【第一部完結】dolls‐人形師の日録‐

原案:トウキ汐・作画:猫倉ありす

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第一部

11.想いは白に熔けゆく①

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「エステル、片付けが終わったらお茶を僕の部屋まで持ってきてくれないか?」

夕食を終えキッチンで後片付けをしている最中のエステルの元へ、珍しくアルベルトがやって来ていた。
「お茶なら今すぐいれるよ?」
「……いや、後でいい。全部……エステルの用事が終わってからで。」
てっきり食後のお茶を催促されたと思ったのだが、何故だかバツが悪そうにアルベルトはエステルから視線を外した。
「分かった!すぐ終わらせるね!!」
その言葉に一瞬渋い顔をしたが、それ以上は何も言わず、掠れた声で『待っている』とだけ告げアルベルトは立ち去った。

一通り片付けを終えたエステルはティーセットだけでなく、ブランデーも用意した。
暖かくなり始めたとはいえ、まだ夜は十分冷える。紅茶に落とせば温まって、寝付きも良くなると思ったからだ。
紅茶とブランデーなら……と棚に置いてあるボンボンショコラに手を伸ばすが、ぴたりとその動きを止める。
(そうだった…。流石にこの時間からは駄目だよね……。)
ちらりと壁に掛けてある時計を見ると、もう時計の針が九時を指す直前であった。

フェリーゼの言葉を思い出したエステルは、苦悶に満ちた顔をしながらショコラを諦めた。
(我慢我慢。着た時にアルトに綺麗だって言ってもらいたい。)
特に頑張らなくても彼ならば褒めてはくれそうだが、気持ちの問題だ。せめて最大限努力した自分で褒めて貰いたい。
誘惑に打ち勝ったエステルはティーセットを持って、アルベルトの待つ彼の部屋へと向かう。
アルベルトの部屋は書斎のすぐ隣である。

三回ノックし扉を開ける。
そこには髪が濡らしたままのアルベルトがいた。

「……あれ、もうお風呂入ったの?お茶いれたのに。」
「いや、ちょっと気分転換をしようと思って……。」
お茶では気分転換にならなかったのだろうかと首を傾げたエステルだが、とりあえず手元のティーセットを近くのテーブルへと置き、用意を始めることにした。
アルベルトの紅茶にだけ三滴ブランデーを落とすと、紅茶の香りに混じって甘い蜂蜜のような香りが立ち上る。
その様子を黙ってみたアルベルトはエステルの隣へと座る。

アルベルトは目の前に出された紅茶を眺めたまま、飲む素振りを見せない。
「……アルト、元気ないけどどうしたの?」
「いや…元気が…というよりも緊張してるだけだ。」
(何に緊張?ひょっとして…今更、私に…??)
確かに夜に男の部屋にやって来るなど、本来ならば慎みがないと怒られるものだが、今のエステルは居候兼家事手伝いみたいなものだ。用事でやって来るのはいつものことだった。

「アルトも緊張とかするの?」
「……君は僕を一体なんだと思っているんだ。」
遠い目をしながらも少し笑ったアルベルトだったが、エステルの変な質問に緊張が解れたのか、隠し持っていたある物を彼女の前のテーブルへと置いた。

目の前に置かれたのは、片手に収まるくらいの長方形のジュエリーケースであった。
ベースは磨りガラスで出来たガラスケースに、レースのように細かい金の装飾、更には宝石が埋め込まれたブルースターの花のモチーフが付けられていた。
「っ!!綺麗……!」
目を瞬かせたエステルはケースをそっと手に取って眺めた。
満足そうに微笑んだアルベルトが優しい声でケースを開けるように促した。
ケース自体も豪華だが、どうやら肝心なのは中身らしい。
エステルはケースの金具を外すとゆっくり蓋を開いた。

中には二つ指輪が並んでいた。

一つは男性用と思われるシンプルなデザイン、もう一つは女性用で淡い青い石をはめ込んだ指輪が座っていた。

その石はアクアマリンにも似てはいるが青さの種類が違う。見覚えのある色で近いのはアルベルトの瞳の色だ。
それに気づいた時、ヒュッという音が喉の奥で鳴った。

「…これ…もしかして、ユークレースなの?」
「あぁ。」
(ほ、本物!?初めて見た!!)

指輪に付いている石はたった一石ではあるが、周りに他の宝石を散りばめなくともしっかりとした存在感がある。
なぜなら色合いとその透明度が、まるで澄み切った空と海を閉じ込めているようなのだ。

稀少で滅多に出回らない石だというのも納得だった。
(…た、高そう…!)
それと当時にエステルの背中を変な汗が伝った。
正直これ一つで小さな屋敷が買えそうである。いや、買える。しかし、これを自分に見せたということはつまり……

「…アルト…これ、何のために用意したの?」
その質問にアルベルトは何故か咳払いをし、視線を泳がせた後にようやくエステルに視線を戻した。
そのまなじりには朱が差していて、エステルの胸がキュッとなる。

