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残された傷痕②
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「は…?お前、何言ってんの?」
動揺の色をその茶色の瞳に映したまま、太一は呆れたように言い放つ。
「…幾らあいつらがいきなり帰ったからって、もう何カ月経ったと思ってる?不貞腐れるのもいい加減に…」
けれど、知花は太一に叱られるような状況に思い当たる節などありはしない。
何度も瞬きをしては、不安気に視線だけが空中を彷徨う。
明らかに演技や意地を張ったものではないことが見て取れると、流石の太一も息を呑んだ。
「…知花…お前…。あぁ、もう!あの祭りの日!知花の誕生日!!急に国に帰っただろう?ちびっこのソフィアお嬢様とその保護者のヒューズさんだよ!!知花がショックを受けてるから、自分達の話はするなって俺に釘を刺してったんだぞ!!」
「お祭り…」
そう言われてみれば、行ったような気がしなくもないが、やはり頭にはその情景がはっきりと浮かび上がらず、知花は首を横へと振った。
(…私は何を忘れてるの…?)
ここ半年の違和感。
一人暮らしには広すぎる部屋。
家で飲むことのないコーヒー。
自分の名を呼ぶ知らない声。
まるで虫食いのように、穴だらけになった自分の記憶。
「太一…どうしよう…私、何かずっと変で、思い出せないことが多いの…。何がわからないのかすら、わからない…」
身を縮めるように自分の身体を抱きしめた知花を、太一が悔し気に顔を顰めた。
「…マジで記憶喪失かよ…知花、とりあえず家に帰ろう」
***
玄関を開けると室内の電気は付けっぱなしだ。
いつの日からか夜まで帰宅しない日は、リビングだけは付けっぱなしで出る癖がついた。
そうしないと玄関を開けた時、不安で押し潰されるような感覚に陥るからだ。
「邪魔するぞ」
知花を送るついでに太一もバイトを早上がりすることになったため、そのまま知花の部屋へと付いてきた。
太一が真っ先にリビングに入るなり指を差したのは、リビングの隣にある部屋。
リビングの隣にある部屋は、部屋を広く使えるように引戸の部屋が多いが、この賃貸はしっかりと区切られている。
「あの部屋、ヒューズさんが使ってた部屋」
「…何でそんなこと、知ってるの…?」
太一は平然とした様子で続ける。
「この部屋自体を勧めたのは俺、部屋割りであの部屋をヒューズさんにしろって言ったのも俺、ちなみにお前の部屋の隣はお嬢…ソフィアちゃんの部屋。俺も何度か飯食いに来てるんだよ」
覚えているかどうかなど、聞かなくとも知花の表情を見れば明らかだ。
物もなければ、思い出などありはしない、ただの空き部屋をもう一度見つめる。
けれど知花はこの数カ月、部屋の扉を自ら進んで開けることは無く、使おうすら考えなかった。
ヒューズという人物が、使っていたとされる部屋に一歩踏み入れる。
すると胸に押し寄せるのは、大事なものが何処かへ行ってしまった喪失感。
そして次に感じたのは、淋しさと悲しさ、そして自分が正しく自分でないと認識してしまった恐怖だ。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が涙へと変化し、知花の目から溢れ出た。
(本当の私は…どこへ行ったんだろう)
目の前に広がる暗がりの部屋は知花の心のようだった。
空っぽなのに自分の足元すらよく見えなくて、どう歩んで行けばいいかもわからない。
「…自分が記憶喪失って自覚した?」
知花は納得せざる終えない状況に首を縦に振った。
「…この状況だと、良いんだか悪いんだかわかんねぇな」
溜め息混じりに呟いた太一が苦笑いを見せ、そっと知花の頬に手を伸ばすと、流れ落ちる涙をその指先で拭った。
「…変だとは思ってたんだ。ショックで倒れた筈なのに、次の日バイトもケロッとして出てきたりしてさ…。無理してんのかと思ってたら、忘れてたとか…。けど、覚えていない方が知花は傷つかなかったのかもな…。…未練がましいけど、悔しくなる。いざこんな状況だと、それに漬け込む気すら全く起きねぇしな。あ、酷いこと考えてたの知って、幻滅した?」
自嘲する太一に、今度は首を横に振って見せた。
「太一は友達を…私を傷つけたりなんかしないもの。それに、わざわざそんな風に言うってことは、自分じゃ埋められないって、分かってて言ってるんでしょう?」
知花の涙を拭っていた指先がピタリと止む。
太一の掌がポンっと知花の頭に置かれると、今度はわしわしと少し乱暴に撫でる。
ぐしゃぐしゃになっていく髪を、知花はそのまま受け入れる。
撫でられるたび『大丈夫』と言われている気がして、胸の奥がじんわりとした温かさを生む。
この彼の大きな手に勇気を貰い、何度救われただろう。
「太一…ありがとう」
「ん」
失ったのなら探そう。
自分の記憶と、彼等と過ごした日々を――
「あ。ごめん、せっかく送ってくれたのにお茶も出してないね…。待ってて」
知花がキッチンへと向かうと、コーヒーの袋を戸棚から取り出した。
太一はその様子を見つめた後、もう一度ヒューズの居た薄暗い部屋を振り返る。
(……卑怯だぞ…ヒューズ。全部消してるように見せておいて、知花にあんな傷痕残されたら、手出せねぇじゃん)
知花の涙に濡れた指先が、酷く冷たく感じた。
動揺の色をその茶色の瞳に映したまま、太一は呆れたように言い放つ。
「…幾らあいつらがいきなり帰ったからって、もう何カ月経ったと思ってる?不貞腐れるのもいい加減に…」
けれど、知花は太一に叱られるような状況に思い当たる節などありはしない。
何度も瞬きをしては、不安気に視線だけが空中を彷徨う。
明らかに演技や意地を張ったものではないことが見て取れると、流石の太一も息を呑んだ。
「…知花…お前…。あぁ、もう!あの祭りの日!知花の誕生日!!急に国に帰っただろう?ちびっこのソフィアお嬢様とその保護者のヒューズさんだよ!!知花がショックを受けてるから、自分達の話はするなって俺に釘を刺してったんだぞ!!」
「お祭り…」
そう言われてみれば、行ったような気がしなくもないが、やはり頭にはその情景がはっきりと浮かび上がらず、知花は首を横へと振った。
(…私は何を忘れてるの…?)
