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第三十六話『解き放つ』
しおりを挟むスモークの焚かれたステージ上に、メンバーたちが並び立つ。
客席から向かって左側のベースのケイがだらりと両肩を下げ、操り人形のような姿勢で右腕だけを動かして、教会の鐘のような音階をボーン、ボーンと鳴らす。
私は最前列で、目を大きく開けて皆を凝視していた。
照明とスモークが冷たいエアコンの風で揺れて、幻想的な闇と光の中間に色付けされた人影を滲ませる。
いつも一緒にいた、あいつらと同じ人には見えない。
少し高い位置に立っているからか、皆が大きく見えた。
「楽屋で待機するか?」
メンバーたちに訊かれたとき、私は客席でライブを観たいと言った。
正解だった。
楽屋で待ってても緊張してかたくなるだけだ。
胸が高鳴る。
興奮で、下腹がムズムズする。
おしっこがジワジワと出てしまいそうなこの感覚は、どこかで覚えがある。
あれは、たしか……。
ドラムのノンはスモークの向こうにいて、姿が見えない。
行進のようなスネアのリズムがベースの低音に交ざり、ドラムも参戦したことが観ている者の耳に伝わる。
一定のリズムの打撃音の頭に、重いバスドラの砲撃が重なる。
ベースが加速し、不穏な響きが空気を振動させる。
来る、来る……!
歪んだベース音のなかに、弾くようなインパクトが味付けされ、刺激を増す。
加速しても、波のようにうねるその強弱は、心臓のテンポに似て速すぎない。
速くないが、重たい。押し潰されそうな、割れた重低音。
フェードインする、切り裂くようなギターノイズ。
ノビのピックが弦を擦る音が、リフのリズムに傷のように刻まれる。
ザクザクッ! ザクザクッ! という連続した破壊音の途切れ。
暴力的に空気を引っ掻く、複数の音の交じるギターコード。
心臓を絞るような緊張感が、これは急降下への序章だと宣言している。
まだだ。
まだ一人、群れの中心で照明から外れ、闇の中で佇んでいる戦士がいる。
そいつの握る小さな鉄塊が、たまにキラリと反射光を放つ。
その影は、頭を捻るようにして、縦に振っている。
首がぐりんと回り振り下ろされるたび、その編み込まれた長髪が跳ね上がる。
ノンがスティック同士を打ち合わせてカウントする1、2、3、4のかわりに、スネアとシンバルを乱暴に叩く。
四回目の派手なカウントと同時にギターとベースがシンクロして、戦争のような爆撃音を掻き鳴らす。
キレイに揃った高速のリズム。
息が苦しい。
荒れ狂う爆音の波が、ドラムの打撃音とともにバンッ! と急停止する。
一瞬の静寂。
証明がサブにスポットを集中させる。
「跳べぇッ!」
マイクを齧るように口に突っ込み、サブが吼える。
一斉に跳ね上がるサブと、両サイドの弦楽器隊。
また急加速して爆発する、殺人的な傷だらけのノイズ。
スピーカーから噴出する、痺れるような激音の波動。
ドラムからくる振動は空気の球とともに飛来し、フロント三人が荒れ狂う足音は舞台を揺らす。
スピーカーからの音は立体的な風となり、頬を叩く。
観客は全身に、麻痺するほどの刺激を浴びせられ、思考を止められる。
皮膚が、鼓動が、魂が、生命が、鷲掴みにされる。
タァンッ! というノイズの奥地で弾けたような打撃音と、サブの高速ラップが吐き出されるのは一緒だった。
最前列の観客が、頭を振り回して暴れだす。
興奮が溢れ、天井を向いて叫んでいるやつもいた。
あっという間にAメロが終わり、モッシュタイムが始まる。
うねるノイズの渦巻きが会場を呑み込み、かき混ぜる。
ギターリフに合わせて、客席が同じ動きで上半身を振り上げ、振り下ろす。
ステージ上にフラッシュが焚かれる。
バチバチバチッと、火花のように細切れにされる、舞台の上の時間。
暴れ回るフロント三人の、振り乱される髪や躍る衣服が、光るたびに位置と形を変えて、目に飛び込んでくる。
高速のまま、跳ねるようなリズムへと、サブのラップが変化する。
ギターとドラムは変わらず、大波の中心でベースだけがラップとともに音を跳ねさせる。
激しさに鋭さとリズム感が加わり、なのにグルーヴの破壊力は増大した。
男たちは獣のように暴れ、女たちはとろけるような視線をステージ上に貼り付かせている。
女たちもただじっとしているわけではなく、興奮し、悲鳴のような声援とともにピョンピョンと跳ねていた。
ロケットが墜落するように、一曲目が終わる。
だが、終わったという印象は受けない。
ドラムとベースは跳ねるような連音を鳴らし続けている。
まるで一続きの曲のように、次の曲へと進む。
興奮も、不安感も、歓びも止まらない。
サブがコーンロウを振り回して怒鳴る。
「アーバーレーロォーッ!」
最後の「ロ」に合わせて、ドラムが空気を爆発させる。
またサブの両サイドで、ケイとノビがシンクロする。
同じ動きで頭を深く下げ、上半身を縦に振る。
マグマのようなエネルギーが、観客たちの大動脈へと送り込まれ、破裂する。
刺激物を食らわされた観客は、吸血鬼の大群のようだった。
フロム・ダスク・ティル・ドーンのライブバー『おっぱいグルグル』の再現だ。
アマゾン川に入った牛を歓喜して食らうピラニアの大群のようでもある。
残酷な迫力。
容赦ない食欲の大渦に、大好物を投げ込むという惨劇。
音楽という麻薬で陶酔し、狂乱する、化け物たち。
沸き起こる、ヘッドバンキングの大波。
対照的なほどの美しいメロディを、泣き叫ぶように歌うサブ。
徐々に感情は盛り上がり、サビへと雪崩れ込む。
歌声を追うように、ザワザワと楽器隊のノイズがサビを汚染していく。
ノイズに追い付かれ、サブの声が急変する。
メロディは同じ。
でも声は、悪魔のようなガテラルヴォイスだった。
モッシュが最高潮に達し、フロアのあちこちで揉み合いが起きた。
──つづく。
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