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02.〇日目:坂を下って橋を渡る
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『美詞、あんた失業中だから暇でしょう? しばらく田舎のおばあちゃん家に行ってくれない?』
そんな文字だけの連絡が、海外在住の母から届いたのは昨日。
そして今日。私は新幹線に乗り、まずは実家へ向かい祖母宅の鍵を取ると、今度は在来線を乗り継ぎ県外へ。それから一時間に一本、それも朝と夕方のみしかない路線バスの最終に乗って、やっとのことで山奥にある祖母の家へ辿り着いた。
「わぁ……これはヤバい」
季節は冬。山の日暮れは早く、まだ夕方だというのに辺りはほぼ真っ暗になっていた。街灯はバスが走る一本道に点々とあるだけ。民家の灯りもなく、視界は闇一色になりつつあった。
「小さい頃来た時にはもう少し家があったと思ったんだけど~……?」
心細さを抑え、私はスマホの灯りを頼りに幹線道路から道を逸れ、細い坂道を下っていった。
一歩一歩。進んではいるけど耳に入るのは自分の「ハァ、ハァ」という息と、足音だけ。
「こんなに遠かったっけ……?」
ハァ、ハァ。
おばあちゃんの家は坂の下。橋を渡ったとこにある一軒家だ。
『おばあちゃんからお願いされていた事を思い出してね? でもお母さんは仕事が立て込んでて日本には戻れないから、代わりにあんたにやってほしいのよ。何かね、十年ごとにやらなきゃいけない事なんだって』
あちらは深夜だろうに、久し振りに聞いた母の声は相変わらず疲れ知らずの元気そのもので、娘は失業中だというのに仕事が充実してることが伝わってくる。
やりたい事があって、やりがいもあり、収入もついてくる母の仕事は本当に羨ましい。まあ、それは母がとんでもなく努力をした結果だから、羨ましがるのは筋違いというもの。娘としては応援するだけだ。
『お祀りしているお狐様に、ひと月、ご所望のごはんを差し上げておもてなしをするんだって』
『はぁ? 何それ』
『庭に祠があったでしょう? お母さんも末っ子だし若い頃に実家出ちゃったからよく知らないんだけど……お願いされてたの。元気だった頃のおばあちゃんに』
祖母の家は大きくて古い、お屋敷と言ってもよい家だった。昔は蔵もあったらしい。いつだか火事で燃えちゃったらしいんだけど……貴重な品や立派な謂れのある物もあった様で、随分と勿体ない事をしたと、親戚の誰かが言っていた。
『う~ん……分かった。ひと月お供えをするだけで良いんだよね? 何でも良いのかなぁ。私たいしたもの作れないけど……』
『いい、いい! 『今風のが良い』っておばあちゃん言ってたから、アプリで調べて作ってみてよ。じゃ、悪いけどよろしくね? ――あと、おばあちゃんの家、これが終わったら取り壊すから……写真いっぱい撮って来てね』
『……うん、分かった』
もう何十年も前に出た家だけど、やっぱり母も愛着があったのだなと思った。もう六十近いのに、楽しそうに好きな事をして飛び回っている自由な母でもだ。
『あ、そうだ、お父さんは? 元気?』
『元気。今ね、燻製作りにハマってるわ。ああ、あとね、パン焼き家電を通販で送ったって!』
『は!? どこに!?』
『おばあちゃん家に。だってあそこお店なんて何もないから……自炊頑張って! さすがに宅配便は来てくれるから必要な物は通販しなさいね。あ、食材は直売所があるでしょ? あそこのおじさんが連絡くれれば届けてくれるって』
『道の駅の? ええ、私おじさんの電話なんて知らないけど……』
『第一便は先に運び入れておいてくれるから、連絡先もそこに書いといてくれるはずよ。じゃ、よろしくね!』
◇
――ハァ、ハァ。
「ほんっと……よろしくって気軽に言ってくれたけど……!」
祖母はもう八年前に他界している。
あの頃二十歳だった私は就職したばかりで忙しく、街の葬儀場でやった告別式にだけ出たのだ。だから、私がここへ来るのは本当に久し振り。確か最後に来たのは小学生の頃だったはず。
「あ、川の音……」
真っ暗で何も見えないが、ザアアというこれは川だろう。
そういえば小さな頃、ここでメダカやオタマジャクシを取ったけ……と思い出が甦る。すると心細かった胸がふっと温もった。
私にとってこの大きくて古い屋敷は、子供の頃の夏休みの思い出そのものだ。
「懐かしいなぁ……本当に久し振り」
石造りの橋を渡れば祖母の家はすぐそこだ。
ジャリッ、ジャリッ、と一歩一歩足を進め橋を渡り切った。
――その刹那。
ぽっ。
ぽっ、ぽっ、ぽぽぽっ、と。
暖かなオレンジ色の光が私の足下、細い道の両端に灯り始めた。
「ッ、えっ、えっ!?」
ぽっ、ぽぽぽぽぽっ。
灯は次々に灯り、ついに道の先、今は寂れてしまった広い庭を照らし、そのまた奥の屋敷をも照らし出す。
「な……に、これ…………あ、蛍とか? かな?」
訳の分からない状況に震える脚を叱咤して、私はともかく『怖くない現実的にあるかもしれない事』を口に出してみた。今は冬だし、蛍なんかいる訳ないし。もし蛍だとしてもこんな風に灯りの代わりになるはずはない。
でも、言わずにはいれなかったのだ。
だってここは山奥の一軒家。人なんて私の他にはいない。怖くても、自分で何とかするしかない。