ここ半年の違和感。
一人暮らしには広すぎる部屋。
家で飲むことのないコーヒー。
自分の名を呼ぶ知らない声。
まるで虫食いのように、穴だらけになった自分の記憶。
「太一…どうしよう…私、何かずっと変で、思い出せないことが多いの…。何がわからないのかすら、わからない…」
身を縮めるように自分の身体を抱きしめた知花を、太一が悔し気に顔を顰めた。
「…マジで記憶喪失かよ…知花、とりあえず家に帰ろう」
***
玄関を開けると室内の電気は付けっぱなしだ。
いつの日からか夜まで帰宅しない日は、リビングだけは付けっぱなしで出る癖がついた。
そうしないと玄関を開けた時、不安で押し潰されるような感覚に陥るからだ。
「邪魔するぞ」
知花を送るついでに太一もバイトを早上がりすることになったため、そのまま知花の部屋へと付いてきた。
太一が真っ先にリビングに入るなり指を差したのは、リビングの隣にある部屋。
リビングの隣にある部屋は、部屋を広く使えるように引戸の部屋が多いが、この賃貸はしっかりと区切られている。
「あの部屋、ヒューズさんが使ってた部屋」
「…何でそんなこと、知ってるの…?」
太一は平然とした様子で続ける。
「この部屋自体を勧めたのは俺、部屋割りであの部屋をヒューズさんにしろって言ったのも俺、ちなみにお前の部屋の隣はお嬢…ソフィアちゃんの部屋。俺も何度か飯食いに来てるんだよ」
覚えているかどうかなど、聞かなくとも知花の表情を見れば明らかだ。
物もなければ、思い出などありはしない、ただの空き部屋をもう一度見つめる。
けれど知花はこの数カ月、部屋の扉を自ら進んで開けることは無く、使おうすら考えなかった。
ヒューズという人物が、使っていたとされる部屋に一歩踏み入れる。
すると胸に押し寄せるのは、大事なものが何処かへ行ってしまった喪失感。
そして次に感じたのは、淋しさと悲しさ、そして自分が正しく自分でないと認識してしまった恐怖だ。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情が涙へと変化し、知花の目から溢れ出た。
(本当の私は…どこへ行ったんだろう)
目の前に広がる暗がりの部屋は知花の心のようだった。
空っぽなのに自分の足元すらよく見えなくて、どう歩んで行けばいいかもわからない。
「…自分が記憶喪失って自覚した?」
知花は納得せざる終えない状況に首を縦に振った。
「…この状況だと、良いんだか悪いんだかわかんねぇな」
溜め息混じりに呟いた太一が苦笑いを見せ、そっと知花の頬に手を伸ばすと、流れ落ちる涙をその指先で拭った。
「…変だとは思ってたんだ。ショックで倒れた筈なのに、次の日バイトもケロッとして出てきたりしてさ…。無理してんのかと思ってたら、忘れてたとか…。けど、覚えていない方が知花は傷つかなかったのかもな…。…未練がましいけど、悔しくなる。いざこんな状況だと、それに漬け込む気すら全く起きねぇしな。あ、酷いこと考えてたの知って、幻滅した?」
自嘲する太一に、今度は首を横に振って見せた。
「太一は友達を…私を傷つけたりなんかしないもの。それに、わざわざそんな風に言うってことは、自分じゃ埋められないって、分かってて言ってるんでしょう?」
知花の涙を拭っていた指先がピタリと止む。
太一の掌がポンっと知花の頭に置かれると、今度はわしわしと少し乱暴に撫でる。
ぐしゃぐしゃになっていく髪を、知花はそのまま受け入れる。
撫でられるたび『大丈夫』と言われている気がして、胸の奥がじんわりとした温かさを生む。
この彼の大きな手に勇気を貰い、何度救われただろう。
「太一…ありがとう」
「ん」
失ったのなら探そう。
自分の記憶と、彼等と過ごした日々を――
「あ。ごめん、せっかく送ってくれたのにお茶も出してないね…。待ってて」
知花がキッチンへと向かうと、コーヒーの袋を戸棚から取り出した。
太一はその様子を見つめた後、もう一度ヒューズの居た薄暗い部屋を振り返る。
(……卑怯だぞ…ヒューズ。全部消してるように見せておいて、知花にあんな傷痕残されたら、手出せねぇじゃん)
知花の涙に濡れた指先が、酷く冷たく感じた。
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