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1巻
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しおりを挟む「じゃあ、なんであんな曖昧な断り方したんだよ。運命の番じゃねぇってはっきりしてるなら、もっときつく嫌だって言えよ。外部生ならここ以上にΩのお誘い多かったんじゃねぇの? いままではどうしてたんだよ」
もし、もっと宮本がはっきり拒絶できていれば、俺だって助けに入ったりせずに済んだだろうに。八つ当たり交じりの俺の問いかけに、宮本は困ったように眉を八の字にした。
「うーん。……あの子は運命の番じゃないかもしれないけど、あの子の友達がそうかもしれないし。そうじゃなくても運命の番が俺を見てるかもしれないから、うっかり嫌われちゃうような言動したくなくてさ」
――その「運命の番」とやらが、すぐそばにいてもまったく気づくことがない、節穴の目をしているくせによく言うな。そうでなければ、俺が困るが。
「宮本。お前、どうしてそんなに運命の番に執着してんだ? 運命の番なんて、ようは最高のセックスドラッグみたいなもんだろ。ただ体の相性が最高にいいってだけの相手に、よくもまあそこまで執着するのか理解に苦しむわ」
「運命の番」なんてロマンチックな言い方はしているが、しょせんは動物的本能に囚われた、肉欲重視の関係じゃねぇか。プラトニックこそ至高だなんてお綺麗なことを言うつもりなぞさらさらないが、一生隣にいる相手を選ぶのならば、もっと他に重視すべきものがあるだろうと思う。一緒にいて楽しいとか。安らげるだとか、そういう。
そう思って吐き捨てた俺の言葉に、一瞬宮本の表情が消えた。
ひどく無機質で冷たい表情に思わずうろたえたが、まばたきをした瞬間、宮本はまたいつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「……かわいそうに。翔君は、まだ運命の番に出会ったことがないから、わからないんだね」
「…………」
「でもね。俺にはわかるよ。一瞬とはいえ、出会えたから。……運命の番はね、本当に特別な存在なんだよ。俺はきっとあの子に出会うために、生まれたんだ」
同情めいた宮本の言葉に、心底むかついた。
――やっぱり、こいつはアホだ。本当にそんな特別な存在だったら、お前は匂いなしでも俺の正体に気がついているだろうし、俺はΩとしてお前の執着を受け入れているはずだ。バース適応障害だとか、関係なく。
何を変な幻想抱いてんのか知らねぇが、お前のアホな幻想に俺を巻きこむんじゃねぇ。
「……もう、そこの窓から見えるだろ。あれがセントラルディスタービングシステムの室外機だ」
湧き上がる苛立ちを抑えてそれだけ言うと、俺は宮本に背を向けた。
「じゃあ、俺は教室に戻るから勝手にしろ」
「あ……ありがとうね。翔君」
宮本の感謝の言葉を無視して、足早にその場を立ち去る。
――よくわからんが、どうやらさっき俺は、運命の番を否定したことで宮本の逆鱗に触れたらしい。うっかり流されてしまったが、これで結果オーライだ。これ以上、あいつは俺に近づいてこないだろう。
「――お前の幻想なんか、俺の知ったことか」
たまたま、あいつの運命の番に生まれたというだけで、俺があいつの期待に応えてやる義務なんぞない。
だって、そうだろう? 俺はただ本能だけに縛られている動物じゃなくて、理性も心もある人間なんだから。一生隣にいたいと思う相手を、自分で選ぶ権利くらいあるだろう?
