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1巻

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「どんな運命からだって、必ず俺がディアナを守ってみせる。ディアナは俺にとって誰よりも大切な……『女の子』、だからな」

 指切りげんまんをして手を離すと、兄さまはくしゃくしゃと髪をでてくれた。

「……それじゃあ、ディアナ。木の実も溜まったし、帰るぞ。あんまり遅くなると、母さんが心配するからな」

 そう言って兄さまは、いつものようにわたしの手を引いてくれた。
 ――力のことも、前世のことも、兄さま以外には絶対に秘密にしよう。
 兄さまの手を握りながら、そう決意した。


 大好きな家族が傷ついて、どうしても力が必要になった時は別だけど……それ以外では絶対に使わないようにしよう。
 このてのひらに伝わるぬくもりを、失わないためにも。
 もうわたしは、アシュリナじゃない。ディアナだ。優しい両親と、兄さまがいる、どこにでもいるただの女の子だ。だから、もうあんな悲劇は、決して繰り返さない。
 前世を忘れ、力を封印し、普通の女の子として生きていくんだ。
 家に向かって歩きながら、気がつけばまた、目から涙がこぼれていた。

「……大丈夫だ。ディアナ。大丈夫。俺がついているから。何があっても、必ず俺がディアナを守るから……守って、みせるから」

 自分自身に言い聞かせるように、兄さまはそう言って、わたしの目元を優しくぬぐってくれた。



   第一章 ディアナの日々


「――ディアナ、ディアナ。今から畑の手入れをするから、手伝ってちょうだい」
「わかった。母様。髪をったら、すぐ行くね」

 母様のもとに駆けつけるべく、伸びた栗色の髪を簡単に結い上げる。
 鏡に映るのは、「ディアナ」である十六歳の私。母様譲りの栗色の髪と、はしばみ色の瞳をした平凡な少女。……同じ十六歳でも、月を溶かしたような白銀の髪に、夜明け前の空のようなダークブルーの瞳だった「アシュリナ」とは、全然違う。

「……ディアナ、まだー?」
「今、結い終わったところ。すぐ、そっちに行くね」

 階下で私を呼ぶ母様に応えながら、急いで階段を駆け下りた。
 私が、「アシュリナ」だった頃の記憶を思い出して、早十年。
 いにしえから続く歴史を持つ、祖国ルシトリア王国。緑に満ちた美しい国。
 ――「ディアナ」である私は、このルシトリアの地で、何事もないままに「アシュリナ」が亡くなった時の年齢を迎えていた。


「キミヤルの実が豊作だね、母様。私達だけじゃ、食べきれないくらい」
「今年は、ずいぶんと天候が良かったから。でも、キミヤルが豊作だったのはこの森だけで、森を抜けた先のリーテ村では、あまり成長がかんばしくなかったみたいよ」
「そうなんだ。じゃあ、余った分は売りに行くの?」
「ダンとティムシーの狩りの成果次第ね。でも最近はティムシーもずいぶんと腕をあげたようだから、久しぶりに村に行くことになるかもしれないわ。買っておきたい品物もあるし」

 母様とふたりでそんな会話をしながら、庭の畑のキミヤルを収穫する。キミヤルは、火を通せば甘くて美味しくなるし、栄養価も高く、長期間の保存もきくから人気の野菜だ。村で売れば、結構な値段になるはず。

「……ほら。噂をすればダンが帰ってきたみたいよ」
「おーい。ローラ、ディアナ、見てくれ。今日は大量だ。とてもひとりじゃさばけないから、解体を手伝ってくれないか?」
「はーい、父様。今、行くわ。……母様。後は任せていい?」
「もちろんよ。ここまで採れば、後はひとりで大丈夫だもの。父様を手伝ってあげて」

 母様の言葉に頷いて、父様のもとに向かった。

「――わあ。今日はずいぶんと獲れたね」
「繁殖期だからな。どれも、ちょうどよく太っているだろう? ヤシフ鹿の解体は私がやるから、ディアナはウィフ鳥の羽毛をむしってくれるか?」
「わかった。それじゃあまず、お湯をかすね。……と、その前に」

 父様の狩りの成果である、ヤシフ鹿とウィフ鳥、ひとつひとつを見る。
 ウィフ鳥はすでに首を切って血抜きを済ませてあるようで、頭はついていない。だが、ヤシフ鹿の生を失ったつぶらな目は、何かを訴えかけるようにこちらを見ていた。
 ……少しも心が痛まないと言えば、嘘になる。
 それでも。

