東側、ここより都心のほうにある専門学校へと進学する。
 僕はこのまま、この辺り、というのは東京の西のほうのことだけど、地元に近い大学に進学する。
 だから、同じ学校の同じクラスに通うのも、一緒に帰るのも今日が最後だ。
 同じ東京だし、いつでも会えるよ。会えるよ。会えるよ。
 丁寧に録音され、頭蓋骨のなかにしまわれた彼女の声が再生され、木霊する。
 希望に満ちた声も、励ますような口調も、たぶん彼女が想像もつかないであろうほどに、僕の心を深く傷付けた。
 そんなつもりはないと頭ではわかっているんだけど、やっぱりダメだった。
 こっちはちゃんと平気そうな顔ができているのかもわからないほど動揺しているのに、女の子は強いな。
 強いのか、冷たいのか、わかんないけど。
 いや違う、真織は冷たくなんかない。絶対違ういや、でも。んー。
 いつでも会えるって、本当にそうなのかな。
 そうであってほしいけど、やっぱり物理的な距離は、心の距離に影響を与えるんじゃないのかな。
 友達の兄や姉の話を聞いても、テレビドラマや映画を観ても、小説や漫画などを読んでも、遠距離になった登場人物を待っているのって、悲恋の物語じゃなかったかなと、どうしても考えしまうのは、これは僕がネガティブなだけなのか。
 そこに描かれた悲しみが全部、作家や映画監督の想像の産物なのか、現実を映す鏡なのかと、ヒヨコの雄雌判別のように物語の現実味を比較しながら観ていけば、なかには多少の嘘や誇張が交じっているものがあったとしても、童貞の僕にだって他人の経験をとおして、都合のいい真実なんかやっぱりないんだと、教わることはできるような気がしなくも、ないような気もするのだけれども。
 こんなに『遠距離イコール悲恋』というのが定説化しているのに、風聞や愚痴や創作がすべて真実味のない、現実には起こり得ない空想世界の物語だなんてことがあるのだろうか。
 そうだ。創る側の実体験だって絶対に、少なからず含まれているはずだ。
 今、彼女の心には一日何時間くらい、僕がいるのだろうか? 彼女の心のなかの僕の場所に空白の時間が、あるときほんの一秒だけ生まれたとする。それが一分になり、やがて一時間になり、一日、一週間、一ヶ月と増えていくのは、僕が彼女のそばにいられない状態が続けば、自然なことではないのだろうか? 真織は一途で優しいけど、それはわかってるけど、だからこそ、いつかきっと、目の前にいない僕ではなくて現実の、目の前にいる人たちのために心の場所を開放するときがくるのではないか。引っ越した先で出会った、新しい仲間たちに優しさを与えることを選択し、そしてもしかしたら、そんなことは考えたくもないけど、彼女の一途さを与えたい人にも出会って、その人に心の場所を広く広く与え、いつか彼女のなかの僕の場所は、他の人で埋め尽くされてしまうのではないのだろうか?
 現に今、僕が見ている彼女は、僕のことを想う余裕などなさそうだ。
 式の行われていた体育館から出て、振り返る僕の視線のずっと先、体育館の奥のほうに、名残を惜しむ大勢の人たちの塊がいくつかあり、そのなかに異常に大きく膨らんだ人山がある。
 僕を除いたクラスの全員と、他のクラスに大勢いると噂されていた、真織の隠れファンたちが彼女を囲んでいるその人山で、彼女は今、大人気の芸能人のように、身動きがとれなくなっている。
 寂しがりつつも、悲しがりつつも、彼女のそばで、彼女を見て、会話できることへの喜びを表した色とりどりの騒ぎ声が、外の渡り廊下にぽつんと一人で立つ僕の鼓膜を、無慈悲に引っ掻いて突き放す。
 さよならパーティーをしようという声が聴こえる。
 クラス会をしようという、気の早い声も聴こえる。
 キャーキャーと無意味に叫ぶ、女子の声が僕の頭の痛覚神経を針で刺す。
 ゴウゴウと乱暴で汗臭そうな、男子の声が僕の心に油をかけて火を点ける。
 手紙や寄せ書き、花束までを渡そうと待機する者が増えていく。
 最後に一目だけでも彼女を網膜に焼き付けようと背のびする者が、さらに外側を取り巻く。
 やはり、真織は特別だ。
 転入してきた日からずっと、特別だった。
 あれだけ人がいても、人と人との隙間からチラリと覗く彼女の一部は、立体的に浮き出て見える。
 他の人間とは放つ光量が違うから、陰影がクッキリしているのかもしれない。
 この学校に来る前は、どうだったのかな?
 僕はそれを、どうしても怖くて訊けなかった。
 でも、想像はつく。
 どこにいても絶対に放っておかれたりしない、銀河の渦の中心の重力塊のような存在だったに違いない。
 いつだったか、学校からの帰り道に二人で話していたとき、彼女は困ったような顔で聞かせてくれた。
 都心に行くのがずっと怖かったと。
 映画を観に行ったり買い物に行ったり、進学先の学校を見学に行ったりすると、すぐに知らない大人が寄ってきて、芸能関係の名刺を渡してくるらしい。
「でもそれが自分の前にひらかれた道なんだとしたら、真剣に考えてみるのもいいかもなって、進路を決めるときにふと思ったんだ」
 そう言ったときには、僕を見ていた困り顔が、笑顔に変わっていた。
 彼女が専門学校へ行こうと決めたのも、数あるスカウトのなかで興味をもった、モデル事務所からの誘いを真剣に考えた結果、ただのマネキンになりたくなくて、服飾の専門学校で学びたいと考えたかららしい。
 経営、デザイン、裁縫など様々な知識や技術を勉強しながら、少しずつモデルの仕事も試してみようと。
 立派だと思った。
 応援したいと思った。
 でも彼女の未来が輝くほどに、僕の未来は暗く、濃い影のなかに沈んでいくようにも思えた。
 彼女が将来のことを話して聞かせてくれたとき、たぶん僕は、今と同じ顔をしていたのではないだろうか。
 すごいなぁと、大好きな人の顔が遠くなっていく感覚が寂しくて泣きそうになりながら、それを顔に出さないよう、口もとに力を込めて三日月型に歯を見せる顔。
 寂しさに溺れる恐怖心から「助けて」と手を差しのべるのでなく、微笑みながら黙ってブクブクと沈んでいくタイタニック的な顔。
 僕は、心の窒息を我慢するのが得意だ。
 知らない顔がたくさん通り過ぎる渡り廊下で一人、立ち止まっているのは迷子のように心細かった。
 沈溺したままもがくこともできず、ただ僕は水面に映る眩しい光が届かなくなる深淵まで、誰も見ていない三日月を保つ努力をし続けた。


 ──つづく。
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