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第三十話『わかっていた日の話』

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 七月十六日(金)

 楽しい、楽しい、楽しい!
 私は今週、毎日バンドの練習に参加して、メンバーたちと一緒に曲を作り、曲を練り上げ、セッションもして、家に帰ると作った曲に詩をつける作業をした。
 練習が終わる頃には毎回、声がかれて出なくなった。けど、若いからか翌日には快復して、また元気一杯でリハに参加した。
 喉は潰すたびに強くなり、かれにくくなると同時に声量が増した。
 サブと歩くとき、私は彼の腕に自分の腕を絡ませて、身体を密着させるのが常になっていた。意識してそうしたのではなく、いつの間にか、自然とそうなった。
 サブは拒絶するでも照れるでもなく、私の態度の変化を受け入れてくれた。
 メンバーたちも、それをからかったりせず、あたたかく見守ってくれている。
 サブ以外ともどんどん仲良くなり、彼らが何人かで並んで廊下を行く背を見かけると、後ろからいきなり飛びついて、割り込むように間に入り、両サイドの二人と肩を組んで、ぶら下がるようにしながら一緒に歩いた。
 さすがに、「ビックリしたぁ」とか、「重いぞマッキー!」とか、口では文句を言われたが、彼らの声や表情はいつも嬉しそうだった。
 日々全力でヘトヘトになるまで練習していたので、この日記も今週は、全く書けなかった。
 でもその代わり、というのも変だけど、私と彼らの新曲は、どんどん良くなっていった。
 演奏のたび、誰かがどこかを改良し、それに合わせて他の誰かも工夫をする。
 少しずつ磨かれ、輝きと精度を増していく、精密な工芸品のようだった。
 改良した曲が、そのときはそれがベストだと思っても、次にまた改良が進むと、前までのいびつさがよくわかり、改良の結果に納得し、つかの間の満足を味わっては、また改良するという日々の繰り返し。
 改良は、ただ前進するだけでなく、元に戻すこともよくあった。
 練習中や練習後に何度もミーティングをするので、あそこは前のほうがよかったとか、もっとこうしてほしいとか、意見交換をするからだ。
 変えてすぐに戻すときも、いろいろ工夫をして、結果的に戻るときもあった。
 メンバーたちは結論を出す前に、必ず私にも意見を求めた。
 私が「わからない」と答えても絶対にバカにしたりせず、ちゃんと丁寧に説明をしてくれた。
 私が意見をうまく言葉にできないときも、じゃあいいよと先に進むのではなく、できる限り待ってくれた。そしてその後、どれほど変なタイミングで意見が言葉になったとしても、そこで立ち止まって、ちゃんと皆で考えてくれた。
 だから私も彼らのその誠意に応えようと毎回真剣に考えたし、どうしても答えが出ない日は、録音した音源を持ち帰って熟考した。
 自分の意見を言えるよう、楽器隊の演奏をよく聴くようにしたし、自分の歌も、最初は録音した自分の声が恥ずかしくて聴き返すのは嫌だったけど、何度も何度も聴き返して、慣れた。
 ほんの数回聴いただけで飽きてしまう部分は、それがほんの数小節であろうと、駄作は駄作だと厳しく判断したし、違和感は違和感、個性は個性で違うものだと、時間をかけて作った詩や曲でも、客観的に聴いて自ら批判した。
 大変だったけど、嫌な気分で終わる日はなかった。
 話し合いがスムーズで、喧嘩みたいにならないのは、進行役がしっかりしているからだ。
 誰がリーダーとかは決めていないと皆が口を揃えるが、意見を纏めているのは、どう見てもドラムのノンだった。
 彼はいつも冷静で、どんな意見にもフェアに対応し、言葉に説得力があった。
 メンバーたちもノンが軌道修正をすると、素直に話題を戻した。
 サブは週の前半はミーティングだけに参加して、リハは大人しく見学していたのだが、ガーゼのとれた昨日くらいからは、少しずつマイクを持つようになった。
 やはりサブが入ると演奏のノリが違う。リズム隊がダレなくなる。
 サブの歌やラップは正確な拍を刻み、盛り上がるところでは、跳ねたり踊ったりする。
 それに演奏がのせられて、グルーヴ感が生まれる。
 生演奏なので多少の加減速はあるけど、それはミスではなく、曲を活かすための味になった。
 ふとしたときに、このキラキラとした時間がすごく貴重な体験だと感じられて、それを共有させてくれる皆に、心のなかで何度も感謝をした。
 これは、夢かな? と、すっかりリハに慣れた今でもよく思う。
 なんでこうなったのかが不思議なくらいの、奇跡のような一週間だった。
 私はそれをもっともっと実感したくて、今日もサブの腕に抱きつき、仲間たちの背に飛びつくのだった。


 七月十七日(土)

「ああ、そうそう、ライブな、来週の日曜に決まったぞ」
 今日はサブの家のガレージでリハをする日だったのだが、機材の準備をしている最中に、ノンが不意にそう言った。
 メンバーたちは「おおー」と口でリアクションしただけで準備を進めていたが、私だけはノンを二度見した。
 なんだその、さりげない大ニュースは。
 私は一度ノンから機材へと視線を戻し、いや待てと三度見した。
 もちろん、本番があることは最初からわかっていた。
 でも心のどこかでは、いつまでもこの楽しい時間が続くと思ってしまっていたのかもしれない。
 本番を見据えて厳しい練習をしてきたはずなのに、なぜか私は、これは遊んでる場合ではないなと、よくわからない気の引き締めかたをした。
 そのくらい混乱して、緊張していた。
 息が苦しくなり、足もとがフワフワした。


 ──つづく。
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