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26.二十九日目
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「さて、美詞。離縁をしよう」
「……は?」
銀は優しく微笑むと、繋いでいた私の手をそっと離した。
「な、何言ってるの!? 銀!?」
「ここはもう、人が生活するには難しい土地なのであろう? 千代が言っていた」
「お祖母ちゃんが……? まあ、確かにそうだけど、でもネットもあるし、私仕事だって探してるよ! ここでも生きていけるよ?」
「何を言っている。この屋敷は……取り壊されるのだろう?」
泣きそうな顔だった。
ああ、そうか。銀はここに置いて行かれることを覚悟していたのか。だから『嫁入り』のあと、あんなに甘えていたのか。
「ひと月、共にいられて幸せだった。もう十分だ」
「銀、ひと月じゃない。これからもだよ! 私ね、この家を残してもらう交渉をしたの。管理は私がする、手が回らない部分や税金なんかは……ちょっと、伯父さんたちや役場とも相談して、何とか家を残せるようにしようと思ってる。――銀、だからそんな顔をしないで」
私は一度離された銀の手に指を伸ばし、そうっと繋ぐ。
「しかし、俺たちのために犠牲になることなど……」
「銀!」
私は銀の手をギュッと両手で包んだ。
言葉で伝わらないのなら、行動で示してやる。あなたの手を離さない、置き去りになんてしないという気持ちを込めて、私は自分よりも大きな手を強く強く握る。
「私がそうしたいからそう決めたの! 犠牲なんかじゃない」
「しかし……無理をさせたくはないのだ」
銀の指が、私の手の中でもぞもぞと動いている。銀の力なら簡単にほどけるだろうにそれをしないのだから、これは単に不安だとか、お狐様としての矜持とか……――きっと、私にもある、人とあやかしの垣根を越えることへの畏れだろうと思う。
だけど私はもう決めたのだ。
ぬるま湯のようだったこの三週間、今までになく気持ちが満たされたし、銀の隣はとても息がしやすかった。
「銀。私はここが好きなの。台所の付喪神さんたちも竈神さんも、井戸神さんも子狐ちゃんたちも、銀も! 思い出が詰まったこの家が好きであなたたちが好きだから、だから私は、銀と一緒にここにいたい」
「美詞……」
先のことは分からないし、不安もあるけど……でも、思うのだ。
屋敷神である銀、井戸神さん、竈神さん。私が知っているだけでも三人も神様がいて、どうしてこの先が困難か。それに私の両親は絶対に応援してくれるはず。だって、あの人たちは好きなことをして生きている人たちだ。
き狐耳と尻尾の銀を「私の旦那様です!」と紹介しても、驚きはしても笑ってくれるだろう。神様やあやかしだけじゃなく、人にも応援してもらえるなら――きっと、私は大丈夫。
「一緒にいよう。銀。だって、私は銀のお嫁さんなんでしょう? 大丈夫、ずっとここで、美味しいごはん作ってあげる!」
「美詞……」
銀が私を抱き締めたその時だった。
ゴゥン、という低い音が響いて、突如地面が揺れた。そして雪解けしたばかりの裏山は、梅や桜、竹林も巻き込みズズズッと動き、一屋敷と私たちは一瞬で飲み込まれ……――。
「銀……っ!」
「美詞、これを!」
井戸神さんがくれた領巾だった。銀はそれを私にかぶせると、土砂が押し寄せる前にポーン! と空高く私を放り投げた。
「銀!!」
――私は、その様子を上からただ眺めていた。
地上の銀が「ピュイ――……!」と高く澄んだ口笛を吹くと、子狐たちが四方八方へ飛び行き、まるで滑り来る地面を踏み固めるかの様に跳ね回った。次いで銀が手をかざすと、見えない壁にぶつかり流れを変え、土砂は屋敷を囲む様になだらかに広がり、止まった。
砂煙がもうもうと立ち上り、視界が灰色で埋め尽くされている。
銀は、子狐ちゃんたちは無事だろうか。私は震える手で領巾を掻き抱き、ふわふわと空中で煙が晴れるのを待っていた。
そしてしばらくして視えたのは、見違えるような光景だった。
寂れていた庭には、山から崩れて来た梅林が広がって、まるでどこかの梅園のよう。梅花からは濃い香りが漂い、今、ここで土砂崩れがあったなんて嘘のような姿となっていた。
「銀」
ゆっくりと地上へ降りた私は辺りを見回した。だけど銀の姿はどこにも見えず、残っているのはスニーカーの足跡と、子狐たちの小さくて可愛い足跡だけだ。
「……銀? 子狐ちゃん……?」
呼んでも声は返らない。何度も見回さなくたって分かる。領巾越しに目を凝らしても、何も見えないし何も聞こえない。
私は今、一人だ。