一生幻想抱えたまま、見つからない運命の番を探してろ。ばーか。
◆
宮本に室外機の場所を案内してから少しあとに席替えがあり、宮本とは隣の席ではなくなった。これでようやく俺もお役御免だ……そう思っていたのだが。
「――か、翔君! 翔君って、いつもどこでお昼食べてるの? その……よかったら、俺も一緒にいい?」
――それなのに、なんでこいつは、いまだに俺につきまとってんだ? いや、残念ながら理由はわかってる。
「……宮本。お前、Ωの生徒にしつこくつきまとわれてるからって、俺を防波堤にするのやめろよ」
どうやら宮本の中で、運命の番を否定されたことへの怒りよりも、防波堤としての俺の利便性が勝ったらしい。……つくづく助けを求められたら放っておけない、自分の意志の弱さが嫌になる。
呆れたようにため息を吐く俺に、宮本はあわてて首を横に振った。
「ち、ちが! いや、それもないって言ったら、嘘になるけど、それだけじゃなくて!」
「お前さあ……わざわざ自分からα……しかも運命の番を探してるフリーのαだって宣言したら、こうなるの目に見えてただろ。なんのためのセントラルディスタービングシステムだよ、馬鹿」
「う……それを言われると痛い……」
『運命のΩを探している』と堂々と宣言した宮本は、あれ以来、『自分こそが運命かも?』と主張するΩの生徒につきまとわれる日々を送っていた。そして一度助けてしまったせいで、Ωに言い寄られるたびに、こいつは何かと理由をつけて俺のそばに避難してくるようになったのだ。
――完全にこいつの自業自得なのに、なんで俺が尻拭いしてやんねぇといけないんだよ。いい加減にしろ。
「ごめん。翔君。……迷惑、だったよね」
「…………迷惑……では、ない」
正直言って、心底迷惑だ。だけど、落ちこむ大型犬のように謝られると、どうしてもその言葉が口から出てこない。
「ありがとう。でも、やっぱりお昼まで、俺につきまとわれるのは嫌だよね」
――くそ。折れた耳と垂れたしっぽが見える。「くぅん……」と切なげな鳴き声の幻聴までも。
喉の奥から深々とため息が漏れた。
「……植物園」
「え?」
ああ、本当、馬鹿だ。俺は。
そのまま背を向けて歩き出してから、宮本がついてこないのに気がついて、一度足を止めて振り返る。
「俺、昼は植物園のテラスで食ってるから……来たいなら、勝手に来いよ」
宮本の顔がぱあっと輝いた。
「……うん! ありがとう。翔君」
――今度は、しっぽをぶんぶん振っている姿が見えるな。
なんで俺はこんなにも、大型犬に弱いんだろう。
「……どうした? 人の顔まじまじ見て。パン、食わねーの?」
――まさか、今度こそ俺が運命の番だって気づいたわけじゃねぇだろうな。
極力平静を装って尋ねた俺の言葉に、宮本はあわてて首を横に振った。
「……い、いや。翔君のパン、おいしそーだなって思って」
――別に普通のコロッケパンなんだが。食ったことねぇのか?
少し考えてから食べかけのパンを半分に割って、口をつけていないほうを差し出した。
「ん」
「え?」
「そんなに食いたいなら俺の半分やるから、お前のそれ半分寄こせよ」
宮本は俺の言葉に、頬を紅潮させて、だらしなく口元を緩めた。
「……あー、もう。すげぇ好き……」
「何、宮本。そんなにこのパン好きなの? 食いかけでよければ、全部交換してやろうか?」
「っいや、半分で十分です! てか、むしろ食べかけのほうでも!」
「……何言ってんだ。お前。引くわ」
「引かないで! ……ほら、食べかけ気にしないとか、めちゃくちゃ友達っぽいじゃん!」
顔の赤さを両手で隠しながら、宮本は必死に首を横に振った。
――パン半分分けてもらったくらいで、どんだけうれしそうにしてんだよ。調子が狂うだろうが。
「別に食いかけ気にしないとか、普通じゃね? ダチ同士でペットボトルの回し飲みとかも。何、宮本やったことねぇの?」