「……一応……結婚指輪のつもりなんだけど……。昼間といい、少々肝心なことを忘れすぎじゃないか??」
アルベルトは恥ずかしそうに破顔した。
「結婚……指輪……!」
呆気に取られた目でもう一度指輪を見る。



室内の灯りに当てられて青い光が水面のように反射する様をエステルはじっと見つめた。
青が揺らめいて見えているのは、きっとこの指輪ユークレースだけのせいではない。

「…だけど、君に求婚する前に話しておきたいことがあるんだ。」
アルベルトはエステルの長い髪を指でするりと撫でた。

「……君に指輪を渡しておいてから言うのは、僕も卑怯だと分かっている。でも、僕も君を手放したくは無いんだ。笑って許してくれとまでは言わない。怒ってくれていい、嫌われても…受け止めるつもりだ。……ただ、軽蔑だけはしないでいてくれるとありがたいとは思ってる。」
アルベルトには珍しく自身なさげで弱々しかった。
「…私がアルトのこと嫌いになるって思ってるの?」
「それだけの事をしたと思ってるからね。」
「……アルトがそんな言い方するなんて珍しいね…。」

往生際の悪い言い訳も、恥を偲んで打算だと素直に白状したのも、彼にとっての精一杯の謝罪なのだろう。
幸せでいっぱいだったエステルの心が、少し曇るようなざわつきを見せた。

「……何を……したの?」
ありったけの勇気を絞った言葉は、不安の色で染まっていた。

それでも受け止めようと、真っ直ぐに見つめてくるエステルの瞳に、アルベルトは何かを言いかけ口を閉じる。

この仕草を見るのは二度目だ。
エステルはアルベルトの手を見た。
太腿の上で祈るように組まれた手には、余計な力が掛かっていることが見て取れる。
その手へ細い指先で触れると、びくりと動いた時にできた隙間から、自分の手を滑り込ませ絡ませた。
初めこそ戸惑っていたが、やがてアルベルトからその手を握り返す。

「……エステル、君が死んだの僕のせいだ。」

エステルは目を丸くし、そして即座に力強く言い返した。

「私は死んでない。」

彼が言いたいことはそういうことでは無いと頭では分かっていたのだが、口にせずにはいられなかった。
アルベルトは困った顔をしながらも話を続ける。

「結果的にそうであっただけで、あの人形師が救わなければ、君は死んでいた。」

ー確かにそうだ。あの時何があったのかは詳しくは知らないが、人形師がエステルと背格好が似た死体を使い、偽装してくれたからこそ、今のエステルは平穏に暮らしている。

「……今から話すことを聞いて、それでも僕と共に居てくれるというのならば、その指輪を受け取ってくれ。……もし、無理ならその指輪はせめてもの詫びだ。物で償えるものでは決してないけれど、好きにしてくれて構わない。」

手元のケースに入ったままの指輪を見る。
この美しい青を悲しい色にはしたくはなかった。

けれど、きっと彼の話から逃げることはもっとしてはいけないー…

「…分かった。…話して?」
アルベルトは真っ直ぐにエステルを見つめつつ頷いた。

「…あの日、君の馬車を襲ったのは父の部隊だ。僕は、君が狙われていることを事前に知っていた。日時も場所も。僕は実行部隊ではなく、事後処理に回されたけど…。」
「…でも…それはアルトも伯爵も王命でしたことでしょう?」
アルベルトの告白は既にエステルが知っているものだ。
被害者であるエステルとて、その命令に従わなければならない事態であったことなど重々承知の上だった。
貴族である以上逆らえないものだってある。

「でも、僕は君を助けなかった!」
アルベルトの顔が苦痛に歪んだ。

「私は家族を盾に取られて、あっさり見捨てる人なんて好きになったりなんてしない。アルトは次期当主アルトとしての役割を果たしたんだがら、責めたりなんてしない!」

ーアルベルトの背負っているものの重さを知っている。
悲しくも結果的に切り捨てられたのはエステルだったが、彼は彼の立場として正しい判断をしたのだ。
それなのにも関わらず屋敷に塞ぎ込んでしまったのだから、その苦悩は想像に難しくなく、むしろ、それ程までにエステルを愛していた事実を知ることが出来て、彼女は嬉しくもあった。

「ねぇ、アルト。今貴方の言っていることは、が許せないだけでしょう?」
エステルの視線が鋭くなり、アルベルトを射抜いていた。
けれど、その目に反抗するかのように彼は冷めた目で怪訝な表情を見せる。
「……じゃあ、エステルは僕がゆるせるとでも?」

言外に父の死について問われていた。

確かに父は死んだ。
当然悲しかった。
けれど、父が姿形も分からぬほど黒く焦げた死体を抱きしめていたからこそ、それが『エステル・ローズベリル』だと信じ込ませることが出来た。

(あの日、お父様は何か言ってた。様子がいつもと違ってた。)
エステルは何度もあの時の父を思い出そうとするが、記憶が色を失いかけているせいで未だに思い出せないままだった。

「僕は遺体の確認にいった時、二人の遺体をみて自分の罪深さを呪った。…もっと他に、両方助かる道があったんじゃないかって。」
項垂れたアルベルトの肩が震えているのは、その時の恐怖と後悔と、そして怒りだ。

「……アルト、それは欲張り過ぎだよ。そんなことをしたら、何もかも捨てて隠れて生きていくことしか出来なくなる。それに隊が編成された以上、全員逃げられる方法なんて……!」

自分が発したその言葉が引っかかった。
(そうだ…全員逃げられる方法なんて…ない。)

喉の奥が酷く詰まっている。
息苦しさと、徐々に早くなっていく鼓動が全身へと伝わっていく。

(全員……は無理でも、……?)


