お狐様とひと月ごはん 〜屋敷神のあやかしさんにお嫁入り?〜

織部ソマリ

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03.〇~一日目:お耳と尻尾

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「――誰が蛍だ」

 ちょっと不機嫌そうだけど、艶とハリのある良い声だ。

「えっ……アッ! もしかして業者さんですか!? 街灯の用意をしてくれたとか――」
「何を言っているのだ? 待ちわびたぞ。お前が今代の『世話人』であろう?」
「は? 世話人って……?」

 暗闇の中から姿を現したのは、白っぽい長い髪をした、平安時代の様な装束を着た若い男の人。着物も白だから夜にぼんやりと浮かんでいる。けど――。


「みっ……!!」
「み? 何を言って……ん? この匂い……」
「ヒッ……」

 私の間近に寄った男は、スンスンと鼻を鳴らし私の首筋の匂いを嗅ぐ。
 
 ――ちょ……っと、待って。これ……何!?

「ん、やはり。お前、美詞だな? 大きくなって……」
「えっ……」

 彼はにっこりと、嬉しそうな笑顔を浮かべ私を見下ろしている。

「ご、ごめんなさい……? あの、どな……た、ですか?」

 すごく綺麗な人だけど、いきなり匂いを嗅ぐとか変態かと思うけど、私を知っているってことは……危ない人じゃ、ない? いや、知ってるふりをしてる危ない人かも!? いやいやでも、待って、その前にこれ――。

「おっと、憶えていないか。まぁ……あの頃はまだ幼かったから仕方がないか」

 すると男は、少し屈んで私と目を合わせて微笑み言った。

しろがねだ。お前が好きと言った、お耳もあるぞ?」
「……しろがね……さん?」

「思い出さないか?」

 ホラ、と。男は頭を下げ、私を上目遣いで見る。

 金色……の眼? すごい……キラキラしていて美味しそう……。それにこの長くてサラサラの白い髪? 豪勢なシルバーブロンド? かな? すごく綺麗……だ、けど……。

「……ッ!」

 やっぱりだ。気のせいじゃなかった……! 頭の両側、髪とは違う――耳だ。獣の耳。ふさふさの毛で覆われた、三角の可愛い耳――。

 ざわッと、全身の産毛が立った気がした。

「み、みみ……? 耳!?」
「好きだったろう? 美詞もこのお耳ほしいって随分ねだってくれたではないか。そら、この尻尾も――」
「尻尾……!?」

 足下からフワッと風が起きた。恐る恐る視線を向けると……立派なモフモフの尻尾が揺れていた。そして尻尾を先から遡れば、辿り着く場所はやっぱり、目の前の男のお尻だ!!

 クラッと眩暈がした。バチン、バチ、バチン、と目の前に火花が散って、私はそのまま意識を失った――。

「おい! 美詞! 美詞…………――」

 瞼の裏で聞いたその声は、焦っていたけど心地良い響きで、優しくて、いつも私を――。




 一日目

 コトコト、コトコト。トントン、トントン。
 パタパタパタパタ。パタタタタ。

 ……良い匂いがしてる。これ、お味噌汁の匂い……? あれ……私どこにいるんだっけ……? お父さん……今、燻製作りにはまってるってお母さんが…………――。

「ンン!?」

 ガバッと起き上がると、そこには目を丸くするしかない光景が広がっていた。

 竈の上に置かれた鍋は踊っていて、まな板の上の油揚げと葱を切っていたのはぶ厚い刃の包丁で、その下、竈の火には小枝が飛び込んで行っていた。そして私の周りには、黄金色の毛並みの子狐たちが走り回っている。あ、お味噌の樽と煮干しも踊ってる……。

「起きたか、美詞」

 名前を呼ばれビクリと肩が揺れた。
 この声は、あの人だ。

「どれ、熱はないか? 気分はどうだ?」

 ファサッ……と畳の上に尻尾と髪の銀糸を広げ、彼は私の横へ跪く。そして額や首筋を掌でペタペタ触り瞳を閉じると、頭上の耳がピッピッと私の脈を刻んだ。

「美詞、寒くはなかったか? 布団の在りかが分からなかったのでな。お前の外套しか掛けてやれなくてすまなかった」
「いえ、あ……の、え……っ?」

 目を瞬き身を引く私に、彼は「ふぅ」と溜息を吐き若干その耳を下げた。

「……美詞は何も憶えていないか。屋敷の話も、百年毎の習わしも何も聞いておらんのか?」
「あ……おばあちゃんが、ひと月……お狐様にご所望のごはんを差し上げてって……」
「うんうん、それだ。千代ちよはもういないのだろう?」

 千代――それはおばあちゃんの名前だ。私はゆっくりと頷く。

「淋しいな……。もう一度会って共に食事を楽しみたかったが……仕方がない。人とはそういうものよ」

 ああ、今度は完全に耳がシュンと下を向いてしまった。心なしか尻尾も元気がない。
 私は思わず、可哀想なその耳に手を伸ばしてしまう。

「銀、さん? あの……私、おばあちゃんの代わりにひと月ごはんを作るから。だから泣かないで……?」
「……泣いてはおらん。涙は見せん」
「……そうですか?」
「そうだ」

 だけど見上げた金の瞳には、薄い膜がゆらゆら揺れている。
 お母さんは、銀さんにごはんをお供えするのは十年に一度と言っていた。さっき口にした『百年毎の習わし』は何のことか分からないけど、銀さんはきっと、今、初めておばあちゃんがいないことを確かに知ったのだろう。

「……銀さん」
「何ということはない。いつもの事よ。じきに痛みは忘れられる」

 ほんのり赤く染まった目尻をなぞり、銀さんは笑って言った。
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