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来訪者は突然に②

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 知花・ソフィア・ハーヴィットが出掛ける準備をしている間、ヒューズはルシウスにこれまでの報告をしていた。

「ソフィアが元気そうでなによりだ。まぁ、正直、ヒューズがあの子に振りまわされていないかが心配だったんだが…随分と良い癒しがあったようで良かった」

『良い癒し』と表現されたヒューズは、気恥ずかしさから咳払いをし誤魔化す。
 だがほんのりと赤みを帯びたままの耳が、感情を隠しきれていなかった。

「…そんなことより、殿下も用件があるのでしょう?」
「あぁ。ヴェスタ、グラスタリアとの三国間協議の日程が決まったから伝えに来たんだ」
「グラスタリアの出席者は決まったのですか?」
「あぁ、グラスタリア王とユークレース宰相が来る。折角の祝いだからと、稀代の魔術師が二人も来てくれるらしい」

 知花の淹れたコーヒーを一口含んだルシウスが、満足気に微笑むと更に話を続ける。

「ハーヴィットにはエクシアルにこのまま滞在していただき、八月一日から五日間の予定で行われる会議に参加していただく。よって、七月の一八日からは宮廷内における諸々の事前会議、二十五日からは警備体制の強化期間に入るため、ヒューズにも帰って来てもらわなければならない。君の休暇期間も考えると、エクシアルへの門を開くのは四日の予定だ」

「四日…?七月の四日ですか?」

 頷くルシウスに、ヒューズは言葉を失った。

 当初の予定より約一月も早い帰還。
 けれど、門を開けるのはルシウスだけなのだから、告げられた日程に文句など言える立場ではない。
 そう頭では分かっていたが、次に口を開いた時には、ヒューズは今までの自分ではあり得ないことを口走っていた。

「帰還の日程を、延ばしていただけないでしょうか!?」
「だがお前も休暇がいるだろう?そんなに長くはやれんが…」
「…いえ、休暇はいりません!!せめて、七夕…七月の七日までは猶予をいただけないでしょうか!?」

 前のめりになってまで懇願するヒューズの様子に気圧され「…まぁ…休暇無しで良いのなら」とルシウスが呟いた瞬間、ヒューズは撤回されないように、深々と頭を下げ礼を伝える。
 こんな手段をとる彼をあまり見たことのない、ルシウスはただ驚くばかりだ。

 七月七日、それは知花の二十歳の誕生日。
 そして去年の夏、花火をした日に一緒に花火を観に行くと約束した日でもある。
 彼女の幸せな筈の一日を、別れという悲しいの日に変えてしまうのも重々承知の上だ。
 それでも……

(……知花の誕生日だけは、祝ってやりたい)

 ***

 異世界からのお客様を連れ、知花達は街の中心街へと向かう。
 ルシウスは魔力の充填…つまり睡眠が必要らしく、ヒューズの部屋で仮眠をとっているため、メンバーは残った四人だ。

「今、橋の上を通っているのが電車というものです。都市部の日本人は、移動手段としてあれを使います。遠くに行く時は飛行機…なんですが、空港まで遠いので、今度ソフィアちゃんとヒューズさんに詳しく話を聞いてみてください」

 ガイド役を務めることとなった知花は、ハーヴィットの興味を引きそうな物を見つけては、逐一説明をしていく。
 ハーヴィットはぐるりと周囲を一瞥し、人々の様子を観察していた。

「…そういえば、日本は政略結婚が少ないそうだな」
「はい。身分差がないからかもしれませんが、恋愛結婚が多いですね」

 お見合い結婚は知花の親族にもいるが、政略結婚と言えるほどのものではない。

「そうか…それは幸せなことだな…。私の母は元々ヴェスタが滅ぼした国の姫だったんだが、父は母に興味がなく、味方も居なかったせいで、私が幼い頃に自害したんだ」

 重苦しい話を懐かしむように話すハーヴィットは、物静かにただ付いて歩くソフィアへと向き直す。

「…侍女や信用のおける者を連れてくるように伝えた筈なのだが、一人も付けないと言い張っているそうだな?」

 途端にピリピリとした空気が、彼等の周りに流れる。
 ハーヴィットとしては、ソフィアを慮って言っているのだろうが、何せ表情も声も怖い。

「…彼女達に肩身の狭い思いなどさせたくはないのです」

 理由を告げたソフィアの言葉は彼女なりの優しさだ。
 どちらも誰かを想いやった結果故、非難も出来ない。

「……そんな思いはさせないと約束する」
「…口ではどうとでも言えますので」
「では、どうすれば信じてもらえる?腕を切り落として差し上げれば良いか?足りなければ脚でも良い」
「そんなことをして頂かなくても結構です」
「だが、私にはこれしか無い。私が持っているものは、この私だけだ」

 ハーヴィットが両手を広げ、自身の姿を見せる。

 王太子の彼が持っているものは多いだろう。
 地位も、権力も、財産もその全てが『王太子』に付随するものだ。

 だが、それが『ハーヴィット』という一人の人間になったらどうだろう。
 たちまち彼は他の平民と何ら変わらなくなるのだ。
 そして、それはソフィアも同じだ。
 それを理解しているからこそ、ソフィアはハーヴィットの言葉に口を噤んだ。

「貴女がその細首を賭けているのだから、夫となる私にも同じだけの責任がある。貴女を守り続けるためにも今、この命を差し出すことは出来ないが、それ以外なら…」

 言い募る言葉は、必死さに溢れていた。
 当然それは彼の苦しそうな表情からも読み取れる。

「…意外でしたわ、賢いと伺っておりましたが、結構お馬鹿な方なのですね」
「ははっ…よく言われる」

 相変わらず辛辣な言葉だが、言われ慣れているらしいハーヴィットは、頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
 そして「…多少馬鹿な方が、貴女を笑わせられるかと思うんだ」と言った彼は、ただ甘く目尻を赤く染めて、ソフィアを見つめる。

 その視線にソフィアはギュッと口を一文字で結んだあと、少し口角を上げ「そうかもしれませんね」と呟いた。
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