「……命の恵みに、感謝します」

 両手を組み、犠牲になった獲物と、それを私達に与えてくれた神に感謝の祈りを捧げる。
 私達は、命を食べて生きている。ほかの生き物の命によって、生かされている。……そのことを、改めて心に刻みこむ。

「ディアナは律儀だな。こんな丁寧なお祈り、ローラだってしないぞ」
「狩りの獲物に、感謝を捧げることを教えてくれたのは、父様でしょう?」
「私は、せいぜい『ありがとさん』って言うくらいなものだけどな。どうも、神に祈りをというのは、柄じゃない」
「気持ちだもの。心が込もっていれば、どっちでもいいんだよ。きっと……それじゃあ、お湯をかしてくるね」

 あらゆるものに、感謝の祈りを捧げるのは、「アシュリナ」だった頃からの習慣だった。だけど、食べるために犠牲になった生き物に捧げる祈りは、あの頃と、今では、その重さが全然違う。
「アシュリナ」だった頃、生き物の肉はとっくに解体されて調理されたものだった。当時の私の、食卓に上がった命に対する意識は、あくまで想像のものでしかなかった。
 でも、今の私にとって、食材となる生き物の「死」は身近だ。つい先刻まで生きていた生き物を解体し、時には私自らその命を奪っている。家族でほぼ自給自足の生活を送りながら、狩人で生計を立てる父様を手伝って、この十数年生きてきた。
 それだけで、自分は「アシュリナ」とは全く異なる存在だと、改めて思う。
 ――そして、今はそれが、とてもうれしい。


「……父様。今日の獲物は、家族だけで食べるには多いようにみえるけど……多い分は村へ行って売るの?」

 湯で煮たウィフ鳥の羽をむしりながら、隣でヤシフ鹿を解体する父様に尋ねる。

「干し肉や塩漬けにして貯蔵に回そうかとも思っていたが……ティムシーの狩りの結果次第だな。最近あれは、私以上の大物を仕留める時があるから」

 父様の答えに、決意を固める。「ディアナ」である私と「アシュリナ」は、違う。それなら……そろそろ、前に進むべきだ。

「もし村に行くなら……今度は私も連れて行ってくれない? この森の外の世界を知りたいの」

 父様は、驚いたように目を見開いて私を見て、すぐに小さく笑った。

「……そうだな。じゃあ、今度村に行くのは、ティムシーとディアナに任せることにしよう」
「ありがとう。父様」
「礼を言われるようなことじゃない。代わりに行ってくれるんだから、礼を言うのはむしろ私の方だよ。……ディアナが村に行くのはいつ以来だ? 数年前に、領主が行った政策が功をなして、最後にディアナが見た頃よりずいぶん発展しているが、驚くなよ」

 父様は笑っていたが、その顔は淋しげで複雑そうだった。
 少しだけ決意が揺らぎそうになったけれど、それでも私は自分の言葉を撤回することはせず、もう一度父様にお礼を言って、次のウィフ鳥の羽をむしりだした。


 森の奥にある我が家は、一番近くの村からでも半日近くかかる。
 私も兄様も村の学校に通うことはせず、学問も生活の知識も全て、父様と母様から教わった。
 元剣士だと言う父様も十分過ぎる知識を持っているが、特に母様は、強力な護符を作れるほど、高度な教育を受けていた人だ。学校には通っていないが、「アシュリナ」だった頃の知識と照らし合わせても、平民としては十分な教育を受けている。村にだって、金銭的な問題で学校に通えない人がいるのだということを考えれば、恵まれている方だ。
 父様と母様は人をいとい、一番近くの村であっても、必要な時にしか関わろうとはしなかった。
 だけどその一方で、子どもの私達にそれを強制することはなかった。

『ティムシー、ディアナ。今日は村に、集めた獣の皮をおろしに行くんだが、ついてくるか?』
『今日は、村で一年に一度のお祭りがあるみたいなの。母様は留守番をしているけど、よかったら父様と一緒に行ってきたら?』
『……もし、もっと村の人達と交流したいと思っているのなら、気兼ねなくそう言っていいんだぞ。その時は、父様が村に連れて行ってやるからな』

 父様と母様は、自分達のせいで子どもの世界が狭まることに、罪悪感があったのだろう。機会を見つけては、私とティムシー兄様に村の人達と関わらせようとしていた。
 ……六歳までは、私も時々村に足を運んでいた。
 村に行っても、私は父様と兄様にべったりで、ほかの人と関わろうとはしなかった。だけど、森の外に出るというだけで、新鮮で楽しかったのを覚えている。
 行かなくなったのは……「アシュリナ」の記憶を思い出してからだ。

