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第二話『ある日の病原体』

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 六月十四日(月)

 お昼ゴハンをハナと食べていたら、隣の人に肘が当たってしまった。
 けっこうドスンと、刺すように突いてしまったと思う。
 振り返って見ると、隣にいたのはサブだった。
 彼とは教室でも隣席だけど、食堂でもまぁ、だいたい同じようなランクの連中は似たような場所に集まる傾向があるので、私らもサブも大概そのへんにいる。て、サブはそんなの気にしてないのかもしれないけどね。なんか呑気というか、人間と人間の相関図とかに無頓着そうだし、あいつ。
 当てたのは私なのに、眼が合った途端、「ごめん」とサブが謝った。なんでだ。そんなだから運動部の連中にからかわれるんじゃないの? と、言いそうになったけど、面倒なので私も普通に「いいよ」と答えてしまった。
 サブの顔を間近で、正面から見るのは初めてだった。
 へー、こんな顔してたんだ、なんて、私はしばらくじっと見てしまった。
「なに?」私とサブの声が重なった。
 サブにしてみたら当然の反応で、私の「なに?」は、よく考えたらというか別によく考えなくても変だったのに、私はムッとした顔をつくって、また「なによ」と押し切った。
 思ったよりも冷たい声が出て、たぶんそれに合わせたくらい冷たい顔をしていたように思う。
 サブは慌てて、また「ごめん」と謝った。
 なんなのだろうか? あの卑屈な感じは。
 遠慮? とも違うし、怖がっているというのもなにか違う気がする。
 男の子の感覚は考えてもわかんないけど、私はサブの顔から目線を外しながら、こいつ確か、バンドではボーカルをやってると聞いた気がするなと考えていた。
 自分で歌う曲は自分で作詞、作曲をするとも聞いた。誰に? えーと、忘れた。たぶん噂好きなハナかケッカーのどちらかが、教室を眺めながら目に入った誰かの情報をポツポツと「〇〇は〇〇らしいよー」なんて、密告でもするかのように他の誰かの耳に注入していたのだろう。その垂れ流して聞き流すラジオのような言葉を脳ミソが記憶していて、サブの顔を近くから見たのをきっかけに記憶の引き出しがポンとあいたのだ。知らんけど。
 作詞をするなら、たとえば今日の食堂でのことを思い出しながら、私との会話をいつか歌にすることもあるのだろうか? それは……、まあまあキモいな。とも、思えるし、なんかステキかもなんて思ってしまいそうな自分もいる。
 なんてのも、食堂であのときに思ったことなのか、後で、なんとなく考えたことなのか、今、ふと思い出してそう思っているのか、どれなのかがわからない。
 ええ? ……なんだこれ?
 深く考えるのが面倒なので、思考停止することにした。
 自分で自分がわからない、と、悩むほどのエピソードではない。
 どーでもいい。登下校や遠足の景色の記憶と一緒だ。こんなもんは。
 一時的な気の迷いで、サブなんかに興味を持ってしまうと、後で後悔することになる。ていうか、現に今、少しその状況に身を置いているような気もしている。
 興味を持ったとかそういうことじゃない。そう受け取られてしまう恐れのある、今日のサブとのやりとりを、至近距離からハナに一部始終、じっくりと観察されてしまったのだ。
 サブに肘が当たったことはいい、それは、しょうがない。
 いつか、誰かに肘が当たるなんてのは、起こり得ることだ。
 でもその相手がサブの日に、なぜ私はハナなんかとメシを食ってしまったのか。
 私は予知能力者じゃないので、こうなるからハナとは食事をしないなんて選択はできないのだけれど、偶然だとしたら神様、これはあんまりじゃないッスかね。
 どうしていればこの事態を避けられたのかと考えるのは、もう無意味だ。起きてしまったことは変えられない。
 対応策を考えるのも違う、というか逆効果だと思う。
 ねぇハナ、サブの件でなにか誤解してないよね? なんて訊くのはヤブヘビだ。不審者のやるやつだ、それは。
 でも、うーん……具体的になにかあったわけでもないし。
 会話はしたが、仲良くでもないし、誤解されそうな単語もなかったと思う。
 あの後だって普通に、なにごともなかったかのように、ていうか、別に、本当になにもないんだけど、すぐにまたハナといつもの欠片も記憶にのこらないような、時間をムダに食い潰そうとしているかのような、糞しょーもない会話に戻ったし。
 うん、よし、大丈夫だろう。
 ハナ、大丈夫だよね?
 誤解は、してないよね?
 私は信じてるぞ。って言うやつは、信じてないやつだけど。
 でも、信じるぞ? やめろよ? 私をオマエのネタにするなよ? 一瞬の話題のために、友を犠牲にするなよ? おまえそれは、最低だからな? 頼んだぞ?
 よし……、もう、不安しかない。


 ──つづく。
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