猛なんか、買いに行くの面倒臭いとか言って、よく俺の飲みかけのペットボトル奪って飲んでたけどな。そして全部空っぽにしてから、結局足りねぇとか言って買いに行ったあげく、飲んだ分だって自分の飲みかけ渡してきたりして。だったら最初から買いに行けよって話なんだけど、二種類飲めて得したろって言われたら何も言い返せなくて、最終的に許してしまうまでがお決まりだった。
清二郎は料理がうまくて、よく俺と猛に弁当を分けてくれた。男の手作り弁当なんて、とか言いながら猛が一番食ってて。俺が箸つけたのまで好物だと横からかっさらっていくものだから、よく清二郎に呆れられていたっけ。
でも、一般家庭出身の清二郎はともかく、金持ちの息子なのにそういうことする俺や猛のほうが少数派か、と思い直す。
――ミヤモトの会社の規模考えたら、こいつ生粋のぼっちゃんだもんなあ。しつけとして、そういうのと無縁な環境で育っていても何もおかしなことじゃない。
けれど、返ってきた言葉は意外なものだった。
「ないない。……てか、俺、友達自体、翔君が人生で初めてだし」
「……はあ?」
思わずまじまじと宮本を見つめる。
「嘘だろ。ダチなんて、普通にしてれば勝手にできるもんじゃねぇの?」
「いまの言葉、全国の友達いない人に喧嘩売ったと思うよ。翔君」
――敢えて遠ざけようとしてんのに、こいつみたいに勝手に寄ってくる奴がいるものだから、つい。
責めるようにジト目で見つめてくる宮本の視線が居心地悪くて、明後日の方向を向いてコロッケパンをかじる。人間関係には、バース性が判明するまでずっと恵まれていた自覚があるだけに、言い訳もできない。
しかし……コミュ障っぽいとは思っていたが、まさかいままで友達が一人もできたことがなかったとは思わなかった。
「だからさ。俺、翔君と友達になれて、本当うれしいんだ。友達と過ごす学園生活って、こんなに楽しいんだねえ。俺、いままで知らなかったよ」
にこにこ笑いながらそんな風に言われて大型犬感満載で懐かれたら、ますます突き放しづらくなる。――いつから俺たち友達になったんだ、なんて言えねぇよな。いまさら友達になった覚えはないなんて言ったら、こいつ本気で泣きそうだし。
自嘲の笑みを零しながら、残りのパンも半分ずつ交換してやると、宮本の笑みがますます深くなった。
「……ねえ。翔君」
「なんだ? 宮本」
「俺、友達できたらあだ名で呼ぶのが夢だったんだけど……カケって呼んでもいい?」
「………………」
本来なら、断るべきだとはわかっていた。これ以上深入りするなと、何度目になるかわからない声が頭の中に鳴り響く。
「……嫌?」
それなのにどうしても、俺は宮本を拒絶することができない。
「嫌じゃないけど……それなら、俺も下の名前で呼ぶべきかと思って」
「え、呼んで! 呼ばれたい!」
「……お前、下の名なんだっけ?」
「え、嘘⁉ 俺、翔君に、名前認知されてなかったの⁉ 普通にショックなんだけど⁉」
「冗談だよ、『雄大』。こんだけつきまとわれてれば、いやでも覚えるっつーの」
――ただ名前を呼んだだけで、こいつがあまりにも幸福そうな顔をするものだから。
◆
多分、俺はどうしようもなく、孤独だったのだろう。
自分で望んだはずの孤独なのに、家族が、そしてダチが、自分の周りからいなくなってしまったことが本当はたまらなくつらくて、悲しくて、苦しかった。
だから頭では本末転倒だと理解していながらも、一番危険人物であるはずの宮本が……雄大が近づいてくるのを拒絶しきれなかったんだと思う。
「カケ。また、お昼一緒していい?」
「カケ。次、移動教室一緒に行こう?」
「カケ。聞いてよ。さっき、すっごい面白い話聞こえてきてさ」
ありったけの親愛をこめて呼ばれるそのあだ名が、なんだかとてもくすぐったかった。
昔は当たり前だった、友人とのなんでもない時間が、温かかった。
雄大と話していると、自分がΩだと知る前に戻ったような気がした。バース性なんか気にすることなく、猛や清二郎とくだらないことで笑いあっていた、あの頃に。
それにあのままずっと一人でいたら、猛はともかく世話焼きで心配性な清二郎は、なんとかして関係を修復しようと俺に積極的に話しかけてきたかもしれない。
