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第三十一話『本当に必要なときの自己暗示のかからなさ』
しおりを挟むホーリー通り繁華街の南端、いかがわしい店の並ぶ辺りに、キャパ五百人ほどのハコがあると、ノンは説明を続けた。『ハコ』が、ライブハウスの意味であることくらいは、話の流れから私にも想像がついた。
淡々とリハの準備を進めていたサブとケイが、「おおっ!」と驚いた声を出してノンを振り返る。
「なに?」と私が尋ねると、彼らは興奮して、かわるがわる説明をしてくれた。
どうやらそのライブハウス、『ハリケーン』とは、有名なバンドたちが出世していった登竜門のようなところで、客も持っていない学生バンドクラスが一発目から日曜の夜の部に出られるような場所ではないらしい。
「オーディションは?」ノビがノンに訊く。
ノンは「ない」と即答した。
またメンバーたちが、一斉に驚きの声をあげる。
サブが皆を制し、「なんで?」と怪訝な顔をする。
「俺のコネだ」
ノンのコネとはなんなのか私にはわからなかったし、そのときは訊こうとも思わなかったが、メンバーたちはその一言で納得したようだった。
「あそこは、半端なライブをしたら、マジで殺されるぞ」
ノンが冷静ながらも、真剣な表情で言う。
皆はそれにも、当然だという顔で無反応だった。
後で聞いた話だとそこはギャングのたまり場のようなライブバーで、乱闘事件は茶飯事だし、何度か発砲事件もあったという。通称『ホーリー通りマフィア』とも呼ばれる大組織、『ヴァンプ団』というストリートギャングの息がかかっており、音楽業界への繋がりも持ちやすいが、ヘタクソなバンドは、ライブの途中で舞台を引きずりおろされて、袋叩きにされるらしい。
袋叩きは嫌だなと思ったが、緊張の中にも自信を表情に滲ませるメンバーたちを見ていると、プレッシャーは興奮へと変わり、自分にもやれそうな気がした。
「いいか、来週の日曜だからな。皆、親にちゃんと許可をとっとけよ。間違ってもガキみたいに、無断で家出してくるな。親が通報なんかしたら場所が場所だけに、ライブハウスに警官隊が乗り込んで来んぞ」
ノンがドラムセットの中心に腰かけて打楽器の位置を調整しながら念をおした。
七月二十四日(土)
今週もずっと、練習漬けの毎日だった。
体力的にはキツかったけど、楽しかったし、ライブという目標が具体的になったので、キツイと思える余裕すらなかった。
ステージに立てそうな気がしたのは、まだ本番まで日数があったからで、それが減っていくと、どんどん緊張が興奮を塗り潰していった。
初心者の私は練習しても練習しても不安で、いつも限界までやめられなかった。
私と彼らの新曲はもう完成しており、技術的に個々の細かい改善点はあっても、構成など大きな変化はもうなかった。
彼らはまず一回しだけ自分たちの曲を練習すると、後の時間は全部、私との曲の練習時間にしてくれた。
疲れたら軽くセッションすることもあったけど、私の不安が少しでも減るよう、何度でも練習に付き合ってくれた。
今週に入ってからは、曲順も、演奏法も、ライブ本番を想定したものになった。
客のいる方向を決めて演奏する、仮想ステージとしての練習。
これが意外と、勝手が違った。
セッションもそれまでの練習も曲作りも、輪になってすることが多かった。
でも皆が同じほうを向いて、そこに客がいると考えて演奏すると、バンドなのに一人で戦っているように感じた。
私は一曲だけだし、サブが細かくフォローをしてくれるから、まだ気は楽なほうだと思うんだけど、各楽器は一人ずつしか担当者がおらず、それぞれが各パートの責任を一人で負っている。
皆で演奏しているのは、間違いなくそうなんだけど、自分の音は自分しか出していないので、意外とミスが紛れてくれない。
ロックだから多少は音が埋もれるけど、リズムや音を外すとすぐにわかる。
私がごまかせるのは、歌詞を間違えたときくらいだ。
堂々と歌い続けていれば、間違いには気付かれない。
でもミスをしたという顔をすれば、それは観ている人にすぐ伝わってしまう。
後ろから皆を見ているノンが、一回ごとにそれを注意した。
練習で本番以上のことができなくて、本番だけ急に、まともなショウができると思うな。
ノンはこれを、口を酸っぱくして毎日繰り返した。
客は、客のフリをした身内なんかじゃない。
金を払って観にくる、本当の客なんだ。
楽しませてみろよってやつが大半で、自分から楽しもうとするやつは稀だ。
人生最後のステージだと思って、死ぬ気でやれ。
死ぬ気でやるショウを毎回、いつでもできるようになれ。
もう、曲の練習の時間は終ったんだ。
毎回の練習を、本番だと思え。
ノンの言葉は厳しいけど、不思議と救われた。
メンバーたちは、ちゃんとそのとおりにしていた。
私も、未経験だけど、頭に観客を思い描いて歌った。
私が想像するステージ上の景色がどこまで正確なのかは不明だけど、その真剣なライブリハは、私に少しずつ自信を与えてくれた。
大暴れして演奏するメンバーにのせられ、私も必死でライブをした。
苦しい思いをしたぶんだけ、また薄皮を重ねるように、ペラリと自信が積まれていく。
何度も吐きそうになったけど、汗の量が後悔を減らすと信じて頑張った。
で、今日だ。
前日リハは、キチンと一つ一つ、確認しながらの丁寧なリハだった。
けど、終わってしまって今はもう家にいる。
そわそわして、ずっと落ち着かない。
明日が本番だなんて、他人事のようだった。
私が本当に、歌手みたいに客前で歌うのか?
それも、パフォーマンスをしながら?
だめだ、じっとしていられない。
なにをしたら落ち着くのかがわからず、寝ることもできない。
アカペラで何度も、教わったとおりのライブ練習をした。
ステージを想像しようとすると、つい目を瞑ってしまいそうになる。
でも練習でそれをやると本番でもやってしまうよと、サブにいつも言われていたので、目を閉じないように気を付ける。
私の目には、会場に溢れる観客が見えている。
できる、できる、できる。
あれだけやったんだから、きっとできる。
本番には当然、やりなおしなんてない。
ダメだ、不安になるようなことを考えるな。
できる、私は、できる!
上がったり下がったりを繰り返しているうちに、どんどん夜は更けていった。
──つづく。
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