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第二十三話『ある愛の巣にて』
しおりを挟むそれは、働き蟻と女王蟻の関係に似ていた。
違うのは、蟻には雌しかいないが俺は雄だってことと、俺は女王の子じゃなく、女王と番う恋人だってこと。
血縁じゃなく、惚れさせて繋がる種族に囚われた良人だ。
女王と互いの肉や体液を絡め合いながら、奴隷の喜びを刷り込まれていく。
俺は今日も、湧き出して止まらない多幸感で破裂しそうだった。
女王のために死にたくて、俺を引き裂いてみろと誰彼構わず叫びたくなる。
俺が女王のためにすることは主に、狩りだ。
と言っても直接狩るのは俺じゃない。
俺の役割は猟犬に似ている。
俺が獲物を見つけると、俺のフェロモンを辿って彼女が現場に来る。
彼女は思う存分、血に塗れて、舌鼓を打って新鮮な血肉を啜り食らい、俺はまた彼女の柔肉を、汗や体液を全身で味わわせてもらう。
俺が雄であることには意味がある。
俺が女王に魅了されるのと同じように、人間の女を俺が魅了し、女王に捧げる。
俺に忠犬のように尻を振って従うようになった純粋な女を狩り場へと誘い込み、女王がそのジビエ肉を喰らう。
恋に狂った女の瞳が俺を見つめながら生気を失っていくのを見ると、俺の本能は刺激され、また性欲が体内を駆け巡って女王を欲するんだ。
女王の体液と俺の体液を混ぜ合わせる、あの蕩けるような一日がまた始まる。
まず風呂場で、美しい裸身をさらした女王を洗う。
餌となった女の乾いた返り血を、俺の全身で擦って洗い落とす。
湯と石鹸と、俺の皮膚で女王を清め、俺の匂い一色に染めていく。
風呂場や寝室で、ひとつの肉になってしまうように、ずっと互いを求め、舐め、擦り、果ててはまた求める。
俺は働き蟻であり、また兵隊蟻でもあった。
女王の餌場である、俺と真織の性愛フェロモンで囲われた縄張りに、他の女王と下僕が結婚移動をしてくることがある。
それを見付けて女王にしらせ、迎撃するのも俺の役目だ。
今日も餌場を警邏していると、嗅ぎなれないフェロモンを感じた。
どうやら新しく番った女王と下僕が迷い込んだらしい。
間抜けヅラの男と、夏木真織が並んで歩いているのを見つけた。
自分らの餌場として相応しいかを、検分しているようだ。
おそらくあの二人は、ここが気に入るだろう。
俺と女王が時間をかけて探し、安全を確保した最良の餌場だ。
よその女王との縄張りとの境界も、命懸けで設定した。
話し合いではなく幾度も交戦し、少しずつ「ここまでがこちらの土地」と決めていった。
俺と女王は血を流し、傷を負って餌場を勝ち取ったんだ。
そこに入り込んだあの見るからに新人のカップルは、すでに自分たちが見張られていることには、気付いていないようだ。
まだ女王の味を知らない、見かけどおりの間抜け野郎め。
そんなことじゃ、おまえの女王は護れないんだよ。
この餌場には、夏木真織は二人も要らない。
俺のなかでグラグラと沸騰していく、激しい憎悪。
楽しそうに笑い合って手を繋いで歩く二人の背中が、殺意に熱を加える。
愛の巣、新天地、これから始まる二人の暮らしを想像しているのだろう。
そんな期待が、フェロモンとして強く匂ってくる。
前向きな気分で一杯の、一番楽しい時期なのだろうな。
互いの腕を愛おしそうに抱いて通りを行く後ろ姿を見ると、失笑を禁じ得ない。
あいにくだが、おまえらの未来は俺が摘み取らせてもらう。
男女の背は、ふざけあってウィークリーマンションへと入って行った。
こちらのフェロモンに気付かれないよう、かなりの距離をとっていたが、それを一気に詰める。
二人が潜った入口のガラス扉には、まだ握られた温もりがのこっていた。
俺の腹の底で生まれた憎しみは、その体温にまで殺意を覚える。
鉢合わせれば、いかに新人たちでも俺が奴隷だと気付くだろう。
ガラス扉を開け、慎重に顔をのぞかせる。
狭いエントランスには小さな二人がけソファが置かれ、窓際には造花が飾られていた。
窓から差し込む陽光が埃をキラキラと光らせ、美しい毒気のように室内の生気のなさを際立たせる。
造花、コンクリ、無人。ここにはなにもない。
入口正面の、クリーム色に塗られたコンクリ壁には小窓があり、アルミサッシのガラス戸が閉まっていた。
その小窓から誰かが入口を覗き、俺を認める。
受付用の窓と、その奥は事務室のようだ。
一度奥へと引っ込むと、小窓のすぐ横の通路沿いにある扉を開けて出てくる。
濃紺のスーツ姿の、若い男だった。
