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第三十八話『放置愛』

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 楽屋へとさがる私たちの背に、称賛のざわめきが飛礫つぶてのように当たる。
「すげぇ、なんだよ今のバンド、音源ねぇのかな?」
「最高! マジ最高!」
「やべぇ、めちゃ汗だくだ」
「かっこいい! 好きかも! バンド名なんだっけ?」
「ゲストボーカルの女の子、かわいかったな」
 ……いや、最後のは、私の空耳かもしれない。
 本当にそう思ってくれたなら嬉しいけど、たぶん聞き違いだと思う。
 最後尾のサブが、舞台から去る前に、興奮する観客に向けて手を振った。
 会場全体が、デビルズホーンを突き上げてそれに応える。
 人差し指と小指を立てる数百本の腕を見て、鳥肌が立った。
 他人に、誰かに、大勢の人々に認められたという、私のなかでずっと干からびていた承認欲求の器が満タンになる瞬間。
 私は、いや私たちは、存在していいんだと言われたような気がした。
 最初のバンドから全部のステージを観てきたので、自惚れじゃなく当然の評価だという気持ちも正直、心の奥にはある。
 でもそれはモチロン私が凄いんじゃなく、彼らだ。サブたちは間違いなく今日、ここまでに出たどのバンドより凄いライブをした。
 贔屓目じゃなく、観客の顔が変わったし、会場がひとつになった。
 私は、最後にほんのちょっと、その手柄をわけてもらっただけだ。
 彼らのライブを最前列で観られたのもよかった。
 このバンドのなかに入っていくのかと尻込みしたくらい、カリスマ性を感じた。
 楽屋へと戻ったメンバーたちとサブは、ゴツンゴツンと拳を打ち合わせて互いを称え合い、サブはくるりと振り向いて、背後に立つ私に満面の笑顔を見せた。
 吸い寄せられるように、私とサブは熱いハグをした。
 待ちかねたような、不思議な瞬間。
 二人とも服が汗で濡れてビショビショだったが、嫌じゃなかった。
 触れ合っている身体の前面に、サブの体温と皮膚の柔さ、筋肉の硬さを感じた。
 いつまでもこうしていたいと思えるほど、心が満たされる官能的な時間だった。
 サブを抱きしめながら、私は彼の耳の辺りにそっとキスをした。
 唇から私の奥深くまで、サブの味が浸透していくのが嬉しかった。
 私をここに連れてきてくれたのは、サブだ。
 彼が誘ってくれなかったら、こんな体験は一生できなかっただろう。
 ありがとう、ありがとうみんな、ありがとう。
 百万回の感謝の言葉が、心から溢れて溢れて、目尻からこぼれた。
 湧き出る涙を、人差し指でちょいとぬぐい、サブから離れて皆と笑い合う。
 なにが可笑しいのか? いや、なにも可笑しくなんかない。
 でも私たちはバカみたいに、互いの肩や背を叩き合って爆笑した。
 ノビとケイとサブは、床に引っくり返って笑っていた。
 もう、ほんとにガキだな、こいつら。
 なーんて、私も腹を抱えてテーブルをバンバンと叩き、泣きながら笑っていたのだけれども。
 イベントはうちのバンドをきっかけに、そこから先、異常なくらい盛り上がっていた。
 酒も回っていたのかな?
 うちのライブの後、客は皆、ビールをがぶ飲みしていたし。
 喉が渇いたのかもしれない。暴れたからね。
 そうそう、書き忘れていたけど、意外なことにパパとママは今日、ライブを観に来なかった。
 家を出る間際、「来る?」と声をかけたんだけど、「いや、楽しんでおいで」と言われた。それも、二人が口を揃えて。
 なんでかな? と、少し不思議に思ったように記憶している。
 それどころじゃなかったから、すぐに忘れちゃったけど。
 たぶんパパとママにとって私のバンド活動はイコール、サブとのデートなのかもしれない。
 だから少し遠慮するように「いいよ」と言ったのかなと思ったんだけど、ここに書いてみると、なんか、どこか違うような気もする。
 私が初ステージだったから、緊張しないように、かな?
 たしかに、ただでさえガチガチだったのに、そこにさらにパパとママが観ているなんてのがのっかると、緊張が増してしまったかもしれない。
 いや……ううーむ、なんか違うな、なんだろう? まぁいいや。
 なんにせよ、興味がなかったというわけではモチロンなく、邪魔をしないようにという方向の理由だとは思う。
 親の期待が子のプレッシャーになってはいけない。親は子の成長を楽しめばよいというのが、うちの両親の教育(?)方針だ。
 だから二人とも、本心では、きっと観に来たかったはず。
 サブにいつものバンで送ってもらい、まだ夢からさめないような気分で帰宅したときも、余韻に浸る私をそっとしておいてくれた。
 成功か失敗かなんて訊かなかったし、ただ二人並んで、肩と腰を抱き合いながら出迎え、「おかえり」と微笑みかけてくれた。
 いつもは、やめてと嫌がっても逃げても強引にじゃれてくるのに、拍子抜けするくらい、今夜は放置された。
 パパとママは大人で、ちゃんと私を想ってくれる親なんだなと、尊敬の気持ちが沸き起こり、それにもじんわりと、幸せを感じた。


 ──つづく。
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