「大丈夫……そう、絶対に蛍!!」
「――誰が蛍だ」
「ヒェッ!?」
薄ぼんやりの闇の中から、聞こえてきたのは男の人の声だった。
そんな文字だけの連絡が、海外在住の母から届いたのは昨日。
そして今日。私は新幹線に乗り、まずは実家へ向かい祖母宅の鍵を取ると、今度は在来線を乗り継ぎ県外へ。それから一時間に一本、それも朝と夕方のみしかない路線バスの最終に乗って、やっとのことで山奥にある祖母の家へ辿り着いた。
「わぁ……これはヤバい」
季節は冬。山の日暮れは早く、まだ夕方だというのに辺りはほぼ真っ暗になっていた。街灯はバスが走る一本道に点々とあるだけ。民家の灯りもなく、視界は闇一色になりつつあった。
「小さい頃来た時にはもう少し家があったと思ったんだけど~……?」
心細さを抑え、私はスマホの灯りを頼りに幹線道路から道を逸れ、細い坂道を下っていった。
一歩一歩。進んではいるけど耳に入るのは自分の「ハァ、ハァ」という息と、足音だけ。
「こんなに遠かったっけ……?」
ハァ、ハァ。
おばあちゃんの家は坂の下。橋を渡ったとこにある一軒家だ。
『おばあちゃんからお願いされていた事を思い出してね? でもお母さんは仕事が立て込んでて日本には戻れないから、代わりにあんたにやってほしいのよ。何かね、十年ごとにやらなきゃいけない事なんだって』
あちらは深夜だろうに、久し振りに聞いた母の声は相変わらず疲れ知らずの元気そのもので、娘は失業中だというのに仕事が充実してることが伝わってくる。
やりたい事があって、やりがいもあり、収入もついてくる母の仕事は本当に羨ましい。まあ、それは母がとんでもなく努力をした結果だから、羨ましがるのは筋違いというもの。娘としては応援するだけだ。
『お祀りしているお狐様に、ひと月、ご所望のごはんを差し上げておもてなしをするんだって』
『はぁ? 何それ』
『庭に祠があったでしょう? お母さんも末っ子だし若い頃に実家出ちゃったからよく知らないんだけど……お願いされてたの。元気だった頃のおばあちゃんに』
祖母の家は大きくて古い、お屋敷と言ってもよい家だった。昔は蔵もあったらしい。いつだか火事で燃えちゃったらしいんだけど……貴重な品や立派な謂れのある物もあった様で、随分と勿体ない事をしたと、親戚の誰かが言っていた。
『う~ん……分かった。ひと月お供えをするだけで良いんだよね? 何でも良いのかなぁ。私たいしたもの作れないけど……』
『いい、いい! 『今風のが良い』っておばあちゃん言ってたから、アプリで調べて作ってみてよ。じゃ、悪いけどよろしくね? ――あと、おばあちゃんの家、これが終わったら取り壊すから……写真いっぱい撮って来てね』
『……うん、分かった』
もう何十年も前に出た家だけど、やっぱり母も愛着があったのだなと思った。もう六十近いのに、楽しそうに好きな事をして飛び回っている自由な母でもだ。
『あ、そうだ、お父さんは? 元気?』
『元気。今ね、燻製作りにハマってるわ。ああ、あとね、パン焼き家電を通販で送ったって!』
『は!? どこに!?』
『おばあちゃん家に。だってあそこお店なんて何もないから……自炊頑張って! さすがに宅配便は来てくれるから必要な物は通販しなさいね。あ、食材は直売所があるでしょ? あそこのおじさんが連絡くれれば届けてくれるって』
『道の駅の? ええ、私おじさんの電話なんて知らないけど……』
『第一便は先に運び入れておいてくれるから、連絡先もそこに書いといてくれるはずよ。じゃ、よろしくね!』
◇
――ハァ、ハァ。
「ほんっと……よろしくって気軽に言ってくれたけど……!」
祖母はもう八年前に他界している。
あの頃二十歳だった私は就職したばかりで忙しく、街の葬儀場でやった告別式にだけ出たのだ。だから、私がここへ来るのは本当に久し振り。確か最後に来たのは小学生の頃だったはず。
「あ、川の音……」
真っ暗で何も見えないが、ザアアというこれは川だろう。
そういえば小さな頃、ここでメダカやオタマジャクシを取ったけ……と思い出が甦る。すると心細かった胸がふっと温もった。
私にとってこの大きくて古い屋敷は、子供の頃の夏休みの思い出そのものだ。
「懐かしいなぁ……本当に久し振り」
石造りの橋を渡れば祖母の家はすぐそこだ。
ジャリッ、ジャリッ、と一歩一歩足を進め橋を渡り切った。
――その刹那。
ぽっ。
ぽっ、ぽっ、ぽぽぽっ、と。
暖かなオレンジ色の光が私の足下、細い道の両端に灯り始めた。
「ッ、えっ、えっ!?」
ぽっ、ぽぽぽぽぽっ。
灯は次々に灯り、ついに道の先、今は寂れてしまった広い庭を照らし、そのまた奥の屋敷をも照らし出す。
「な……に、これ…………あ、蛍とか? かな?」
訳の分からない状況に震える脚を叱咤して、私はともかく『怖くない現実的にあるかもしれない事』を口に出してみた。今は冬だし、蛍なんかいる訳ないし。もし蛍だとしてもこんな風に灯りの代わりになるはずはない。
でも、言わずにはいれなかったのだ。
だってここは山奥の一軒家。人なんて私の他にはいない。怖くても、自分で何とかするしかない。
「大丈夫……そう、絶対に蛍!!」
「――誰が蛍だ」
「ヒェッ!?」
薄ぼんやりの闇の中から、聞こえてきたのは男の人の声だった。
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