美容院で金をかけたと見られる流行の髪型が、ふわふわと自慢げに揺れている。
貼り付けたような不自然な笑顔から、機械で作ったような営業声を発して、俺に挨拶をする。
宿泊のシステムを説明しだしたが、俺は聴いていない。
道標フェロモンが俺の全身から発され、女王を呼ぶ。
通話のように具体的な内容を伝えることはできないが、来てほしい場所を正確に伝える手段としては、文明の利器よりも優れていると思う。
この建物にはシマ荒らしがいる。
連中を追うにはこの受付の男が邪魔だ。
強引に建物に入っていくことにはリスクがあるが、今を逃せば、あのカップルにこちらの存在を知られる怖れがあり、そうなれば警戒され、こちらのフェロモンの匂いを覚えられてしまうかもしれない。そうなればこちらを排除しようと動き出すのは時間の問題で、すぐに不意打ちを仕掛けてくることだろう。
ドラマや映画のように、都合よく他人を騙して建物に侵入するなんて不可能だ。
この男は、もう処理するしかない。
俺の真織が、エントランスに入ってきた。
振り向かなくても、俺には匂いでわかる。
俺に契約書らしきものを見せていた今風のスーツ男が、真織を見て「あれ?」と声をあげる。
「さっきご契約いただいたお客様ですよね?」
真織は男の問いかけに答えず、背後から俺を抱きしめて頬にキスをした。
スーツ姿の男の顔が固まる。
そりゃまあ、驚くだろうな。
ついさっき仲睦まじく他の男と愛の巣を賃貸契約したばかりの女と、姿形は同じなんだから。
『浮気を目撃した顔』というお題で披露する顔としては、百点満点中の百点だ。
「たぶん、生まれてすぐの真織だ。ここが人様の棲家だとは気付いてないらしい」
俺の頬に唇を埋めたままの真織に、俺は現状を説明する。
「また? 今月二度目じゃん」
頬から骨伝導で、くぐもった真織の声が俺の鼓膜へ振動を響かせる。
表情はハッキリと見えないが、真織の顔が驚いているのがわかる。
「えっと、三名様でのご契約でしたら、お部屋と家賃が変わってくるんですが」
スーツ男が書類とボールペンを手に、困った顔をしている。
真織が男を見た。俺の顔の横でぐるりと首が前を向いた。
人のサイズのものが、急激に大きく動く。
振動はほぼないが、突風が俺の髪を揺らした。
天井まで跳躍した真織の縦の動きに、男の視界はついていけない。
カップルの女が消えたのが不思議だと、男の脳味噌が思考する前に、ととんっと空中で真織が足踏みをした。
踏まれたのは、スーツ男の脳天。
首がべこんと折れ曲がり、折れた骨が首の皮膚を奇妙な形に出っ張らせた。
コメカミが潰れ、男の眼球がぽこんと飛び出す。
おしゃれな髪型が、一瞬で金玉の縮れ毛みたいになった。
頭骨が凹んで、ゆるふわパーマがその形に乱れ、折れた頸骨のせいで頭が下方へ落ちてぶらぶらとし、より玉袋っぽさを増す。
男は手足を硬直させ、飛び出したまん丸目玉をこっちに向けたまま、棒のように倒れた。
肩から壁にぶち当たり、ぐにゃりと腰と膝が曲がって、後頭部を壁に擦りながら地面へと崩れ落ちる。
壁にかけられていたパチもん臭い絵画の額縁が、床に落ちて割れた。
真織が壁際に歩み寄り、男の折れた首を抱えあげて齧り付く。
死にたての新鮮な血液がその唇に吸い込まれていき、若い男の首筋の頸動脈が、草むしりのような音を立てて食いちぎられる。
ぺちょぺちょと舌鼓を打つ音を背で聴きながら、俺はエントランスの奥の薄暗い通路へと進んだ。
味噌汁を啜るような音が通路まで響いてくる。
美味そうに食うなと苦笑して、俺は薄闇に目を凝らす。
経験の浅い女王と間抜けな下僕の匂いが、移動経路を光のように描いていた。
二人はおそらく、これから初めて結ばれるのだろう。
匂いから結束の弱さが伝わってくる。
悪いが、刈り取らせてもらう。
これから風呂場でも寝室でも、互いを求め続ける時間が続くと思っていたところなのだろうが、期待に濡れまくったチン先とそれを包む柔孔が結ばれることはもうない。
俺と女王の生活圏で、のうのうと悦びの時間は味わわせない。
俺はもう、今までに十五人の女王を殺害している。
互いを求める興奮した性フェロモンの匂いを辿りながら、俺は懐から取り出した大型の折りたたみナイフを操作し、刃を振り出した。
ブレードの重みがバチンと鳴ってグリップに振動を伝える。
十六人目を裂く刃の鋭さを、目線の高さにあげて確かめる。
──つづく。
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