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第二十六話『適応放散』
しおりを挟む喉笛を切り裂く。
刺すように、まっすぐに突き出した刃先で喉玉を抉る。
男の脛を靴の踵で蹴飛ばすと、脛骨が砕ける響きが伝導した。
ぞくりと背筋が快感を覚える。
襟首を掴み、引き倒す。
脛を蹴った右脚をまた振り出し、折っていないほうの足を薙ぎ払う。
蹴るというよりも、堰き止めるというほうが近い。
バランスをとろうとする足を止められた相手の重心が上半身へと移る。
ひねり倒されながら、たたらを踏むこともかなわず転倒する男。
だが、完全には倒さない。
脛の折れた足では踏ん張れず、男の体重が俺の左手にかかる。まだ俺は、相手の襟首を離していないからだ。
男は俺の真横でぶら下がるような体勢になった。
その体勢になると頸動脈も気管も絞られ、顔がぱんと張る。まずは紅く、そしてすぐに赤紫になるだろう。
急所を隠すか、この拘束から逃れようとすればするほど、苦しみは増す。
ぱっくりと裂けた喉笛からは、悲鳴がわりの血飛沫が断続している。
血糊すらついていない鋭い刃先を、今度は相手の肋骨の下から突き入れる。
肺だの腸だの肝臓だのといった臓器や血管、筋肉、脂肪を突き破る金属の突先。
それは単発ではない。
人を刺殺する時、刺して、抉って、余韻に浸るのは、映画の世界だけだ。
単発でなく、何度でも繰り返す。
相手を極力動けない状態に固定しておき、刃物で中身を掻き混ぜる。
体内を血肉のスムージーにするまで、俺は手を止めない。
刺す、押し込む、刃先をぐるりと回す。
刺す、押し込む、刃先をぐるりと回す。
刺す、押し込む、刃先をぐるりと回す。
刺す、押し込む、刃先をぐるりと回す。
しつこく、しつこく、反撃や防御の反応がなくなるまで繰り返す。
少しでも反応されたらそれを封じ、また最適の急所を抉る。
肉を開き、骨を避けて、器官を細切れにする。
血管を、臓器を、皮膚を、筋肉を。
こいつは、俺のとは別の女王の護衛だ。
こいつを失った女王は、防壁を突破された要塞。
攻城とはまず、防壁を崩すことから始まる。
相手の襟首を掴んでいる左手から、抵抗の気配が失われた。
脱力した抜け殻がぶらさがっている感覚。
脇腹や背中の数十か所から、大量の血液がぼたぼたと滴り落ちている。
もうこいつは、空っぽの血袋だ。
「どうしたの? 早くぅ」
俺の女王ではないマオリの誘うような声が扉の向こうからした。
血の匂いに気づいた気配。新品のマオリの声が扉の前で止まる。
俺は半開きの扉を思い切り蹴飛ばした。
ゴツンという衝突音とともに、跳ね返ってくる扉。
もう一度、押すように強く蹴る。
不意打ちなら、体重の軽いマオリより、骨格の大きな俺が有利だ。
仰け反ってバランスを崩す女王の姿が、開いた扉の向こうに見えた。鼻と口から出血している。
ぐるんと俯き、体勢を整えるマオリ。
──させねぇよ。
室内に飛び込んで、腰を折って下を向くマオリの顔面にサッカーボールキックを見舞う。
硬い靴の爪先が、柔い顔面にめり込む。
上半身ごと首がぐるんと上を向く。すかさず俺は右手を薙ぐ。
白く細い首から噴血し、マオリは斬られた衝撃で身体を横に向けた。
スリッピングアウェーのような、ダメージを最小限にする動き。
斬撃にどのていど有効かはともかく、彼女はダメージを逃がそうとしている。
反撃する気だ。それも織り込み済みで追撃する。
薙いだ右腕を反転させ、投球フォームのように振り下ろす。
それは横を向いたマオリの耳穴から入り、頸動脈を深く削って、鎖骨の手応えとともに振り抜かれた。
振り抜いた刃先を、チラリと横目で確認する。
刃毀れなし。血油はもう俺の手首までを汚しているが。
斬られたマオリは転倒し、四つん這いになっていた。
乱れ髪から血液が滴っている。
駆け寄って脇腹を蹴り、肋骨をへし折ってやる。
マオリは横転し、今度こそ完全に寝転がった。
踵を振り上げ、マオリの引き裂かれた首根っこへと振り下ろす。
頸椎がひしゃげ、割れる。
骨伝導ですべてが伝わり、俺はまたぞくりと快感に震えた。
二度、三度と踏み潰す。
滑らかで丸かった頬骨が割れ、細く美しかった下顎骨が砕けて輪郭が歪む。
爪先をマオリの肩に引っ掛けてくるりと回転させ、仰向かせる。
心臓だ。
体重をかけ、両手で握ったナイフで胸骨の真ん中を貫く。
浅い、浅い、まあまあ深い、深い、深い、浅い、深い。
掘るように、骨にあたっても構わず、どんどん突き刺す。
拳側にあたる乳房の感触が彼女をマオリだと告げる。
知っている柔さだ。だが、《俺の》ではない。
自動体外式除細動器をあてられた患者のように、マオリの上体が何度も跳ねる。
薄い胸骨の板が割れ、肋骨の隙間にいくつも穴があき、服が鮮血色に染まる。
不意打ちからの滅多刺し。
俺はこの方法で、何人もの女王と下僕を屠殺してきた。
新鮮な血液の滴るナイフをウエスで拭い、刃を折りたたむ。
ポケットにナイフと古布を押し込んだところで、俺のマオリが悠々と現着した。
「わぁ、すごい、ステキ」
凄惨な殺人現場を見て、俺の女王が喜びの声をあげる。
「まだ食えそう? さっき食ったばっかだろ?」
「うん、私食べるの大好きだから」
痩せの大食いキャラのモデルのような返しに苦笑する。
似たようなセリフを彼女に言われた記憶が、脳裏にちらつく。
あれはたしか、俺たちが付き合いはじめた日の──。
「ん? あれ? デジャヴュ?」
マオリも同じように感じたのか、そう言って首を傾げている。
俺は失笑し、「ほら、お好み焼き屋の日の」と記憶を分け与える。
「ああ!」嬉しそうに手を叩く女王は、幼気にも見えた。
「今もまだ、お好み焼きも好きか?」
「もう、ロマンチックなんだから」
とろけるような眼差しで俺の胸を指先でつつく。
「モチロン。あの時のまま、お好み焼きも、あなたも大好きよ」
「映画みたいなやりとりだな」
俺とマオリが額をあわせてクスクスと笑う。
マオリが俺の首に腕を回してダンスのような抱擁をした。
俺も彼女の腰に腕を回して応える。
密やかに笑いあいながら、ついばむように違いの頬や額や唇にキスをする。
ゾワゾワと、足もとから性欲の波が背筋を這い上る。
「我慢できない、早く帰ろう」
「うん……、私も」
女王と下僕になり損ねた二人から溢れ出る血の海のなかで、俺たちは貪るように互いを味わった。
頭の奥が痺れて、空腹に似た性欲が我慢の限界をこえる。
俺が世に伝播するいかなる誓いの言葉も茶番に感じてしまうのは、この実存的な求愛の瞬間を知ってしまったからだ。
俺たちは体温、体臭、体液を求め合う、二人で一体の種族。
対という最小単位の、真社会性生物だ。
自分が人間とは違う生物になってしまったことへの抵抗は、不思議なほどない。
俺は今の俺に、心の底から満足していた。
──つづく。
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