大人にも学校は必要だ

上谷満丸

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第一章 大人に必要な学校

笹川綾香はイライラしている

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「だから意見がないなら私の邪魔をしないで!」

「しかしだね、笹川君。皆君の意見を尊重して集まっているのだから少しは聞いてあげても」

「どんなにいじめにあったとか、私可哀そうでしょうって話を延々と聞くために集まっているんじゃないの! わかる? いじめた側の責任、問題を聞いて集めたいのよ、私は!」

 さっきから出てくる話はどこでもあるようないじめられたという被害報告に大変だったねと言っているだけのただの被害者同士の傷の舐め合いだ。こんな話し合いを続ける必要はない。あの男、原田律に勝つためにははっきりとしたいじめ側が悪いという証拠が必要だ。だと言うのに、

「私は中学生の時に女子のグループで悪口を言われて、どんどん追い詰められていって……私悲しくて」

 私がいじめられた経験を話して、だから私はいじめられた方が悪いと思うと宣言すると皆から拍手と同意を得た。だけど、そこから始まるのはいじめの自慢大会。私なんてこんな目にあった、私なんて会社からこんな扱いをとか私が過去を話したのは、こんな皆のトラウマや被害報告を聞きたいわけじゃない。何故私の考えを理解してくれないのだろうか?

 私は子供の頃からお洒落が好きだった、母親が美容師で色々なお洒落を教わって影響を受けたのが大きいだろ。髪の毛とかネイルとか気合をいれて手入れをして可愛いと周りにも言われて中学生くらいから明るめの茶髪で先生に怒られていたが今は昔と違って厳しくは怒られなかった。だから周りが可愛いと言ってくれるのも嬉しくて調子になっていたと言えばそうなのかもしれない。

「お前ちょっと自分が可愛いからって調子に乗ってるんじゃねえよ」

 それは高校生になってすぐの頃だった、上級生に眼を付けられていじめが始まった。最初は誰かも話しかけられなくなった、次は机に落書きが書かれるようになった『死ね』『ゴミ』『ブス』見るも無残な机を使いながら惨めな思いをしながら授業を受けて、周りから何かを投げつけれるようになったのはいつからだろう? そしてお洒落がした私を目の敵にしていた先生も最初は注意していたが、ざまあみろとでもいいたいのだろう。先生すら黙認して私を嘲けた。それどころか助けてほしければ俺と付き合えと迫ってきてそれを振り払ってから、私は毎日の如く生活指導と言う名の体罰を受けた。その時から思っていた、なんで? と。
 それでも学校に通いある日悪意の事故に遭った。私がいつものように帰ろうと階段を降りようとした時だった、ドンと大きな力で押された。押したのは私をいつも嘲る上級生に触発された名も覚えてない女子のグループ、私は一番上の段から腰を打ち付けながら下まで転がった。痛いどころではなかった、痛みのあまり声も出ないまま私は気を失った。

 病院で眼を覚ました私は衝撃の事実を知る。もう歩くことはできないと、そしてこの事件でクラスぐるみのいじめが発覚して親は裁判を起こし多額の賠償金を得ることになる。だけど私は歩くことができなくってしまったショックとなんでこんなに事にならなきゃいけないのと心から泣いた。

 退院してからは母親の介護を受けたトイレ行くのも、お風呂に行くのも、ただ水を飲むのも一人でできない。女性としてのプライド、尊厳、全てが失われたことを実感した。私は永久にこの生活をしなくちゃいけないんだと絶望し、無気力になった。それは母親も一緒だったのだろう、最初は仕事を辞め私の為に全てを捧げるわと言ってくれた母だったが、次第に介護に疲れて母がある日、私に叫んだ。

「なんで綾香はこんなこともできないの! ちょっとした移動もトイレもお風呂もなんで何一つできないのよ!」

 そんなの私が叫びたいよ、できるならやりたいよ。だけどできないのよ……父親が帰ってくるまで母は狂ったように当たり散らしていた。そして父さんが、

「母さんがな、欝になってしまってな。これ以上お前の介護をできないんだよ……すまない綾香。お前を親戚に預けようと思う、ごめんな」

 私は悪くないのにどんどん私のせいで人が不幸になっていく。私なんて死ねばいいんじゃないかな。なんて思った、誰も私の世話なんてしてくれないし、私は迷惑でしかないんだと。今も私がいるのに親戚たちが揉めている、こんな若い子を生涯世話できないとか、うちにもおじいちゃんがとか、そもそもお前達の娘だろうとか聞こえてくる、誰も私の味方はいない、私は――。

