声が出せない彼女と、私が友達になるまでの話

ポメ子

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新手のコミュニケーション

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「それまでは普通だったんだ。俺が中学の時まではただの優しいお母さんだった」
 健太はわずかに声を震わせながら続けた。それを茶化す人なんて、誰もおらずクラスはあり得ないくらいの静寂に包まれている。
「でも病気を発症してから……別人みたいになった。夜中に突然『誰かが家に入ってくる』って叫んで警察呼んだり、俺のことを『あんた誰?』って怖がったり。ある日、包丁持って『盗聴器を探さなきゃ』って家中ひっくり返したこともあった」
 少し、ざわついた。私も、思わず声を出したくなった。優しかったお母さんが突然、意味のわからないことを叫びだす恐怖。想像しただけで鼓動が早くなる。
「見た目は元気だから、最初は頭がイカれたのかと思ったし、正直すげー怖くて嫌だった」
 武田の顔が青ざめている。さっきまでの軽薄な態度は完全に消えていた。
「でも、たまに普通になることがあって……そういう時のお母さんは、昔のままで。俺のこと心配してくれるし、『今日はどうだった?』って優しく聞いてくれる」
 健太が深く息を吸い、みんなを見渡した。
「目に見えない病気って、本当にあるんだよ。俺も最初は理解できなかった。でも、お母さんが苦しんでるのは事実だった。甘えとか、都合がいいとか、そんなんじゃない」
 真剣な眼差しを今度はあかりへと向ける。
「山田さんも、きっと苦しんでるんだと思う。俺たちには分からないだけで」
 あかりは涙を浮かべながら、画用紙に「ありがとう」と書いて健太に見せた。
 健太は照れくさそうに手を振る。
「別に大したことじゃないよ」
 武田は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「......ごめん」
 小さな声でつぶやく。
「山田、俺も......ごめん」
 武田に続いて、他の男子たちもあかりに向かって頭を下げた。
「すみませんでした」
「調子に乗ってました」
 あかりは驚いたような顔をして、慌てて画用紙に書いた。
『いえいえ、大丈夫です』
『気にしないでください』
 その文字を見せると、男子たちは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとう、山田」
 健太があかりに向かって言う。
「俺も、今度から山田の筆談、手伝うよ。何か困ったことがあったら言って」
 あかりは嬉しそうに頷いて、また画用紙に書いた。
『ありがとうございます』
『みんな優しくて、嬉しいです』

 その日を境に、クラスの雰囲気が変わった。
 あかりの筆談に対して、みんなが自然に反応してくれるようになった。最初は珍しがっていた子たちも、今では普通のこととして受け入れている。
 あかりも少しずつ積極的になってきた。授業でわからないことがあると筆談で質問するし、みんなの会話にも画用紙で参加しようとしている。
 そんなある日、あかりが私にLINEを送ってきた。
『今度の土曜日、もし時間があったら家に来ませんか?』
『家でなら、話せるかもしれないから』
 私は驚いた。あかりの方から家に誘ってくれるなんて。
『本当に? 行きたい!』
 私が返信すると、あかりからスタンプが送られてきた。嬉しそうな顔のスタンプだった。