『私はいいや。……家にいるよ』

 何度もそうやって断るうちに、やがて父様も母様も、私に村へ行くことを勧めなくなった。
 ――優しい家族に対する恐怖心は、すぐになくなった。
 最初は家族ですら、どうしてもぎこちなく接してしまった。けれど、秘密を知っている兄様がそれとなく手助けをしてくれた。
 ――火に対する恐怖心は、克服するのに少し時間がかかった。
 それでも火は日常に深く関わっている。恐怖心を克服しなければ、家族の手伝いをすることはできない。家族は無理はしなくてもいいと言ってくれたけど、だからこそ皆の重荷になるのは嫌だった。
 ひとりで火を扱えるようになるまで、三年。当時の記憶を反射的に思い出さなくなるまで、五年かかった。今でも火を使う時、たまにあの火刑の様子が頭をよぎるけれど、もうそのことにおびえて震えることはない。
 あれは、私の……ディアナの記憶じゃない。「アシュリナ」の記憶だ。焼かれたのは、「私」じゃない。死んだのは、「私」じゃない。だから……大丈夫。私が火におびえる必要なんかないんだ。
 そう、思うことができた。
 だけど――どうしても「人」を……「他人」を怖がる気持ちだけは、捨てられなかった。
 兄様は、私が「アシュリナ」として記憶があることを知っても、私を「ディアナ」のままでいさせてくれた。過去と、異能の力をふたりきりの秘密にすると、約束してくれた。
 人里離れた森の奥の、優しい家族に囲まれた小さな小さな、私の世界。この世界なら、私はただの「ディアナ」でいられる。
 けれどももし、この世界の外に出てしまったなら。はたして私は、「ディアナ」のままでいられるだろうか。
「アシュリナ」であった過去を暴かれ、またあの憎悪にさらされるのではないだろうか。また、あの憎悪の叫びを、浴びせられるのではないだろうか。
 そう思ったら、他人がどうしようもなく怖くて仕方なかった。
 だけどアシュリナが死を迎えた年齢になった今、ようやくこのままではいけないと思えた。
 私より五つ上のティムシー兄様は二十一。本当なら、そろそろお嫁さんを迎えてもおかしくはない年齢だ。だけど、兄様の浮いた話は全く聞かないし、時折父様と共に村に収穫物の売買に行く以外には、家から離れようともしない。
 その原因は……きっと、私だ。

『ディアナが村に行かないなら、俺も家に残るよ』
『村に行ってろくに話したこともない奴らといるより、ディアナといる方が楽しいから』

 十年前に、秘密を打ち明けたこと。それが、兄様を私にしばりつけた。
 ティムシー兄様は、妹の欲目を除いても素敵な人だと思う。
 私と同じ栗色の髪に、父様譲りの緑の瞳。顔立ちは、父様にも母様にも似てないけれど、男らしくてすごく整っている。背も高く、狩猟できたえられた体は引き締まっていてたくましい。
 まるで、物語に出てくる騎士様のようだと、兄様を見るたびいつも思う。
 性格も家族思いで優しいし、とても頼りになる。その気になれば、すぐにでも恋人を作れるだろう。
 それなのに、私の存在がそれを邪魔している。
 私が「アシュリナ」の記憶を引きずる限り、唯一秘密を知っている兄様は、妹の私を心配し続けなければならない。前世のトラウマにしばられ続ける私を気にかけるあまり、ほかの異性に目を向ける余裕がないのだ。
 ……私はティムシー兄様がとても好きだから、傍にいてくれるのがうれしくないと言えば嘘になる。
 でも私のせいで、兄様の人生がしばられるのは嫌だ。兄様には、思うままに生きてほしい。
 だから……私は、もっと強くならないといけない。そのためにはまず、家族以外の人間と関わりを持つところから始めないと。

「ただいま。大物仕留めたぞー。ディアナ、解体を手作ってくれないか」

 ティムシー兄様が帰って来たのは、それからしばらく後のことだった。

「お帰りなさい。兄様。大物って……ハーフセラ熊⁉」
「おう。持って帰るのに苦労したぞ。こいつは」

 自分の背丈よりも大きなハーフセラ熊の死体を引きずりながら、にこにこと笑う兄様の姿に、さあっと血の気が引く。ハーフセラ熊は、獰猛どうもうな獣だ。父様だって、対象を限定する護符を使って極力避けようとするのに、それをひとりで仕留めるなんて。

「けが、怪我はないの、兄様⁉ 血、あ、そこに血が……っ」
「落ち着け、ディアナ。これは返り血だ。俺の怪我は、こいつを運んでくる時にちょいと爪が腕をかすったくらいだ」
「っ大変! すぐに今、治すね」