「ねぇ、アルト…、アルトのお父様は何か言ってなかった?あの事件のことで何か…」


あの時、あの馬車の中で、意識が途切れる寸前、父が何かを言っていた。
父の唇の動きを思い出す。
『…どん**…***あって*…*なさい…』
(…もうちょっと…あと少しなのに…!)
頭の中にかかったもやを振り払うかのように、思わず頭を振る。

その様子に何かを察したアルベルトは、自身の記憶を辿る。
「……父とはそれ以来、あまり口を聞かなくなったからな。正直、令状を見せられたあの日だけだ、事件の話をしたのは。」
「…他に…伝えられた言葉は…?どんなことでもいい!!」
「ん……?まず言われたのは君を連れて逃げろと。あとは…自分も人の親だから、君達の幸せを取り上げるようなことはしたく無いとも…。けど、これは直接事件に関係のある話ではないだろう……?他に言っていたことは…。そうだ。父が最後にこう言っていた…『どんなことがあっても生き延びなさい』と…。」


その言葉が、声が、父の唇の動きと重なった。


(あぁ……そうか。)
欠けていたピースがようやくはまった時、エステルの目から涙が溢れた。

「エステル!?」
アルベルトが慌ててエステルを抱き寄せ、涙を拭おうと顔を覗き込む。
が、その大きな瞳からとめどなく溢れる様子に、簡単に止まるものではないと察すると、ただただ優しく、両手で頬を包み込んだ。

「……アルトのお父様も、私が助かること知ってたんじゃないかな……。」
「ま…さか……!?」

そしていつか、二人が再会できるように…ただ『生きろ』と伝えたのだとしたら…。

「お父様は……自分一人が死ぬことで、私とアルトの家族を守ったんだ……。」

父は母が魔女であることを知っていた筈だ。
だったらその『責任』をたった一人で抱えて死んでもおかしくはない。

そもそも、襲撃の最中に遺体を偽装するなど容易ではなかった筈だ。
あの銀髪の優秀な魔術師とて、人の目を誤魔化すのは一苦労する。

魔術は簡単でもなく万能でもない。

《転移》魔術に座標が必要なように、仮にあの事件の日、一時的に眠らせる術を掛けるだけだったとしても、対象が複数いるのならばそれだけ下準備も必要だった筈だ。

けれどもし、もしも、その対象の中に協力する者がいたら?
指揮役のアルベルトの父親がそれを担っていたとしたら、事前の準備も、その場でのフォローもし合えただろう。

ー襲撃が避けられないのなら、被害を最小限に抑える。
上に立つ者がとる行動そのものだ。


「……それじゃあ……僕は…!」
その声は激しく動揺していた。
頬に触れていた掌が力なく下へと落ちる。

「……アルト?」

「僕は、本当に救いようのない馬鹿じゃないか。」
自嘲したような、諦めたようなそんな顔で笑っていた。

目の前のアルベルトの瞳の色が曇る。


「エステル……僕は……君にもう一つ伝えなきゃいけないんだ。」


(駄目…。)
咄嗟に感じた恐怖だった。

(…やめて。これは聞きたくない。…!!)
煩く鳴り響く心臓が彼女の心を守ろうとするのに、容赦なく彼の声はエステル耳へと届く。

アルベルトはソファから立ち上がり、近くにあるチェストの引き出しから一本のペーパーナイフを取り出す。

「切れ味はいい物じゃないけど。」
そう告げた瞬間、アルベルトはしっかりと右手でペーパーナイフを握り締めると、左の掌へとそれを突き刺した。

「っアルト!!??」
驚いたエステルが駆け寄り、傷付けられた左手を思わず握った。
傷ついた場所から溢れる血が止まればいいと、強く強く握ったのだ。


触れた手は温かかった。

けれどはずのものの感触が、無い。

エステルは触れているアルベルトの指を恐る恐る開いていく。

確かに彼は刺した、
勿論その傷口もある。

けれどその傷口は赤い血ではなく、美しい光の粒を溢れさせていた。

暫くするとその傷口は綺麗に元に戻る。元の姿を復元したかのように。

カラン…と手からペーパーナイフが零れ落ち、俯いていたアルベルトは目の前で立ち尽くしたままのエステルを見た。
彼女は『どうして……?何で?』と何度も口から出る言葉を繰り返し、ただ震え、泣いていた。


「…ごめん、ごめんね。エステル…。」
その言葉は懐かしい響きをしていた。



まだ彼が生きていた、あの頃の響きそのものだった…ー
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