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バハル自治区編

インモラル

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「……悲しいものを見たのね。可哀想に。でも貴方がいけないのよ。せっかく隠してるのに、あんな所に潜り込むからアザーに悪戯されちゃうの」

 はらはらと涙をこぼすわたしに彼女は言う。

「仮面の下は<心の闇>。一度見たら永遠に繰り返して帰って来られない……はずなのに。どうしてフラメウちゃんは目覚めたのかしら?」

 ここはどこ。わたしはお葬式の途中で……あれ、お墓参り、しなかったっけ?
 でも確かさっきまであの丘へ……。
 
「まぁ私は得したけれど。おかげで可愛い表情がたくさん見られるわね。私の名前……覚えてる?」
「……ここ、どこ? わたし、戻らなきゃ。まだ最後のお別れしてないもの」
「あら? まだ混乱してる? もう大丈夫よ。全部過ぎたこと」

 わたしは飛び起きた。とても暗い部屋だった。簡素な調度品が最低限あるだけで、窓のない、閉塞感に押し潰されそうな場所。

「違う! 早く行かなきゃ! お父さんとお母さん、いなくなっちゃう!!」
「忘れなさい。もう必要のない記憶よ。今日からここが貴方のお家なの。私が貴方の家族で、主よ。ようこそ、フラメウちゃん」
「ふーーふざけないで!!」

 ベッドを飛び降りようとした。でもわたしの身体は容易く押さえられて、頬を打たれる。その時ふと呼び起こされた光景があった。それは昔の外国の侍女を思わせる人が、手を振り上げるもの。

(この記憶は、何?)

 いやに生々しくて身がすくむ。記憶は更に別の記憶を呼んだ。赤い髪の人達がわたしを虐げる光景。それを皮切りにたくさんの記憶が頭の中へ溢れる。

(ーーそうだ、わたしは……異世界にいる!!)

 星の光のような白銀髪を探した。でも狭い室内にはわたしとこの女しかいない。
 この人……確かメイグーン研究所で会った人だ。高名な研究者だとウラヌス達が言ってた。

「私のこと、思い出してくれた?」
「……ヨランダ……」

 その言葉に花の綻ぶような笑みが返される。

「叩いたりしてごめんなさい。もうしなくて良いように、大人しくしていてね。たくさん眠って喉が渇いたでしょう。お飲みなさい」

 注がれた水は顔を背けて拒否する。状況が分からないけど、不穏だ。何が入っているか分かったものじゃない。そんなわたしにヨランダはくすりと笑う。

「置いておくから好きな時にどうぞ。もう少しお話したいけれど、忙しいの。また来るから良い子でね」
「ま……待って。ここは? どうして、わたしを連れて来たの。……みんなは……?」
「言ったでしょう。ここは貴方のお家。可愛い貴方が私の手元へ迷い込んで来たから、保護したのよ。みんなって……あの侵入者達のこと?」

 紅い瞳が歪んだ。この異常な状況下で彼女はずっと楽しそうにしてる。わたしが泣いて、怯えて、戸惑っているのに何一つヨランダの心には響かないんだ。

「死んだわ」

 些事のように告げて白衣が翻される。彼女が出て行った後、鍵が回される音を……わたしは茫然と聞いていた。

「……嘘よ」

 そうだ、嘘に決まってる。あんなに強いみんながそう簡単に死ぬ訳ない。きっとああ言って、わたしの反応を楽しんでるんだ。そうじゃなきゃ。

「みんなわたしを置いていったなんて……うそだ……」

 お父さんもお母さんも。ウラヌスもオージェも、シゼルもルジーもノーヴも。誰もこの世にいないのならーーとても恐い。恐ろしくて、立っていられない。

「嘘だ、嘘だ……今もウラヌスがわたしを助けようとしてくれてるはず」

 だって彼はわたしの居場所が分かるんだから。そうだ、焦る必要はない。わたし達は繋がってるんだ。
 心に彼を思い浮かべて自分を奮い立たせる。どうせなら彼が迎えに来るまでに情報を掴んでやろう。そう意気込んでベッドを降りた。
 伏せたらもう二度と……起き上がれない気がした。

「目的はよく分かんないけど、ヨランダの態度からして殺しはしないはず。それに、どうせ逃げられないって高を括ってる」

 油断してるところを突いてやる。
 ヤイロさんがメイグーン研究所のことを口にしていたのには、ちゃんと意味があったのかもしれない。研究員であるヨランダがこんな事をするなんて。
 扉は当然だけど開かなかった。棚を漁って鍵の代わりになりそうな物を探していると、外から人の叫びが聞こえてくる。思わず振り向いた時には喧騒が起きた。

「……何なの、ここ……何をしてるの?」

 わたしとヨランダ以外にも人がいる。それも被害者らしき人が。
 扉を開く勇気が急速に萎んでいく。まさかメイグーン研究員達がよからぬ事をしている……?

「まさか……」

 ヨランダだけなら何とかなると思っていたのに。そうだとしたら当てが外れた。男の人もいるんじゃ敵わない。
 大きくて重いものが駆けて来る音がする。足音らしきものは部屋の前を通り過ぎ、後から人の声がついてきた。

『今だ! うて!!』

 低い悲鳴が上がる。そして巨体が壁にぶつかる大きな音。普通じゃない状況に口元を押さえて成り行きをうかがっていると、何人かの男性の話し声が聞こえてきた。
 どうやら壁は薄いみたい。

『この実験体は失敗だな。上手く混ざらなかったか』
『しかし凶暴性には目を見張るものがある。同じ失敗作でも気が触れて<無>となる個体と比べると、改良の余地があるだろう』
『だが従属性はなかなか植え付けられない。ただ凶暴な種は用途が限られてくるな……。お上は従属性の高いものをお望みだ』
『凶暴なものはあちらへ流して、どんどん試せば良い。実験体なら、いくらでもお国が送ってくださる』

 ……混ざる? 引っ掛かる言葉だ。それもヤイロさんが口にしては、いなかったか。
 しかもお国って。

(メイグーン研究所があるのは大エレヅ帝国……国が主導で怪しげな実験を、している……? 何を混ぜているの。人の声がした。人と……)

 ズェリーザ廃坑の地下に囚われたアザー達の姿が浮かぶ。

(ーー嘘でしょ?)

 結び付いてはならない二つ。自分の想像が恐ろしくなって、だけどそれ以外に考えられなかった。

『ちょっと! 早くそれをしまって! 今日は殿下がいらっしゃるのよ』

 ヨランダのきつい声が飛ぶ。
 殿下……エレヅの皇子様。エステレア同様、エレヅにも皇子は何人かいる。その誰が来たとしても、もはやこの怪しげな研究との関係は確定だ。
 何のために人とアザーを混ぜる研究をしているのか分からないけど、禁忌を犯しているのは間違いない。

(……わたしも、実験体かもしれない?)

 恐ろしい仮定に身が震えた。

『何の騒ぎだ?』

 だけど、凛と響いた声にその震えは止まる。
 ウラヌスじゃない。まして、他のみんなでもない。敵の声だ。でも何故か、わたしは安心した。たとえそれがわずかでも。

『ロ……ローダー殿下』

 彼に会えばーー状況が変わるかもしれない。そう感じたんだ。
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