正直俺は、自分から距離を置いておきながら、清二郎から以前のような距離感で話しかけられたら、突っぱねられる自信がなかった。
清二郎を……そして猛のことも、決して嫌いになったわけじゃないから。もし俺がΩじゃなければ、いまも、そしてこれからもずっと、ダチでいたかった奴らだから。
だけど雄大がいれば、空気を読む清二郎は必要以上に話しかけてはこない。
防波堤として利用しているのは、雄大だけではなく、俺もまた同様だった。
雄大は、俺が運命の番であることに気がつく様子はない。学園のセントラルディスタービングシステムは完璧だ。
なら……いいだろうか。卒業するまで、こいつとダチでいても、許されるんじゃないだろうか。
ここ最近は、雄大の運命の番に対する異様なほどの執着も弱まった気がする。きっと学園に入っていろいろなΩと出会ったことで、視野が広がったんだろう。それか、いつまで経っても見つからない運命の番を探すことに疲れたのかもしれない。
匂いでバレる可能性が高いから、卒業後は二度と会うことはできないだろう。
でも、せめて。せめて、いまだけは。……雄大の「ダチ」として、隣にいても構わないだろうか。雄大だって、他のΩの防波堤兼、学園に関することの相談役として俺を必要としてるんだから。あいつにだって、決して悪いことじゃないはずだ。
猛と清二郎の時は、どうせ卒業後に離れるのだから、いま離れても一緒だと思っていたはずなのに、自分でも矛盾していると思う。
だけど、望まぬままに再び与えられた「誰かといる」ことのぬくもりが、あまりに心地よくて。
雄大が俺の正体に気づく素振りを見せないのをいいことに、俺はずるずると雄大との友人関係にはまっていった。
――その残酷さに、気づかないままに。
◆
「……カケだから、打ち明けるんだけどね」
雄大が、その事実を口にしたのは、その年の秋のことだった。
「三歳の頃、俺、母親に捨てられたんだ。運命の番を見つけたんだ、って」
いつものように昼食を共にしていた植物園で世間話のように打ち明けられた雄大の過去は、あまりに悲惨なものだった。
「お母さん、お母さんって泣きながら追いかけた俺に、あの人が『ごめんね。運命だから仕方ないのよ』ってΩの顔で笑いかけながら、見せつけるみたいに隣のαの男にしなだれかかったことだけは、いまでもはっきり思い出せるよ。どんな顔立ちだったかなんかもう全然思い出せないのに、どんな表情をしてたかは、不思議と覚えているものなんだね」
運命の番に溺れ、ためらいもなく幼い雄大を捨てた母親。
雄大は、そんな女の子どもなのだと、事あるごとにを父親と後妻に責め立てられたのだという。それなのに、「αなら宮本にとって利用価値がある」という思惑だけで、愛情を注がれることなく育てられ、孤独な幼少期を過ごしたのだと。
「腹違いの弟と俺の年齢差からしても、父さんは父さんで母さんが出ていく前から浮気して子どもまで作ってたのは明らかだから、俺としてはどっちもどっちだと思うんだけど。逆らうとさらっと暴力ふるってくるから、何も言えなかったんだよね。俺、子どもだったし。俺が何されても、屋敷の使用人たちは父さんが怖くて当然みーんな見て見ぬふりね。それどころか父さんに対するストレス解消の捌け口として、ちょこちょこ虐められもしたかな。一応俺、雇い主の子どもなのにさ。成長期を迎えて、αであることが判明したら父さんの態度は多少軟化したけど……そのあとβだってわかった弟とお義母さんからはますます嫌われちゃってさ。食事に異物入れられたりとか、それこそシンデレラかってくらい嫌がらせされたよ」
中学までは公立の学校に通っていたのも、αでなかった場合投資がむだになるからという、冷たい理由だった。
学校では、金持ちのαであることで、よくも悪くも孤高の存在として遠巻きにされていたようだ。