 とっさに力を使おうとした私の手を、兄様はつかんで、ゆっくり首を振った。

「……ただのかすり傷だ。ディアナ。数日すれば、治るさ」
「でも……」
「でも、じゃない。約束しただろう? 家族がよほどの怪我を負わない限り、『力』の使用は禁止だって」

 父様に伴って狩猟を行うようになって以来、兄様は大なり小なり怪我を負うようになった。
 その度、私は「力」を使って治していたのだけど、いつの頃からか兄様自身がそれを止めるようになった。

『ディアナ。俺が怪我をするたび、力を使うのはやめろ』

 兄様はその時今と同じように、治癒しようとした私の手をつかんで止めた。

『やっぱり……こんな力、気持ち悪いよね』
『違う。ディアナの力は素晴らしいよ。だけど、自然治癒する怪我まで治す必要はないだろう?』

 兄様は、優しく笑って私の手を握った。いつくしむように向けられる緑の瞳に拒絶の色はなく、ホッとする。

『力を使うたび、ディアナは「アシュリナ」だった頃の悲しい記憶を思い出すだろう? 俺は、ディアナにそんな思いはさせたくないんだ』
『兄様……』
『力なんかなくても、ディアナは俺の妹だ。誰より、大切な存在だ。前世の分まで、今世は幸せになってほしい。……だから、家族がよほど重篤じゅうとくな怪我を負った時以外は、「力」を使わないと約束してくれ』

 幸い、今に至るまで兄様はもちろん、父様や母様がそんな怪我を負ったことはなかった。
 だから兄様の言う通り、ずっと癒しの力を使わないで来たのだけど……本音を言えば、すごく歯痒はがゆい。小さな傷だろうと、大したことがない怪我だろうと、痛いものは痛い。家族が傷を負っている姿を見るたび、私が力を使えばすぐに治るのに、と胸が痛む。
 だけど兄様は、それは自分も同じだと言う。
 俺も、自分よりも大切な家族が傷つく方が辛い。だから、申し訳ないけれどディアナは我慢してくれと、私に謝る。……優し過ぎて、ずるいと思う。

「それより、ディアナ。ハーフセラ熊の解体の補助をしてくれ。新鮮なうちに処理しておきたいから」
「……わかった。父様も呼んでくる? 兄様は、ハーフセラ熊を解体するのは初めてでしょう」
「ミース熊なら父さんと何度か解体しているから、大丈夫だと思う。種は違っても、熊は熊だしな。やってみて、やっぱり俺だけで無理そうだったら、その時は呼んでくれ」

 そう言って兄様は、獣の皮剥かわはぎ用のナイフを取り出した。

「熊の場合は、まずは皮剥かわはぎからだな。……ディアナ。そこ、動かないように固定しておいてくれないか」
「わかった」

 兄様は器用な手つきで、皮をナイフで切り離していきながら、嬉しそうに口元を緩ませる。

「……ハーフセラ熊の毛皮は、村に持っていけば高く売れるんだ。内臓も、薬として珍重されているし、肉の値も悪くない。……多分、明日にでも村にこれを売りに行くだろう。そうしたら、儲けた金でディアナの新しい服を買って来てやるからな」
「……ティムシー兄様。そのことだけど」
「なんだ? 服より、本が欲しいのか? ディアナは勉強家だものな。でも今回の儲けなら、両方買ってもまだまだ余裕があるぞ。……欲しいものがあれば、何でも言え。何だって俺が買って来てやるから」
「そうじゃなくて……次に村へ行く時は、私も一緒に行こうと思って」

 皮を剥がす兄様の手が、ぴたりと止まった。

「……ディアナがそうしたいと言うなら、反対はしないけど。その……大丈夫、なのか? 家族以外の人間は怖いと言っていただろう」
「うん。そうだけど……私はもう、アシュリナが死んだ時と同じ年齢になったし。そろそろ前に進みたいと思って」

 兄様の目をまっすぐに見据えながら、改めて決意を口にする。

「兄様。あのね。……私、ディアナとして生きて、今までずっと幸せだった。優しい父様と母様に愛されて、兄様に守られて……本当にすごく幸せだったの。家族がこんなに温かくて優しいなんて、アシュリナは知らなかったもの」

 実の母親を早くに亡くし、十三の頃に亡くなった父王は最期までアシュリナをかえりみることはなかった。そのうえ、腹違いの兄からは憎まれていた。
 侍女や護衛騎士は、肉親のように温かく支えてくれたけれど……それでもやはり、主と従者という立場の差は、いつまでも消えなかった。聖女の使命を果たすために、アシュリナ自身が大切な人を作るのを避けていたというのもある。
 ディアナである私は、今まで本当に幸せだった。前世の宿業を思えば、こんなに幸せでよいのか怖くなるほど。
 ――でも、だからこそ、今のままじゃいられない。