呆然と立ち尽くしていると、そのうちにサイレンの音が聞こえ、私の記憶はそこで途絶えた。
「……は?」
銀は優しく微笑むと、繋いでいた私の手をそっと離した。
「な、何言ってるの!? 銀!?」
「ここはもう、人が生活するには難しい土地なのであろう? 千代が言っていた」
「お祖母ちゃんが……? まあ、確かにそうだけど、でもネットもあるし、私仕事だって探してるよ! ここでも生きていけるよ?」
「何を言っている。この屋敷は……取り壊されるのだろう?」
泣きそうな顔だった。
ああ、そうか。銀はここに置いて行かれることを覚悟していたのか。だから『嫁入り』のあと、あんなに甘えていたのか。
「ひと月、共にいられて幸せだった。もう十分だ」
「銀、ひと月じゃない。これからもだよ! 私ね、この家を残してもらう交渉をしたの。管理は私がする、手が回らない部分や税金なんかは……ちょっと、伯父さんたちや役場とも相談して、何とか家を残せるようにしようと思ってる。――銀、だからそんな顔をしないで」
私は一度離された銀の手に指を伸ばし、そうっと繋ぐ。
「しかし、俺たちのために犠牲になることなど……」
「銀!」
私は銀の手をギュッと両手で包んだ。
言葉で伝わらないのなら、行動で示してやる。あなたの手を離さない、置き去りになんてしないという気持ちを込めて、私は自分よりも大きな手を強く強く握る。
「私がそうしたいからそう決めたの! 犠牲なんかじゃない」
「しかし……無理をさせたくはないのだ」
銀の指が、私の手の中でもぞもぞと動いている。銀の力なら簡単にほどけるだろうにそれをしないのだから、これは単に不安だとか、お狐様としての矜持とか……――きっと、私にもある、人とあやかしの垣根を越えることへの畏れだろうと思う。
だけど私はもう決めたのだ。
ぬるま湯のようだったこの三週間、今までになく気持ちが満たされたし、銀の隣はとても息がしやすかった。
「銀。私はここが好きなの。台所の付喪神さんたちも竈神さんも、井戸神さんも子狐ちゃんたちも、銀も! 思い出が詰まったこの家が好きであなたたちが好きだから、だから私は、銀と一緒にここにいたい」
「美詞……」
先のことは分からないし、不安もあるけど……でも、思うのだ。
屋敷神である銀、井戸神さん、竈神さん。私が知っているだけでも三人も神様がいて、どうしてこの先が困難か。それに私の両親は絶対に応援してくれるはず。だって、あの人たちは好きなことをして生きている人たちだ。
き狐耳と尻尾の銀を「私の旦那様です!」と紹介しても、驚きはしても笑ってくれるだろう。神様やあやかしだけじゃなく、人にも応援してもらえるなら――きっと、私は大丈夫。
「一緒にいよう。銀。だって、私は銀のお嫁さんなんでしょう? 大丈夫、ずっとここで、美味しいごはん作ってあげる!」
「美詞……」
銀が私を抱き締めたその時だった。
ゴゥン、という低い音が響いて、突如地面が揺れた。そして雪解けしたばかりの裏山は、梅や桜、竹林も巻き込みズズズッと動き、一屋敷と私たちは一瞬で飲み込まれ……――。
「銀……っ!」
「美詞、これを!」
井戸神さんがくれた領巾だった。銀はそれを私にかぶせると、土砂が押し寄せる前にポーン! と空高く私を放り投げた。
「銀!!」
――私は、その様子を上からただ眺めていた。
地上の銀が「ピュイ――……!」と高く澄んだ口笛を吹くと、子狐たちが四方八方へ飛び行き、まるで滑り来る地面を踏み固めるかの様に跳ね回った。次いで銀が手をかざすと、見えない壁にぶつかり流れを変え、土砂は屋敷を囲む様になだらかに広がり、止まった。
砂煙がもうもうと立ち上り、視界が灰色で埋め尽くされている。
銀は、子狐ちゃんたちは無事だろうか。私は震える手で領巾を掻き抱き、ふわふわと空中で煙が晴れるのを待っていた。
そしてしばらくして視えたのは、見違えるような光景だった。
寂れていた庭には、山から崩れて来た梅林が広がって、まるでどこかの梅園のよう。梅花からは濃い香りが漂い、今、ここで土砂崩れがあったなんて嘘のような姿となっていた。
「銀」
ゆっくりと地上へ降りた私は辺りを見回した。だけど銀の姿はどこにも見えず、残っているのはスニーカーの足跡と、子狐たちの小さくて可愛い足跡だけだ。
「……銀? 子狐ちゃん……?」
呼んでも声は返らない。何度も見回さなくたって分かる。領巾越しに目を凝らしても、何も見えないし何も聞こえない。
私は今、一人だ。
呆然と立ち尽くしていると、そのうちにサイレンの音が聞こえ、私の記憶はそこで途絶えた。
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