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第一話『誤解が生む人知れず起きる戦争が悲惨だって話』
しおりを挟む六月十日(木)
三秒だけ目を閉じてと言われて、つい期待してしまった。
言ったのはトラン。
いきなりキスをされるという妄想が瞬時に頭を駆け巡る。
死ぬほどドキドキしていた自分に、今考えたらアホかと呆れる。
マンガか映画の影響で、乙女脳になっていたのかもしれない。
そもそも私と彼は、そんな仲じゃないのに。
突然に始まる恋もあるかもなんて、考えたかどうかの記憶もない。
私は頭が迷子のまま、目を閉じて待った。
腕をつんつんされた。
目を開けると、トランがいたはずのそこで、ニックが笑っていた。
目を閉じた瞬間に二人が入れかわるという、ただのイタズラだった。
私が自分に呆れるのを忘れたのは、あまりにもあいつらがアホ過ぎたせいだ。
私の気を引こうとしたのなら、まだゆるせる。
たまたま近くにいた私が選ばれただけで、あいつらは互いを笑わそうとしていただけだった。
呆れすぎて、あいた口がめくれて身体が裏返るかと思った。
私を笑わそうとか、驚かそうとか、からかうとかしろ、せめて。
男同士のくだらないオフザケに、私を巻き込むな。
笑えねぇんだよ、糞蠅どもが。
女たちが大人ぶって、「同い年の男なんてガキだよ」と吹いているのを滑稽だと思っていたが、本日をもって撤回する。
全く、完全に、まごうことなき糞ガキだった。
今後、大人ぶってそう吹聴する女には、賛同することにする。
私と眼があったニックの「ジャーン」がムカついて、殴りそうになった。
ただあのときは期待が大きすぎたせいで気力が失われてしまい、なにも言えず、できなかった。
死後一週間ほど経過した死体のような顔になった私が見えていないかのように、大成功的なハイタッチをするマッチョどもを見ていると、マジで意識が遠のいた。
たぶん、白目になっていたと思う。
トランは優しくてカッコイイけど、ああいう姿を見ると、筋肉にチンコが生えただけの二歳児どもの仲間なのだなと、少し悲しくなる。
私の恋心は瞬間冷却されそうになったけど、窓辺に寄って日光を浴びることで、なんとか持ちこたえた。
太陽は偉大だ。
ああいう場面で可愛くできる女が、もてる女なのだろうな。
たとえば、ミラとか、ミラとかミラとかあいつはなんで! いっつもあんな風に笑えるの? 本気で楽しそうに見える笑いっぷりには、本当に感心させられることしきりで、一周回って空恐ろしさから、なんらかの反撃をくわえたくなる。
自然で、そらもてるわと、あいつを見るとまた口が大きく開く。そのうち流氷の天使クリオネが捕食シーンで見せるバッカルコーンのように頭が割れて巨大な口が開き、思う存分呆れる日がくるように思う。うん、なにを言っているのかが、全くわからんくなってきたぞ?
ミラをバカにするより見習ったほうが得だってことくらいは、私にもわかる。
笑うだけなんだから簡単だし、笑うのはタダなんだから非常に経済的だ。
だのになぜ……なぜか、できん!
なんでだ? プライドかなにかが邪魔をするのか?
いや違う。これは私が思うに、自分を斜め上から見ている自分のせいだ。
男どものくだらないジョークにケラケラと笑っている自分を、ゆるせないのだ。
それはなぜかとても、みっともないことのように思えるのだ。
それをプライドが高いと言うのだと指摘されてしまえば、ぐうの音もでん。でんのは認めるが、できんもんはできん。
ミラは別格だ。でも、あれはあれで異常だと思う。
ケッカーなんか一応ミラのマネして笑ってみせてるけど、あのアホですら笑いが引きつっている。
私は男に媚を売って笑っているときのケッカーほど、笑える顔を他に知らない。
たまに「わっはっは」と、セリフのようになっているときすらある。さすがだ。わかるぞと内心で頷きながらも、私はあの顔に対してこそ、純粋に、心から大笑いできることを自覚する。
男どもには、「あの顔をよく見よ!」と、指し示したい。
でもやつらはたぶん、ケッカーをよく見たとしてもきっと、同じ反応をすることだろう。チンパンジーどもめ。
ああいうのは、よく言えばポジティブってことになるのか?