「俺自身、父さんから出される課題や、中学からネットを介してはじめた個人事業に忙しくて、周囲に構っている余裕はなかったし。それに、俺がαだってわかった途端、いままで遠巻きにしてた奴らが近づいてくるのが、なんだかすごく気持ち悪かったんだよね。……なんか、俺の価値って本当αであることしかないのかなーって感じでさ。まあ、いつ父さんから家追い出されてもいいように収入源確立することに必死で、それまでずっと人間関係おろそかにしてた俺が悪いんだけど」
なんでもない思い出話を語るかのように告げられる雄大の過去を、俺はただ茫然と聞いていた。
食べかけのパンが、いつの間にか袋ごと手から落ちていたが、拾う気にもなれなかった。
そんな環境で蓄積した孤独が――雄大の、運命の番への異常とも言える執着を生んだのだと、その時ようやく理解した。
運命の番なら、この孤独を癒してくれる。
そう盲信することが、唯一の希望だったのだろう。雄大にとっては運命のΩを得ることだけが、生きるための救いだったのだ。
「これが、いままで内緒にしてた俺の秘密。カケだから、教えるんだからね。他の人には内緒だよ」
重すぎる話題にもかかわらず、雄大は笑っていた。唇にそっと立てた指を押し当てながら、ささやかな内緒話を打ち明けた子どものように。
その笑みがただ、苦しくて仕方なかった。
「……雄大」
雄大の笑みをやめさせたくて。気がつけば、その頬を両手で挟みこんでいた。
「笑ってんじゃねぇよ……頼むから、そんな悲しい話を打ち明けながら、無理に笑わないでくれ」
「俺は別に、無理なんか……」
「なあ、雄大」
雄大の顔を、まっすぐに見つめながら、言葉を吐く。
「俺は、お前が安心してそばで泣けるくらいの『ダチ』にはなれたつもりだったんだが……お前は違うのか?」
雄大の目が大きく見開かれた。
「何一つ隠しごとをするなとは言わねぇけど。……言えねぇけど。だけどそんなこと打ち明けるからには、感情も隠すなよ。全部晒せよ。……俺はお前を、一人で泣かせたくない」
――そんなことを言う資格は、本当に俺にあるのだろうか。
そんな疑問が一瞬脳裏を過ぎったが、敢えて無視することにした。
泣けばいい。それほど凄惨な過去を背負っていて、傷ついていないはずがないのだから。……泣けば、きっと雄大の抱えているものが少しは軽くなるはずだ。きっと、少しでも気持ちは楽になる。
ずっとそばにいることはできないけど……それでもいまは。お前の隣にいるいまは、俺はお前の悲しみを一緒に背負ってやることができるから。
だから……どうか泣いてくれ、雄大。俺がお前の涙を拭ってやれる場所でだけは。
そんな風に笑って、感情を殺さないでくれ。
「……カケ」
「っ」
次の瞬間、俺は雄大に抱き締められていた。
本能的な恐怖から思わず突き飛ばしそうになったが、頬の上にしたたり落ちてきた温かいものが、俺の動きを止める。
「ありがとう……カケ、ありがとう」
俺は笑うなと、そう言ったのに。
雄大はそう言って笑いながら、両目からぼろぼろと涙を零していた。
「……そんな風に誰かから言われたの……俺、初めてだ……」
震える声で、独り言のようにそうつぶやく雄大に、俺は何も言うことができなかった。
その声があまりに……あまりにも、幸福そうだったから。
過去の苦しみを吐き出すとばかり思っていた雄大が、まるで欲しくて欲しくてたまらなかった宝物をようやく手に入れたように、泣きながら笑うものだから。
しばらくそのまま俺の体を抱き締めていた雄大は、俺の肩に手を置いてそっと体を離すと、袖で涙を拭いながら俺に微笑みかけた。
「……ねえ、カケ。これからもずっと、俺の友達でいてね」
「あ、ああ……」
「俺さ……カケがずっと友達でいてくれるなら、もうそれでいいや。それだけで、もう十分だ。――運命の番が、このまま見つからなかったとしても」
――自分がひどく残酷なことをしているのだと、馬鹿な俺はその時になってようやく気がついた。
自分から殻にこもって人を遠ざけた俺なんかより、雄大はずっと孤独に苦しんでいたのに。
運命の番であることを打ち明ける気もなく。かといって隠し通したまま、共に居続ける度胸もなく。ただ束の間の孤独を埋めるために利用して、中途半端に友達面して、卒業したらそれっきりのつもりで隣にいた俺は、どこまで身勝手でひどい奴なのだろうか。
