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第五十九話『汚染される』

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 どれだけ時間が経っても、マックの控室には誰も入ってこなかった。
 マックの次に医務室に運ばれてきたガンナーさん、いや違うな、これはマックの日記だから、ぼくもここから先は彼女と同じ呼びかたで、マックの友人や関係者を表記することにする。二回戦進出が決まっているも、いつまでも来なかった。
 仮にケガが酷くて治療が長引いていたとしても、あの医者のことだ。次の患者が来たらすぐに、治療をさっさと切り上げて医務室を追い出してしまうだろう。
 対戦相手同士を一緒にしないというもっともらしい理由も建前としてはあるのだろうが、事前の打ち合わせや脱出の算段などをさせないため、出場者全員に別々の控室を用意している可能性のほうが高い。
 気遣いが丁寧であればあるほど、裏になにかドス黒い思惑があるのではないかと考えてしまう。
 控室の扉の外から、解錠される音がした。
 くることを意識しないようにしていた時間がきたことで心臓が苦しくなり、手が汗をかきながら震えた。
 マックを控室へと案内した、ホテルのボーイのような正装の男が、慇懃な態度で扉を開ける。
「テレクサ様、試合のお時間でございます」
 VIPを案内するように言う。
 だがコイツは、闘犬を闘技場へと放つ役割の男だ。
 マックはその見た目だけ清潔に整えられた美形の若者を睨み、無言でうなずいた。
 逆らうという選択肢はなかった。
 行くしかないとなると、不思議と身体の震えは止まった。
 知り合いや友人と人前で殺し合いをするのは反吐が出るほど嫌だったが、視点を逆にすれば、何者かもわからないような相手や動物と殺し合えと言われるよりは、恐怖心はわかなかった。
 同じような体格の、たいした実力差もない素人が相手。
 なら、生きのびることは可能だと、そっちに思考が自然と向かう。
 その自己中心的な考えを反省できる余裕は、このときのマックにはなく、自分がそう感じていたことは、後になって思い出したときに、ようやく気付いたらしい。
 覚悟ができたというか、心が麻痺したような、不思議な感覚とともに、マックは控室を出た。
 闘うこと自体はもう、認めてしまっていた。
 強いストレス下におかれた者は、自分の立場を積極的に受け入れてしまうことがあるという。
 もちろん本人は、自分を客観できていないので気付かない。
 人質症候群に、なりかけている証拠だった。
 この精神状態は酷くなると、犯人を警察から庇おうとすることもあるという。
 心のなかでは反抗していても、マックも少しずつ洗脳されていた。
 二回戦だ。
 マックの頭を、その現実だけが埋める。
 ふわりと、身体が軽くなるような感覚があった。
 耳の奥に、1回戦を勝ち抜いたときの歓声がよみがえる。
 殺し合いを生きのびたという安堵。
 恐怖心や罪悪感という、極度のストレスからの解放。
 得意なことで圧勝したという事実。
 人は苦労の末になにかを成功させて人に称賛されると、幸福を感じるホルモンを分泌するらしい。
 やるしかないという気持ちが、他の選択肢をなくしたことで、自分の選択であるかのように脳を騙す。
 やってやるぞなんて思っていないのに、身体がそう反応している。
 これも人質症候群に近い症状だと、それを聞いたお父さんは言った。
『社畜』と呼ばれる会社員たちの精神状態に近いらしい。
 そうするしかないなら、その自分を受け入れろ。
 心の強い人ほど、そう前向きに考えてしまいやすい。
 被害者たちの生存本能や責任感を騙し、自ら拘束者に従属するように導く。
『皆が同じ苦労をしているのだから』
『できないと言ってしまえば、できるものもできなくなる』
『断固たる決意こそが、不可能を可能にする』
 これらはみな、プラシーボ効果の悪用だ。
 心理的に逃げ道を塞いで選択不能にすることで、能動的かつ自己責任にする。
 犯罪者だけでなく、すべての資本家たちが常用している手段だった。
 資本家が労働者を騙すように、犯罪者は被害者を騙す。
 そこにある差は、資本家に損がないように誰かが勝手に基準を決めた、法という名の〈規模差別〉だけだ。
 犯罪者は対象の規模が小さいので、罪に問われる。
 資本主義は規模が国家レベルなので、罪には問われない。
 試合場へと向かうマックは、肩や手首をぐるぐると回し、軽くジャンプをして、力んで凝った手足の筋をほぐした。
 身を護るために心や身体を整えるのは、悪いことではない。
 でもこれは、マックのなかに生まれた〈黒いやりがい〉の、最初の一歩だった。


 ──つづく。
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