めんどくせぇな男性ホルモン。理解できん。自分を俯瞰する機能は、やつらには搭載されていないのか?
あんなもんをプラス思考と呼ぶなら、私はネガティブモンスターのままでいい。ムリだ。だって人間だもの。
かと言って、男子がネガティブなのも、おとなしいのも、なぜかイライラする。
オタク野郎のサブ・カールスキーなんかはヒョロヒョロで、トランやニックとは真逆の印象だ。女慣れをしていないのか、くだらないちょっかいもかけてこない。けど、というか、のに、というか、あれはあれでなんとなく気に食わない。魅力を感じない。男に見えない。ううむ、不思議だ。
運動部のあのバカな感じには絶対に馴染めないけど、筋肉で思考するようなあの連中からは、ホルモンの分泌が匂ってくるように、ああ男だなと感じる。
まぁ、あれか、うん。トランとサブを比べるのが間違いか。
トランは日常的にキャーキャーと女の子たちに騒がれ、それに慣れている。
サブの人生には、そんなこと一度でも、あったのだろうか?
やはり経験が人格をつくるというか、ホルモンをつくるというか。
サブはたしか、バンドをやっているのだったか。
軽音楽部だったように記憶している。彼は長い髪をクルクルとコーンロウにしている。あ、長髪なのもまた、男を感じない原因か?
いや、だから、さすがにトランと比べられたら、一般男子はたまらないだろう。それはフェアじゃない。持って生まれたスペックが違いすぎる。
運動部の連中からは、たまに「お嬢ちゃん」などとからかわれている。
でもサブは相手にしない。ケンカしても絶対に勝てない。階級が違いすぎる。
そういった鬱憤を、音楽ではらしているのかな?
そう考えると、少しカワイイと思ってしまうかも。
おっと。ダメダメダメ、違う違う、今のナシ。
トランに呆れ過ぎて、好きな気持ちを維持できなくなるところだった。
私は一年の頃からトラン一筋なのに。
ライバルの多い人を好きになったら、決して、スキを見せてはいけない。
もし万が一にも、私がサブを好きだなんて誤解されるというか、するに相当する理由を誰かに与えてしまったら、その噂は一瞬で千里を駆けるだろう。
ライバルは一人でも減らしておきたいのが人情だからだ。
私なんか、誰にとっても、なんの障害にもならないだろうけども、でもトランのファンにとって邪魔なのは事実だし、邪魔者は消えてくれたほうがいいだろう。
消えろとまでは思っていないと信じたい、親しい連中にも油断してはならない。ケッカーやハナのような噂好きな女の口は兵器だ。兵器の発動により、私の人生はあえなく終わる。
サブと私をくっつけようと、全力でよけいな世話を焼いてくるだろう。やつらは要するに暇なのだ。私が自分にとって興味のない男を好きだなんてことになれば、嬉々として祭りの準備を始めると思う。
拍手とともに祝福が場を満たし、自分の意思とも事実とも関係なく、彼氏持ち、またはその寸前のレッテルを、私にベタベタと貼りつけようとするだろう。
うう、考えただけでオナカが痛い。トリハダがたつ。怖い。
なんなんだあの連中は。ゴシップ製造機か?
あいつらは間違っても、自分らが本気で羨むような、トランのようなイケメンや人気者と他人をくっつけようとはしない。
自分が日陰になるようなカップルは生産しない。そりゃそうだ。楽しく安心して祝福できる、ちょうどよく暇が潰れる、くだらない恋愛話が欲しいだけなのだ。
私も誰かがトランと噂になるなんて、絶対に嫌だ。
だから連中の魂胆も透けて見える。
誰がおまえらの暇潰しのために、捨て駒になってやるもんか。
サブはクラスメイトでしかも隣席なのに私が彼についてほとんど知らないのは、それが危険だからだ。知ろうとする行為は、ゴシップの火種に相応しい。トランを好きな女が一人減り、色恋沙汰で楽しめるなら一石二鳥。大変お得だ。経済的かつ笑える。なんと恐ろしい。
──つづく。
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