微笑む雄大の顔を直視できなくて、意味もなく床に視線を落とす。頬に残った雄大の涙が、まるで俺の涙のように伝い落ちるのがわかった。
孤独を埋めるため。清二郎に近づかせないため。
そんな不純すぎる目的で、雄大が隣にいることを許していたつもりだった。ただお互い利用しあうような、そんなビジネスライクな関係でいるつもりだったのに。
たった半年ともに過ごすうちに、雄大はいつの間にか俺の中で、大切な「ダチ」にカテゴライズされてしまっていたのだと、その時初めて気がついた。猛や清二郎と同じくらい、もしくはそれ以上に大切な友達に。
「……こんなはずじゃ、こんなつもりじゃなかったのに……」
夜。自室の机で、一人ただ頭を抱えた。
軌道修正しなければ、と思った。少しでも、雄大の傷が浅く済むうちに。雄大をできるだけ傷つけない方法で、遠ざからなければ。
でも今頃焦っても、完全に後のまつりで。どう考えても、雄大が傷つかない未来が思い浮かばない。
猛や清二郎と違って、雄大には俺以外の友達がいない。俺が離れれば、あいつはまた一人になってしまう。あんな風に泣いた雄大を、再び孤独の闇の中に一人突き落とすことは、どうしてもできなくて。
結局俺が思いついたのは、友情のタイムリミットがあることを、事前に雄大に告げることだけだった。
◆
「もう十二月かあ。早いなあ。……あと四カ月もすれば二年生だね。そろそろ進路とかも考えないと。カケは大学ってどうするつもり?」
明らかに自分と同じ大学に進学することを期待するような雄大の質問に、俺は静かに唾を呑みこんだ。
いまから俺が雄大に告げる言葉こそが、最適解だと信じて。
「ああ。俺……卒業したら、バース研究に詳しいネトラントの大学行くつもりなんだ。日本の医療機器は対βを想定としたものが主流で、Ωやα向けのものはまだまだ少ないからな」
西欧のバース先進国、ネトラント。国内のほとんどの設備にセントラルディスタービングシステムが導入され、あらゆる性のかたちが許される、俺にとっての夢の国。αとα、ΩとΩ、それにβと他のバース性や、β同士の男と男、女と女といったあらゆる性の組み合わせでの婚姻全てが認められる、男女性にもバース性にも縛られない恋愛の自由を謳った世界初の国だ。
俺はそこで、俺と同じようにαを愛せないΩの女の子か、俺がΩでも構わないと思ってくれるβの女の子を探すつもりだった。子どもができずとも、俺のそばにいるだけでいいと言ってくれる、そんな子を。
俺にとっても、雄大にとっても、それが一番いい未来だと思った。いくら雄大が俺に執着しているからと言って、さすがに外国まで追ってはこないだろう。
しかもネトラントはバース研究が進んでいて、将来、医療機器メーカーハタナカで働こうとしている俺が学ぶには利がある国だが、ミヤモトの分野である電子機器全般で見ればそこまででもない。雄大につらく当たっている雄大の父親が、ミヤモトに利が少ない留学を許可するとは思えない。
海外留学ならば、卒業後疎遠になったとしても仕方ないと、雄大も割り切ってくれるだろう。
いや、要は匂いを嗅がれなければいいのだから、完全に縁を切る必要はない。いまならインターネットを使って、遠く離れた地にいても交流は続けられる。……そういう友情の続け方も悪くはないのではないだろうか。
心の中でそんな言い訳をしながら、雄大の反応を覗き見る。
「っ」
初めて雄大に会った時からずっと浮かべられていた笑みが、否、一切の表情がその顔から消え去っていた。
いつか垣間見た無機質で冷たい表情よりもなお、一層無機質で空っぽな顔。
あの時はまだ、わずかな怒りが伝わってきたけど、いまはそれすら感じない。
雄大の心の空白をそのまま映し出したかのようなその表情に、俺はただ息を呑むことしかできなかった。
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