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第三十二話『相互依存』
しおりを挟むもう、お風呂にも入った。
夕飯も済ませた。
あとは眠るだけというか、本番にそなえて眠っておかないといけないのに、全く眠れる気がしない。
ベッドに横になり、布団にもぐりこみ、ガバっと起き上がってすぐにベッドからおりる。
部屋をうろうろ。
ベランダに出るためのガラス戸に自分の姿をうつしての個人練習。マイクを持つフリをする右手が、なんともダサくて情けない。
いい加減に寝ないとと焦って、またベッドに横になる。
布団にもぐり、ガバっと起きて……繰り返し。
時間が過ぎるのが早い。タイムスリップみたいに飛ぶように過ぎていく。
よし、落ち着け。
私は最初からステージにあがるわけじゃない。
私が客を盛り上げる必要もない。
バンドの皆が会場をじゅうぶんに温めた後、盛り上がっている状態のステージにあがり、いつものように歌うだけ。
一曲で終わり。
苦しいのも、緊張も、ものの数分で終わり。
マッキーがどんなパフォーマンスをしても絶対に客が冷めないように、俺たちがちゃんとやっとくから、大丈夫だよ。
たしか、そう言われた。誰に言われたんだっけ? 忘れた。もう、そんなことをたくさん言われすぎて、誰になにを言われたのかも思い出せない。
果たして、そんな魔法みたいなことが可能なのだろうか?
初見の客だと言っていたのに。
彼らのパフォーマンスが年齢のわりに優れていたとしても、まだ高校生だよ? ほんとにできるの? そんなこと。
いや……いや、違う、問題は彼らじゃない。私だ。
私が心配しているのは、私自身が失敗すること。
他の誰かの失敗なら、笑って励ましてやればいい。
でも、私が彼らの足を引っ張るのだけはダメだ。
彼らは素晴しいバンドだと、本気で思う。
きっといつか、近い将来、有名になると思う。
その歴史に泥を塗ってしまったら、後悔してもしきれない。
一番不安なのは、緊張して歌詞が出てこなくなること。
歌詞を間違えたとしても、なにか歌っていれば、ごまかせる。
でも、いざそうなったときに、なにも出てこなかったら?
ライブ練習でも何度かあったけど、あれ、本番でもやらかさない?
サブは、なんて言ってたっけ?
そうだ、たしか、そんなときは、歌詞なんかなくていいと言っていた。
スキャットという歌唱法は、もともとそうやって生まれたのだと。
歌詞がわからなくなったジャズシンガーが、適当に歌ったのが起源だと。
だから失敗なんて、ライブにはないんだと言っていた。
失敗なんてない?
それは、どういう意味だったっけ。
そうだ、歌を間違えたくらいで楽器隊は演奏を止めたりしないから、ボーカルが自分を見失ってあたふたしなければ、多少の間違いはアドリブと一緒で、失敗とは言わないとかなんとか、たぶんそんな感じだった。
スキャット……セッションでいつもやっている、テキトーにペラペラ歌うやつ。うん、あれね。忘れないようにしないと。
サブの言葉は、いつも私に力をくれるなと、もう一度、布団にもぐりこむ。
少し暑い。
もう初夏も過ぎたのに、まだ羽毛布団だった。
湿度もあがってきている。じっとりする。
これは緊張の汗か、体温調整の汗か、どっちだろう?
寝苦しい。
また、布団から顔を出す。
薄暗くした部屋を、また明るくする。
もう限界だとイライラして寝返りをうったとき、枕もとで充電していたスマホのヴァイブレーションが着信をしらせた。
こんな夜中に、誰だ?
腕をのばして電源を入れ、画面を表示させる。
表示されたメッセージを見て、思わず笑ってしまった。
『わかるよ~、ぼくもだよ~』という文字の後に、泣いている犬の絵が同じ動きを繰り返している。
なにこれ、テレパシー?