「おい、小娘」

「はい?」

 私が絶望し力なくうつむいていたのに、無理やり顔を起こされる。そしてお爺さんが私と眼を合わせた。この人は子供の頃に行ったことが偏屈で有名なひねくれもののはずのいわくつきのお爺さんだった。

「お前何を下向いておる?」

「だって、私なんて、誰も必要としてくれないから」

「そりゃ、下向いているお前さんを引き取るものはいないだろうな、だけど上を向いてその可愛い顔を儂に見せてくれるなら儂が引き取ろう」

 言葉が出なかった。周りも宗徳さん!? とかおじい様! とか叫んでいる。

「黙れ、こんなべっぴんさんの顔を曇らせるならお前らの力など借りん。というわけでスケベ親父の我が儘を聞いてくれんかね? どうせなら綺麗な女の子を侍らせて過ごす老後がいいからな」

「私なんかを引き取ってくれるんですか?」

「違うよ、綺麗なお嬢さんに儂と一緒に暮らしてほしいんじゃ」

 初めてかもしれない、人に本当に求められたのは。この時この人がどういう人なのかもわからず私はお願いしますと泣き続けた。後から知った事だが、この人は東条宗徳とうじょうむねのり齢七十になると人で、大きな財産を持っている人なのだが人嫌いでお手伝いさんも介護も受けないという変わり者だった。そんな人が私の世話をどうするんですかと様々な人に問われた。だが全てになんとかするとしか答えずに私を連れて大きな家に連れてきた。

「さてとトイレだが……本当ならば儂が面倒を見たい! しかしさすがに今の君にその冗談は過酷だよね。安心して嫌だけどヘルパーさんを雇うよ」

「私の為にですか?」

「いやいや、儂も一人死んでいこうと思っていたのだがね。面白半分で親戚の集まりに出たら昔の自分みたいな君が可哀そうでね、同情したと思ってくれて構わない。それにやはり君くらい可愛い子だったら傍にいてくれるだけで幸せだしね!」

「は、はあ」

 それから宗徳さんは色々やってくれた、まずは家のバリアフリー化。私が車椅子で移動できるように様々なドアを引き戸に変え、トイレも一人でもできるように補助するバーや座りやすい設計に変えてくれた。さらに二十四時間介護もできる看護婦さんを手配してくれた。宗徳さんの趣味なのか若い娘ばかりだったけど、私と一緒に食事する宗徳さんは本当に幸せそうだった。ちょっとスケベだけど私の心の傷に気が付いてくれる人だった。あの時もそうだった。

 看護師さんにお風呂に浸からせてもらってふと思い出したのだ。私はどれだけの迷惑をかけているのだろうと、あの宗徳さんはいい人だ。だけど私は一人では何もできない、あの人が死んでしまったら私はどうすればいい? 私もうすぐ二十歳だ、宗徳さんは必ず先に死ぬ。その時また私は、

「泣いているのかい? 綾香ちゃん」

「え? 宗徳さん! 外にいるんですか!?」

「うん、看護師さんがね呼んでくれてね。まだ儂に迷惑をかけていると思っているのかい?」

「いえ、ちがっくて、あの、その」

「それとも先を想像してしまったかい?」

「――」

「そうだよねえ、君は若いのに儂はおじいちゃんだ。先が不安になるのは分かるよ、そして一人でできないことが多くて嫌になってくるんだろう?」

「……宗徳さんはどうして私を引き取ってくれたんですか?」

 怖かったが聞いてみたかった。私をその歳で引き取るのはどういう心境だったのだろうと。

「おんなじ眼をしていたのさ」

「おんなじ眼?」

「そう、子供の頃の儂とおんなじ眼。儂の子供の頃は戦争が終わったばかりでね、戦争孤児って言えばわかるかい? 誰も彼も見ず知らずの子供を育てる余裕なんかない。そんな時代で儂はあの時のお前さんとおんなじ眼をしていた。誰にも求められない、誰も手を差し伸べてくれない、そんな眼さ」

