My heart in your hand.

津秋

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one.

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ドアが開閉する音に、ぱたぱたと軽い足音が続く。それが止まると同時に、瞼の裏に感じていた光がふと陰った。

「エス、起きてる?」
ひそめた声に目を開ければ、ソファーの背もたれ越しに俺の顔を覗き込んでいた岩見は、「起きてた」と顔を綻ばせる。
少しの間、微睡んでいたらしい。風呂に入ってくると声をかけられたばかりのような気がするのに、岩見の髪はしっとりとして頬も僅かに上気していた。
濡れて色濃くなった毛先から滑り落ちた滴が、ぱたりと頬に当たる。

「あ、ごめん」
岩見は肩にかけていたタオルで俺の頬を撫でて、ついでのように雑な仕草で自分の髪を拭いた。それをただぼんやりと眺めてから、重く感じる体を起こす。
「眠そうだね」
笑い交じりのまろい声にのろのろと頷く。
「……戻るの面倒」

ようやく返した返事は低く、ともすれば不機嫌そうに響いた。それでも俺が寝起きに不機嫌になる質ではないことを岩見は知っているから、誤解されることも妙に気を遣われることもない。まあ、例え俺が不機嫌だろうと、顔色を窺うような奴ではないけれど。
「泊まっていく?」
「ん」
のんびりした提案に頷くと、ぽんと肩を叩いて岩見はさっさと脱衣所の方に引き返していった。その背中を見送って、膝の上のクッションに頬を乗せる。
岩見の実家の部屋でも見た覚えがある、ワインレッドのクッションだ。慣れた匂いがする。閉じてしまいそうになる目を瞬いた。
耳の辺りが熱い。眠いから体温があがっているのか、体温があがっているから眠いのか、どっちなのだろうなどと、特に興味もないことを考えて眠気を紛らわす。

またぱたぱたと軽い足音が戻ってきた。今度はソファの前に回った岩見が俺の腕をやんわり引く。湿った髪はざっくりとかきあげられていて、普段はやや長めの前髪に隠れている額が露になっている。
「ほら、新しい歯ブラシ出してきたから。磨いておいで」
「うん」
口のなかで返事をして、引かれるまま立ち上がると今度は肩を掴んで方向転換までさせてくる。
「どこで寝る? ソファ? 俺と一緒にベッドでもいいよ」
背中を押す手にわざと体重をかけながら少し笑う。
「家のベッドじゃ、さすがに二人は厳しかったよな」
「お? それは久しぶりに一緒に寝ようってことかな? 俺は構わんよ」
「じゃあソファーで」
「じゃあの使い方おかしくね?」

軽口を叩いているうちに眠気は少しさめてきた。洗面所に行くと、言葉通り新しい歯ブラシが用意されていたから、有り難く使わせてもらう。予備が当然のようにある辺りが岩見らしい。
歯を磨いて口をすすいでちらっと鏡に視線を向けた。左右対称の二つの目が見返してくる。岩見のいうツンツンしているという表現はよく分からないが、性格の悪そうな顔だなとは思う。
この顔をいいという人が時々いるのが不思議だ。俺ならもっと優しげな顔がいい。

リビングに戻れば、岩見がちょうど部屋から毛布を持ってきたところだった。目が合うとひょいとそれを持ち上げてみせる。
「毛布でいいんだよな?」
「うん。ありがと」
俺は真夏以外ほとんど毛布を使っている。寒くない時季でも、毛布がないだけで肌寒いような気がしてくるのだ。
ソファを寝やすいように整える。枕は肘掛けとクッションだ。横になると脚がはみ出してしまうが、それなりに寝心地はいい。

「もう寝る?」
「ちょっと眠気さめた」
「じゃ、俺ここで髪乾かすわー」
言うなり、ソファの足元にぺったり座ってドライヤーを使い始めた。徐々に乾いてふわふわとしていく後頭部を見ていたら、岩見が首を少し仰け反らせて
「明日身体測定だね」と言った。
「そうだな」
「見回り、何もないといいな。あっても、怪我するようなことはしないようにね」
すぐ近くにいるため、ドライヤーの稼働音に邪魔されることなく声が届く。薄く込められた心配の色もちゃんと伝わってきたから、俺は頷いてそのつもりでいると返した。
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