私は、サブはもうとっくに寝ていると思って、メールを我慢していたのに。
何時間も前に『おやすみ』は送ったし、サブの睡眠を邪魔したらバンドに迷惑がかかるからと、遠慮していたのに。
そうだよ、サブは、初ライブ前夜のフロントマンの気持ちを、メンバーの誰よりというか唯一、わかってもらえる相手だったんだ。
食いつくようにメールを返し、泣き言を連ねる。
サブは『わかる!』とか、『うんうん!』と、共感してくれた。
ボーカルが失敗したら、なにもかもが台無しになる。
その日のライブだけの問題じゃなく、それまでの練習もバンドの評判も、全部がメチャメチャになってしまう。
客の視線を集め、誘導し、ライブを進行させるのは、フロントマンの役割だ。
その責任の重圧は、同じバンドでも楽器隊にはないものだと思う。
歌って、踊って、喋って、客を煽る。
それを全部、芸能人でもない無名なボーカリストが、たった一人で担うなんて。
止まらない。
やりたくてやってることなのに、愚痴が止まらない。
わかってもらえるのが嬉しくて、止まらない。
べつに私がやれと言われていないことまで、なぜ私がと文句を並べてしまう。
サブはアドバイスも否定もしない。
一緒になってブーブーと文句を言い、私と同レベルみたいに『わかる』と言ってくれる。
ひーっ! そんな風にされると、ほんとに止まらなくなるよ。
自分の失敗がバンドの失敗とイコールになってしまうという怖さを、サブは嫌というほど知っている。
ボーカルは自分の身体で音を出す楽器(だとサブが言っていた)だから、自由に呼吸もできない。
常に視線が集まるから動き続けないとならないし、動けばそのぶん体内の酸素は消費される。
一番苦しいのに、プラスアルファの責任の割合が大きい。
演奏中、どんどん酸欠で頭がボーッとしてくるのに、そのドロッドロの脳ミソを働かせて、ライブMCもしないとならない。
そう考えると、今、こうして私を励ましてくれているサブのほうが、私の何倍もプレッシャーを感じているんじゃないのか?
いや、きっとそうだ。
経験者なんていっても、彼は私と同い年なんだ。
この情けない感じのメールも、一緒に泣き言を並べてくれてるのも、わざとだ。
私の不安を痛いほどわかっているから、弱さを見せてくれているんだ。
最初に送られてきた泣いている犬のアニメがサブと重なり、頼もしく見えた。
私には、彼がついている。
彼に頼って、任せておけば、なにも心配いらない。
満たされたような安心感に包まれた途端、睡魔が襲ってきて眠りに落ちた。
朝起きたら、片手にスマホを握ったままだった。
だから昨日の日記の後半は今、ライブ当日の朝に書いている。
やっぱりまだ緊張してるのか、早く目がさめちゃったんだけど、でも気持ちには少し余裕がある。
昨夜書いた前半は、緊張を紛らすために書いていた。
でも今は逆だ。
感謝の気持ちを書きのこしておきたいから、書いている。
サブ、ありがとう。XXOOXX。
七月二十五日(日)
現在の時刻は深夜の二時。
もう今夜は、朝まで眠れそうにない。
昨日もあまり眠れなかったのに、二日連続で寝不足だ。
今日あったことをここに書いて心を落ち着かせようかと思ったんだけど、記憶がグチャグチャでうまく書ける気がしない。
でもたぶん、書けば頭が整理されていくと思う。
だからとにかく、思い付くままに書き記す。
午前十時半頃、サブの運転するバンがうちまで迎えに来てくれた。
今夜は通常のブッキングではなくイベントなので、対バンが多いから、入時間も早いのだと、同乗しているノンから皆に説明がされた。
通常の入時間など知らないので、私にはこれが早いのか遅いのかなんて、てんでわからない。
ていうか、どーでもいい。
楽器の詰め込まれたバンの後部座席には、ノンとノビとケイが座っていた。
運転席はサブで、助手席は私だった。
皆の顔を一人一人、確認するように見る。
サブとノンは、いつもどおり落ち着いていて、なにも変わらない。
弦楽器コンビのノビとケイは、えらく眠そうだった。
そういや学校でもこいつらは午前中、目が半分閉じて仏像のような顔をしていたかもしれない。
夜型なんだなと、二人の呑気な顔を見て心の中で決めつけてやった。
私とサブが昨夜、どんだけヤキモキしたかも知らないで、まったくこいつら。
でもサブは、そんな呑気なメンバーを見て笑っていた。
なるほどね……、頼っているのは、お互い様なのかも。
だとしたら、昨夜の私も、少しはサブを救えていたのかな。
だと、いいな。
──つづく。
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