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03.石油王に攫われたい

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「先輩言ってたでしょう?  『石油王に攫われたい』って。だから僕、石油王になりました」
「は……ぁ?」

 彼は差し出した手をそのまま伸ばし、「訳が分からない」という顔をした彼女の手を掴む。そしてグイっと引き寄せて、額が付くような間近。鮮やかなグリーンの瞳で美夜子を見つめて言った。

「愛してる。攫われて、――美夜子」

「……ッえ、な、なに……!?」

 何を言われたのか分からなかった。
 いや、言葉は分かる。その証拠に美夜子は首から頬、耳まで真っ赤だ。だけど、どういう事だろう? その意味が、脳の処理が追い付かない。

 どうしてこんな場所で、どうしてさよならも言わなかった後輩に、突然「愛してる」なんて言われているのだ!?

 美夜子の頭はそんな「どうして!?」の疑問ばかり。だけど心臓はドッドッドッと早鐘を打ち、感情は「愛してる」の言葉に痺れ瞳も逸らせない。
 こんな、軽く化粧直しをしただけの顔なのに。こんなに間近で、そんな綺麗な瞳で見つめるなんて反則だ! そんな下らない事だけはポンポン頭をよぎる。

「……先輩、そんな赤い顔で目を潤ませて見上げないで」
「っ、だっ……て! 成宮くんが変なこと言うから……!」

「変じゃないです」

 ムッとした顔をした彼は、側に控えた黒服の男性に向かって手を伸ばす。すると渡されたのはタブレット。

「はい、これ見て。僕の油田です。こっちはうちの会社と街、それからこれが家と土地。ね?」
「……え」

 見せられた画像は確かに、どう見ても油田。大きな建物と綺麗に整えられた街、そして宮殿の間違いでは?  と言うような石造りの白亜の豪邸。それから抜ける様な青空と乾燥した空気の砂漠。そのどれにも彼の姿が一緒に写っている。

「石油王に愛されたい、攫われたい……って言ってたから、父に頭を下げて試験をクリアして手に入れたんだ」

「父?」

「先輩が行きたがってたあのリゾートの国の近く、油田を沢山持ってる一族の長が僕の父。兄弟も沢山いるから、受け継ぐのはなかなか競争率高いんですよ?」

「はぁ」

「じゃあ行こうか、先輩」
「い、行くって……どこへ!?」

 成宮は美夜子の腰に手を回し、膝裏に腕を差し入れ抱き上げた。

「大丈夫。愛してるから、お望み通りに攫われて?」

 喜色に蕩けた色っぽい笑顔で美夜子を見つめ、そう言った。


 ◆


「……本当に攫われちゃった?」

 広いシートで脚を投げ出し、そして右手にはワイン。もしかしなくてものプライベートジェット。美夜子はあっという間に空の上だった。

 出張続きでパスポートを持っていたのが良かったのか悪かったのか。美夜子は成宮の「連休なんでしょ?  バカンスに行くと思って」の言葉にフラっと釣られてしまったのだ。

 そして繰り返される、成宮からの「好きです」「愛してる」「先輩のために油田持ちになったんですよ?」「いずれ石油王です」「先輩、愛してる」の攻撃に、美夜子の頭はもう考える事を放棄した。

 だって、それはあまりにも心地良い誘惑で、全身で表現される好意が単純に嬉しかったからだ。そもそも不快だったなら、こんな空の上まで付いて来たりはしない。

(成宮くんの事は……可愛いと思ってたし、仕事が出来るのも、人柄が良いのも知ってるし、こんなまさかの行動力だし……石油王になるらしいし?  本当に愛してくれるならいいかな~なんてフワフワ思っちゃうけど……)

「ねえ、先輩?  まだ信じてくれない?  まだ足りないかな?  先輩、愛してる」

 覗き込むように顔を近づけられて、またそんな言葉が重ねられる。

「ち、近い……!  その癖!  っ、もう……!」
「癖じゃないよ。先輩にキスしたくて、いつもワザと近づいてたんですよ?  ……気付いてたでしょ?」

 クスリと笑われ、彼の前髪が美夜子の頬をくすぐった。
 耳元で囁かれ、ほとんど頬にキスをしているようなこの距離感で、熱っぽい響く低めの声で。

(ッ……!  グラッとどころか……こんなの、落ちざるを得ないでしょうが……っ!?)

 彼女は赤くなる頬も耳もうなじも隠さずに、触れるだけのキスを顔中で受け止める。
 まだ恥ずかしくて、気持ちが追いつけなくて、キスを返す事は出来ないけれど、でも拒みはしない。

 こんなに全身で……いいなと思っていた相手に愛を囁かれて、拒める筈がない。

「……私、年上だし……可愛くないし、油田のことなんて全然分からないし、側にいて役に立つか分からないけど……攫われちゃって、本当にいいの?」

 美夜子の瞳が揺れた。
 仕事仕事で別れた恋人は二人。それ未満が一人。

『可愛くないんだよ』
『仕事ばっかで何目指してるの?』
『側にいても疲れる、お前』

 そんな言葉を言われてきた。
 可愛い子のままじゃ仕事にならなかった。何を目指してるかなんて、特に何も目指してはいなかった。ただ日々の糧を得ていただけだ。「側にいても疲れる」なんてお付き合い末期の間柄ではお互い様だ!  と思っていた。

 しかし、彼らから投げつけられた言葉は、美夜子の胸に抜けない棘となって深く深く刺さっていたのだ。

 ――成宮の言葉も、自分自身の気持ちも分からなくなる程に。


「先輩は可愛いよ」

 ぺたり。彼が俯く頬に手を添えた。

「年上だから何?  僕は年下だよ。年下じゃ駄目?  油田持ってても?」

 美夜子はフルフルと首を振る。

「……成宮くんなら、油田なんてそんなの……。あれ、ただの現実逃避なだけで……」

 成宮は微笑み、美夜子が持つグラスをテーブルに置くと、彼女の手に指を絡め握り込んだ。

「現実逃避しちゃっていいよ。せっかくの連休でしょ?  僕が手を取るから、まずは五日間……攫われちゃえばいい」

 握った手を引き寄せ、その指先にそっと唇を寄せる。

「役に立つとかどうでもいい。僕が側にいたいし、側にいてほしいだけ。でも、僕を指導してくれた先輩ならきっと、プライベートでも仕事でもなんでも出来ちゃうんじゃないかな」

 ポロリ。美夜子の目から一粒、涙が零れ落ちた。

「愛してる。大丈夫、僕を信じて?  先輩の大好きな油田もあるし、僕はずっとあなたを愛するから……。――お願い。この腕に飛び込んできてください」

 最後は何故か敬語で、ちょっと声も固かった。ギュッと握られた手にはじっとり、どちらのだか分からない汗が滲んでいた。

(ああ、そうか――)

 美夜子はパチリと目を瞬いた。

(成宮くんだって、私と同じ――「石油王に攫われたい!」なんて言葉を本当に信じて良いのか、応えてもらえるのか自信なんてなかったんだ……)

 考えてみれば当然の事だ。
 だからこそ、成宮は強引に彼女を連れ出して、勢いのままに『攫った』のだ。

「……成宮くん」

 美夜子は握られた手に、もう一方の手を重ね言った。

「分かった。逃げちゃう。だから……攫って!」





 石油王に攫われたらどうなるか。

 ――きっと、幸せになる!
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