 土曜日の午後、私はあかりの家を訪ねた。
 駅から歩いて十分ほどの住宅街。綺麗な二階建ての家の前で、私は少し緊張していた。
(あかりの家......どんな感じなんだろう)
 インターホンを押すと、優しそうな女性の声が聞こえてきた。
「はい」
「あの、高村です。あかりさんと約束をしていて」
「ああ、優実ちゃんね! お待ちしてました」
 玄関のドアが開くと、あかりのお母さんが出迎えてくれた。あかりによく似た優しい顔立ちの人だった。
「いらっしゃい。あかりがとても楽しみにしてたのよ」
「お邪魔します」
 玄関で靴を脱いでいると、あかりが階段から降りてきた。私を見ると嬉しそうに手を振ってくれたけれど、やはり声は出さない。
 あかりの部屋に案内されると、本棚にびっしりと本が並んでいた。小説から図鑑まで、本当にいろいろな種類の本がある。
「すごい......本がたくさん」
 私が感心していると、あかりがスマホを取り出してLINEでメッセージを送ってきた。
『読書が好きなんです』
『それよりも、LINEでごめんなさい』
『家でなら話せると思っていました』
『でも、声が出ません』
 私は首を振った。
「謝らないで。家に誘ってくれただけで嬉しいよ」
 あかりはほっとしたような表情を見せて、また申し訳なさそうにうつむいた。なんとなくそんな空気が嫌で、断りを入れて本棚に手を伸ばす。
 そこからはふたりで本を読んだり、感想を伝えあったり。声こそないけど、友達の家に遊びに来ている空気を強く感じていた。
 しばらく部屋で過ごしていると、お母さんが階段を上がってくる音が聞こえた。
「あかり、お父さんと一緒にケーキを買ってきてもらえる? 優実ちゃんが来てくれたのに、何も用意してなくて」
 お母さんが部屋の入り口から声をかけると、あかりは振り返って申し訳なさそうな顔をした。声を出したそうにしているのがわかったけれど、やはり何も言えない。
 結局、あかりはドアをあけてこくりと頷いた。
 仲良くなれたと思ってた、いや、仲良しのはず。そしてここは、あかりが安心できる場所。それでも、私という存在が彼女の声を抑え込んでしまっている。
 複雑な気持ちだった。
 それほどに、難しい病気なのだろう。
 あかりたちが出かけていき、私はお母さんとリビングでふたりきりになった。
「優実ちゃん、お茶でもどうぞ」
 お母さんが温かいお茶を用意してくれる。
「あかりのこと、いつも気にかけてくれてありがとう。学校で筆談してるって聞いて、本当に嬉しくて」
「いえ、私の方こそ......あかりさんと友達になれて嬉しいです」
 お母さんは優しく微笑んだ。
「あの子、優実ちゃんと仲良くなってから、本当に表情が明るくなったの。毎日学校の話をしてくれるようになって」
 私は嬉しい気持ちと、同時に申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
(小学校の時、私はあかりのことをよく思っていなかった)
 でも、お母さんの前でそんなことは言えない。
「あの......差し支えなければ教えていただきたいんですが」
 私は勇気を出して聞いてみた。
「あかりさんは、どうして話せなくなったんでしょうか」
 お母さんは少し悲しそうな表情を見せた。
「......小学校一年生の時なの。先生に当てられて答えられなくて、すごく怒られたみたいで。その時、クラスの子たちにも笑われて......それからなのよ」
 ズキンと胸が痛んだ。小学校一年生なんて、まだまだ小さい子供なのに。ついこの前まで保育園や幼稚園にいた子が、そのひとつの出来事でずっと話せなくなってしまうなんて誰が想像しただろうか。
 もし、私がそのときのクラスメートだったら……おそらく一緒に笑っていたと思う。あかりの気持ちなんて考えずに。
 自分じゃなくてよかったって思いながら、他の子と一緒に。
 本当に嫌な奴だ。そんなことで胸がいっぱいになって泣きたくなってしまった。あまりにも利己的な考えに、嫌気がさす。
「それから、学校では全く話せなくなってしまって」
「そうだったんですね......」
 泣きそうになる自分をぐっと引き締め、返事をした。
「中学校に上がる時、環境を変えれば良くなるかもしれないと思って、隣の市に引っ越したの。でも、やっぱりダメ」
 お母さんの声が少し震えている。
「高校は行かなくてもいいって言ったんだけど、あかりが『勉強は好きだから行きたい』って。本人の希望で進学することにしたのよ」
 私は胸が締め付けられる思いだった。あかりがどれほど苦しい思いをしてきたのか、今ならよくわかる。
「でも、優実ちゃんと仲良くなってからは、毎日が楽しいみたいで。『今日は筆談でこんな話をした』『今日はこんなことがあった』って、本当に嬉しそうに話してくれるの」
 お母さんが私の手を握った。
「本当にありがとう。あかりにとって、優実ちゃんは特別な存在だと思う」
(私は小学校の時、あかりのことを理解しようともしなかった。それなのに、こうして感謝されるなんて......)
 言ってしまいたかった。私の本心を。今では心の底からあかりを友人に思っているけれど、それまではそんなことなかったって。
 でもそれを言ってどうなるの。私がスッキリするだけだ。
 だから、今はこの過去に持っていたドス黒い感情はしまっておこう。
「私こそ、あかりさんと友達になれて幸せです」
 精一杯の気持ちを込めて、私は答えた。
 でも、いつかは伝えなきゃいけない気がする。私の抱えていた気持ちを。それを伝えないと……私はただの偽善者だ。
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