「じゃあ宗徳さんも誰かに手を差し伸べてもらったのですか?」

「いんや、誰も引き取ってくれなかった」

 え? じゃあ何故という声は出させてくれなかった。優しく手を握って。

「だから儂はお前さんを引き取った。同じ境遇のお前を見捨てることはできなかった、ただそれだけの事なのだよ」

 真剣に私に語り掛けてくれる、恐らく私の境遇など大変なうちに入らないくらい大変な人生を送ってきたのだろう。戦闘孤児と言うものがどれだけ大変かわからない、でも宗徳さんが人を嫌う理由は誰も助けてくれなかったからだろう。だけど私には手を差し伸べてくれた事に感謝の言葉しか出なかった。

 私はやる気も生きる気力もなくしたが、この日から真面目にリハビリを始めた。歩けなくてもできることを増やそうとトイレを一人で入れるように腕の力と立つ訓練をした。腕は少し太くなってしまうがしょうがない、手でバーを掴んで歩行する訓練や一人でもできることを増やしていこうと思った。
 髪や爪の手入れもまた始めた、お洒落を諦めたくない。まあ宗徳さんが、

「うーむ、昔の写真のほうが可愛いな。せっかく素材がいいんだから遠慮しないでお洒落を始めれば? そのほうが儂も元気になるし」

 セクハラ発言はさておき、お洒落を障害だからって諦めたくなかった。どうせなら派手にしようと髪を金髪にしてネイルも暇な時間が多かったので自分で派手になりすぎないジェルネイルや桜色を主体にしたネイルの勉強をして半年くらいで自分だけでできるようになっていた。そうして社会復帰の為の準備をしていた時の話だった。私は一人で出かけた、宗徳さんが一人でも大丈夫かい? と聞いたが、私もいつまでも引きこもっては入れない。少し遠くへ服を見に行こうとしたときに感じた。
 誰かが噂している気がする、車いすの私を見られている気がする、久しぶりにでた外は怖いものだからけになっていた。吐き気とめまいでそのあとは覚えていない。

「過去のトラウマによる社会不安障害だと思われます」

 やはり過去はそう簡単には私を逃がしてはくれなかった。私は外に出ることもできない……。

「先生、それを治す方法はありますか?」

「薬と訓練しかないでしょうね、後は精神障害や発達障害の方を社会に復帰させる学校があるんですが……」

 そこからは宗徳さんが手続きをしてくれてその学校に通うことになった。それまでに色んな所に行こうと車椅子をヘルパーさんに押してもらって慣れさせていった。

「学校は私一人で行く」

 宗徳さんが驚く。それはそうだろう、私は薬とヘルパーさんのおかげでだいぶ発作のような症状が無くなったとはいえ一人だと心配だろうが。

「宗徳さんにこれ以上負担をかけてくないし、それに私の自立の為なんだから」

「うーん、うーむ、むーん、わかった。でもいいかい? 怖くなったらすぐに連絡するんだよ?」

 心配する宗徳さんには悪いが、私は一人で生きていくすべを身につけたい。だから、あの時

『大丈夫ですか?』

 必死な顔をして私を助けてくれた彼に驚いたのとおじいちゃんとヘルパーさん以外の人に身体を触られたのが久しぶりで、

「触るな、変態」

 この言葉しか出なかった。そりゃ彼も怒るだろう。だが、

「私が余計なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、助けてもらったのにお礼も言えないあなたのような人間がいるから本当に助けてほしい障害をお持ちの方が困るんでしょうね」

 正論すぎてカチンときた、ガラの悪い声が出たのは初めてだった。この時から彼、原田律は気に食わない奴だった。何をするのも自信満々で常識を守る誰の意見にも屈しない強い男。そして私に近い考えを持っている男のはずだった。

「いじめられたほうにも問題があった」

 この言葉を彼の口から聞いたとき失望と裏切られたような感情が渦巻いた。だから私は今ここで仲良くなった人達と別れ、議論をしている。だけど誰の意見も突き刺さらない。苛立ちが増すだけだ、だからなのだろうか?
 私は何故彼がその結論に達したかのほうが気になってしょうがなかった。
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