「でもね。幸せな、この小さな世界にはいつまでもいられない。ずっと守られている子どものままじゃ、いけないの。……そろそろ、大人にならないと。そうじゃなければ、いつまでも兄様を私にしばり続けてしまう。だから、私は『ディアナ』として前に進むことに決めたの」

 最近の兄様の姿は……『アシュリナ』時代に、最期まで傍にいてくれた護衛騎士の人を思い出させる。
 病弱な妻が産後すぐに亡くなり、幼い息子さんを兄嫁に預かってもらって働いているのだと言っていた、騎士アルバート。父様や、兄様と同じ優しい緑色の瞳をした穏やかな青年。
 身分をわきまえながらも、兄のように私をいつくしんでくれたあの人は……私を守ろうと暴徒に立ち向かい、亡くなった。
 このまま兄様の人生をしばり続けたら、いつか兄様がアルバートのように私の犠牲になってしまいそうで怖い。

「他人に対する恐怖を克服して、ちゃんとひとりで立てるようになると決めたの。兄様が……いつか結婚して、家を出てっても大丈夫なように。そろそろ兄様から守られなくても生きていける人間にならなきゃ」
「……俺は別に、一生このままでも構わないんだけどな」
「……え?」
「……いや、何でもない」

 兄様は、小さく笑って首を横に振った。

「わかった。ディアナが決めたことなら、俺も応援するよ。一緒に村に行けば、直接お前の目で欲しいものも探せるだろうしな。……だけど、村にいる間は、くれぐれも俺から離れるなよ。ディアナは可愛いから、変な男に目をつけられないか心配だ」
「……可愛いなんて。そんなこと言ってくれるのは、家族だけだよ」
「当たり前だろ。家族しか、お前の姿を知らないんだから。……ディアナは自分を過小評価しがちだから心配だ」

 ……正直、これは兄の欲目もよいところだと思う。
 私は、今世では他人と接していないけれど、前世のアシュリナ時代の記憶があるから、一般的な審美眼くらいは持っている。この十数年の間にこの辺りの地域の美人の基準が変わるわけもないから、自分に対する世間的な評価はだいたい想像がつく。
 アシュリナ時代の私は、「美しいが、どこか陰気で華がない」と言われていた。聖女ユーリアが華やかな美しさを持っていたから、私の見た目がよけいに魔女であるという風評の信憑性しんぴょうせいを後押ししたと思っている。
 それに比べても今の私は……言うならば、非常に地味だ。
 髪も瞳も、一般的でどこにでもいる色だし、顔もパーツが全体的に小ぶりで、目立つ部分がどこにもない。決してみにくいわけではないけれど、初対面の人はすぐに忘れるだろう平凡な少女。……それが私だ。

「うん……やっぱり。顔は、隠した方がよいだろうな。後、村にいる間は極力声も出すな。声も可愛いから。……いや、顔を隠して声を出さなくても、仕草が……」
「……兄様。馬鹿なこと言ってないで、手を動かして。まだ半分以上残ってるよ」

 これじゃあ、私が皮を剥いだ方が速そうだ。
 呆れる私の言葉も、今の兄様の耳には入ってなかったようで。しばらくそのままぶつぶつと独り言を言っていた。


     ◆ ◆ ◆


「それじゃあ、ティムシー。ディアナを頼んだぞ。……くれぐれもディアナに変な男を近づけさせるんじゃないぞ」
「ディアナは可愛いし、世間知らずだから……心配だわ。やっぱり私も一緒に行こうかしら」
「……父様も母様も、変な心配しないでよ。私みたいなどこにでもいる娘に、声をかける人なんてそうそういないよ」

 兄様も兄馬鹿だと思ったけれど、父様と母様もたいがい親馬鹿だと思う。

「父さん、母さん。安心してくれ。何があっても俺がディアナを守るから」

 兄様は笑いながら、ふたりにそう返していた。
 ああ……もう、これは仕方ないなと思った。
 家族が何より大事だというのが皆の性分なのだから、必要以上に私を美化するのは仕方がない。反論するだけ、時間のむだだ。
 内心結構呆れているのだけど……うれしくないか、うれしいかと言われたら、とてもうれしい。
 大切な家族の皆に愛されていると思うと、心がぽかぽかしてくる。

「じゃあ、ディアナ。荷物と一緒に馬車の荷台に乗ってくれ。俺が手綱を取るから」
「はーい。……ヒース。今日は、村までよろしくね」


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