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第二十五話『嘘つき』
しおりを挟む決意という濁流に流されかけて、ふと感情の勢いを止める。
あ、ダメだ、明日、土曜日だった。
学校、休みじゃないか。
ううむ、この盛り上がった気持ちが、月曜までもつかな。
いや、まてよ?
ハングリーボール部はたぶん、土曜日も活動していたはず。
とくにレギュラーのトランは、仮に全体練習が休みだったとしても、個人練習のために登校するのではないかな?
ああ、危ない。
週末だから今度にしようというイイワケに、逃げ込みそうになった。
やるぞ。
やると決めたことは、絶対にやるんだ。
七月十日(土)
スクールバスは運休なので、パパに学校まで送ってもらった。
パパは球技に興味がないので、ハングリーボールの見学だと言うと、後で迎えに来るよと車を出した。
これから男性に告白するかもしれない私としては、そのほうがありがたい。
親同伴で告白なんてムリだ。
うちのパパは娘の恋路を邪魔するような人じゃないけれど、それでもいられると邪魔だ。
しかし、なんだろう。足が動かない。前に出てくれない。
前夜に決めたことを実行するのって、なんでこうも難しいのかな。
歩いてないから身体は全く動かしていないのに、心臓だけが、全力疾走しているかのように自律神経を混乱させている。
こんなのムダじゃないか? という疑問が何度も頭をもたげる。
怖い。
すごく怖いんだけど、どうしよう?
私が今からしようとしていることには、ただの失恋よりも大きなリスクがある。
ハナの顔が頭にちらつく。
これは抜け駆け。裏切り行為じゃないのか? と自問する。
そうだ。
イイワケのしようもないくらいの、裏切り行為だ。
でも、やるんだ。もう決めた。後のことは後で考えればいい。
でも、どうすればいいのかがわからない。
頭の中で繰り返された告白シミュレーションは、全部ゴミだった。
現実味のない、妄想のなかのトランとの会話だったことが、学校という日常的な現実の前に立つとわかる。
足を引きずるようにして、身体を前進させる。よし、動ける。
自分の意思じゃないみたいな動きで、操縦するように身体を動かしていく。
自動では、足が前に出てくれないからだ。
ひとけがほとんどない静かな校舎を抜けて、裏のグランドへと出る。
他の部活は活動していないが、ハングリーボール部は普通に練習していた。
遠いグラウンドの中心で、鎧のような防具をつけた部員たちが、ボールを投げて受けて、なにかに体当たりをして、小刻みに足を動かして行ったり来たりしては、それぞれのポジションの練習を繰り返している。
見学者は一人もいなかった。
心なしか、部員の数も少ないように見える。
レギュラー中心の練習なのだろうか?
震える足を強引に動かして、彼らのほうへと進む。
しばらくは別世界のようだった練習風景が、だんだん音と体温をもった現実へと変わっていく。
コーチとマネージャーが私に気付いて、進路を塞ぐように近付いてきた。
厳しい目つきの大人二人が、日に焼けた腕を左右に振って大声を出す。
「オイなんだ、今日は見学は禁止だ、帰りなさい!」
首からホイッスルを下げたコーチの声が私の耳に届く。
私は構わず進み、二人のオジサンと対峙した。
二人はまたなにか言おうとしたが、私が機先を制す。
「すみません、トランに話があってきました」
「トラン? トラン・デ・イラレン選手のことか? グルーピーか、まったく」
メガネをかけたマネージャーが、顔をしかめて吐き捨てるように言う。
失礼な決めつけではあるが、おおむね間違ってもいないので否定できない。
彼に急に告白しにくる女を、世間では頭のいかれたグルーピーと呼ぶ。
もっと言えば、危険なストーカーの一種でもある。
練習の邪魔をしてまですることではないと、その程度も判断できない狂人。
うん、我ながらヤバイなと思う。
彼との身分の違いを思い知らされ、心を打ちのめされつつも、昨夜の決意を思い起こして勇気を振り絞る。
「大切な用件なんです、お願いします」
「なにか渡したい物があるなら預かる。だから今日のところは帰りなさい」
「渡したい物なんてありません。伝える必要のある重要な話があるだけです」
「なんだ、どんな話かね?」
「それは、プライバシーにかかわることなので言えません」
「彼のプライバシーかね、それとも君のプライバシーかね」
「言えません」
「それでは、とおすワケにはいかないな」
「一生の問題なんです、お願いします」
「次の警告に従わなかったら、警備員を呼ぶことになる」
「構いません。でも今日、どうしても確認をとる必要があることなので、彼と少しだけ話をさせてください」
「困った娘だな、では最後の警告だ、いいかね? 今すぐ帰っ……ちょっと待て、確認だと?」
「そうです、彼に関しての、とても重要なことの確認です」
頭を下げても、取り付く島のなかったコーチの表情が、微かに変化した。
少しズルい言いかただったけど、ここは手段を選んでいられない。
コーチがゴホンと咳払いを一つして、私を覗き込む。
「君は、彼の親戚かなにかかね?」
「違いますが、プライベートな問題であることは、本当です」
嘘は言っていない。
二人の中年男性が、ヒソヒソと小声で相談している。
「イラレン!」
振り返り、グランドに向けて怒鳴るように呼びかける。
ヘルメットのせいで、誰が誰だが判別できない選手の一人が動きを止める。
練習のサイクルから外れ、ヘルメットを外す。トランだ。
コーチが、こっちを向いている彼に、大きく手招きをする。
トランが駆け寄ってくる。
彼が外れたと同時に、代理選手がサイクルに入るのが見えた。
どうやら、作戦にかかわる重要なポジション練習をしていたようだ。
そりゃ、部外者は入れないはずだと得心がいく。
走ってきたトランが、コーチの前で立ち止まる。
訝しげな顔が、コーチから私へと順に向けられる。
「なんだこいつ」という、無価値な虫ケラでも見るような目つきだった。
──つづく。
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